菫茶屋にて

里岡依蕗

KAC20221



 「御免。……おい、誰か居らんのか? 」

 「はぁい! ほら、何やってんのさ! 早く行っておいで」

 「はっ……は、はい! 」


 明るい陽射しが眩しい昼下がり、店の裏に咲いたすみれを眺めながら日向ぼっこをしていると、野太い男の声がした。姉様に急かされながら声の方に駆けていくと、凛々しい眉の若い男が店の前の縁台に座っていた。

 「も、申し訳ございません! お待たせ致しました! 」

 「……なんだ、いたのか。まぁ何でもいい、茶を一杯貰えるか」

 「は、はい、かしこまりました! 」

 姉様が出ていけばいいものを、何故か小難しそうなお客様が来ると、年下の私に接客するよう向かわせる。誰から何をされるかも分からないのに、泣き弱っていても慰めてもくれずに、それも修行だと揶揄するばかりだ。

 「……お待たせ致しました、お茶をお持ち致しました」

 「あぁ、かたじけない」

 眉間に皺を寄せ、難しい顔をしたその男は、湯呑みを手に取り、ゆっくり一口飲むごとに空を見上げて、時より眉が歪んだりしている。もしかして、慌てて淹れたから美味しくなかったからか。それとも、何かの考え事だろうか。よく見たら、髷もしっかりと結い上げてあるし、立派な刀を持っていらっしゃる。峠の茶屋ではあるので、旅人は勿論、沢山のお客様がやって来る。お侍様も偶に来られるけれど、お堅いお侍様ではないような雰囲気は何となく感じ取れる。


 「……なんだ」

 「ひ、ひぃ! も、申し訳ございません! あまりお口に合いませんでしたでしょうか? 」

 また、何か失敗してしまったか。少し湯が多すぎて薄かったのかもしれない。あぁこれで何人目だろう。怒られるのは慣れてしまったが、今度こそ切り捨てられてしまうのか……


 「いや、茶は悪くなかった。そうではなくて、先程から視線を感じるので何だ、と問うたのだ」

 湯呑みから口を離したお侍様は、鋭い眼差しはそのままで、ゆっくりとこちらに顔を向けた。私よりも上ではあるだろうけれど、まだ二十歳程と思われる、切長でつり目のお侍様だった。

 「あぁ、いえ。素敵な刀を挿していらっしゃるなぁと思って、つい。失礼いたしました」

 「謝らなくていい。……お前は何をそんなに怖がっている? なんだか、声も震えて……私が怖いか? 」

 いきなり突風が吹き、柱に括り付けた風車が勢いよく回り始めた。今日は風が強い、気をつけないと、風車が飛んでいってしまう。

 「……い、いいえ。貴方様が怖いわけではないのです。まだ、私は修行の身ですから、いつも叱られてばかりで。難しい顔をされていたから、また失敗してしまったのかと不安だったのです」


 私の話に耳を傾けながら、静かに湯呑みを持ち上げ、一口含んだお侍様は、またしばらく空の雲の行方を追い、不思議そうに首を傾げた。

 「そんなに叱られるような不味い味とは思わないがなぁ。まぁ、私も修行の身だから、達人よりも舌がまだ幼いのかもしれないな」

 お盛時でも褒められると嬉しいもので、優しくされると胸の奥が少し暖かくなってくる。

 「いいえ、そのような事は。……修行? ですか。次は、どちらに行かれるのですか? 」

 「どちら、そうだな。このまま、暫くは道のまま先に進むつもりだ」

 空をよく見上げるお侍様は、心に決めた志を持っているような、凛々しい表情を崩さない。もっといろんな事を聞いておきたいけれど、やめた方が良さそうだ。

 「……素敵な刀ですね、二つも」

 「あぁ、分かるか? 実は私は二刀遣いを試みていてな、今回術修行の道中なのだ」

 さっきまであった眉間の皺が柔らぎ、表情も綻んだ。話す話題を見つけて、なんだか嬉しそうでもある。

 「に、二刀遣い、ですか? すごい! へぇそんな方、私初めて聞きました」


 わざとらしい咳払いと、乾いた手を叩く音が聞こえた。裏で話を聞いていて、どうやら長話に花が咲きそうな気配を感じた姉様だろう。また後で叱られるな。

 「あぁ、申し訳ございません。お急ぎの所失礼いたしました」

 お侍様は、はははと笑って、残りのお茶を飲み干して、そっと両手を合わせた。

 「いやいい、こちらこそ小難しい顔で過ごしてすまなかったな。さて、幾らだ」

 「はい、五文でございます」

 「五文か……よし、これでどうだ」

 少し企んだような顔で、大きい握り拳を差し出してきた。両手を差し出すと、いつもより重たくて、銭が当たる音が大きいような気がした。

 「ひぃ、ふぅ……じ、十文! お、多く頂き過ぎています、お返し」

 「いいんだ。気持ちとして受け取ってくれ。お互い修行の身、精進しような」

 お侍様は、さっきまでとは違って、陽だまりのような優しい顔で、そっと頭を撫でてくれた。暖かくて、凸凹な、鍛錬していそうな硬い手だった。

 「あ、ありがとうございます。あの、お名前は」

 いそいそと身支度を始めたお侍様は、何も付いていない右頬を指先で撫でた。また困らせてしまったのだろうか。

 「そうだな……いや、まだ名乗れる程の腕はない。いつか立派になったらまた此処に戻って来る。それまでには、お前も一人前になってるだろう、その時は、また宜しく頼むな」

 「はい、その時は今日よりもっと立派なお茶をお出しします! お侍様も、これから暗くなって参りますので、道中お気をつけて」

 会釈をし、刀を挿して凛々しい表情に戻ったお侍様は、そのまま振り向きもせずに、道の通りにまっすぐ歩いて行ってしまった。

 「ありがとうございました、どうぞお気をつけて」



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