誠実 二〇二一年 四月一日 ④

 拓実と俺は演じる役割を共有し、代わりに拓実が苦手なWebテストの一部を代行した。シートは既に七人分の役が作られており、あとは整えられた文章を覚え、どれだけの熱意で相手に差し出せるかの作業だった。Webテストにかける時間の総量よりも多かったから、俺の方が圧倒的に得していた。

 最初の面接は、返事を出した翌日から一週間後。他人のESをコピペして出した企業だった。それまでに「とりあえず一人でいいから」と、拓実の劇団を観に行った以外の起きている時間を、覚えて話すことに費やした。

「肝心なのは、暗記したような話し方やない」

 濡れた服で、街を歩いている気分だった。肌は透けていないか。匂いは大丈夫か。始まるまではそんなことばかり気にして、それまでとは全く別の緊張感に支配された。それも、質問に答えていくと、段々と乾いて、肌に馴染んで、堂々と臨むことができた。

――なぜ食品業界を志望しようと思ったのですか。

――三大欲求の一つである食を通じて、多くの方に幸せを届けたく、貴社を志望しております。きっかけは、高校の部活動で食事トレーニングの管理を二年間任されていたことでした。この経験から御社で働き、たくさんの方の笑顔に携わりたいと考えています。

――食トレで小山さんが前年とは違う取り組みはありましたか?

――前期までのデータから管理栄養士と相談し、部員の身長、体重で部活中の『おやつ』のメニューを工夫したことです。その結果、部員の体作りの効率が上昇し、体力測定でも前年度の学年よりも、各種目の水準、平均上昇率、共に勝ることができました。

 何一つ、想定していた質問の枠外に出たものはなかった。自分の喉を使わないことが、こんなにも楽だなんて知らなかった。

 面接が終わり、以前とは別の手応えを感じながらも、本当は面接官に見抜かれていたのではないかという不安が襲った。そうでなかったとして、そもそも通るのだろうか。ここまでやっておきながら、結果が出なかった場合の揺り戻しを考えるだけで、胃がごろごろ鳴った。

 だが、その日の不安は、初めて翌日に送られてきた選考結果が吹き飛ばした。

否定されてきた過去、現在、未来の全てを払拭できてしまうのならば。たとえ腐ったみかんでも、食べなければ死んでしまうのであれば。俺は涙を流して食べる人間だと、この時わかった。

 この作業は企業分析やOB・OG訪問にも応用が効いた。拓実が作った人物から逆算し、相手が何を求めているか。こちらが何を差し出せばいいのか。網羅的に調べ、何を求められてもいいように、手数をできる限り増やした。その分、選考に出せる数は絞られたが、百戦百勝できるレベルにまで仕上げることができた。


「だから、どれだけ綺麗な自分を見せるために自己分析を固めるかは大事だよ。そういう作業に手を抜かないことが、面接官に対しては誠実なんじゃないのかな。面接官だって人間だし、『この人いい加減だな』とか、それこそ『この人誠実だな。この人からだったら、契約結んでいいな』とか、相手が感じることでビジネスって成り立ってるし。っていうことで、俺の話はいいかな?そろそろ都庁の方に行かないと」


 もう、十分です。

 あの日言えなかった返事が、ようやくできた。


――リーダーシップを発揮した経験はありますか?

――留学生とサポーター、そして学内で異文化交流に興味のある学生たちを含めた学生交流会の運営・司会を行ったことです。様々な価値観をもった人たちと学生生活を楽しみたいと考えていた私は、一年時に学内のメーリスで企画された異文化交流に興味を持ち、実行委員のガイダンスに参加しました。

 面接官が信じている、過去から現在、そして未来に流れる一貫した文脈。論理。物語。点と線で結ばれ、誰もが疑うことのない星座。

――小さい頃どのような子供だと言われましたか?

――友人にどのような人だと言われますか?

――クラスや部活動ではどのような役割でしたか?

――今までで一番の挫折を教えてください。

――これまでで一番幸せだったこと・辛かったことはありますか?

――これまで苦手な人と接する時に、どのようなことを気をつけていましたか?

――あなたの強みは弊社でどのように発揮されると考えていますか?

――将来どんな社会人になりたいと思っていますか?

 文脈はどこまで過去のものが信用できるのか。小学生までか、中学生までか、高校生までか、大学生までか。一年前までか、二年前までか、三年前までか。そして、どれほど信用できるのか。

 俺が部活を、サークルを、好きな人を、バイト先を選ぶ時に、そのきっかけが論理的な思考による一貫した言葉で説明できると、どうして思うのか。過去、現在が流れを継ぎ、一年後、十年後どうして変わることがないと証明できるのか。正しく滑らかな論理を、機械のように生み出していると、どうして思うのだろう。そんな滑らかな繋がりが、全ての人に、全ての事象に存在するとどうして思うのだろう。

 揺るがないと思うことすらなかった生活様式ですら、この一年でまるっきり変わってしまったのに、一週間後のあらゆる人たちの健康すら保証がなかった現在において、どうしてたかだか個人の進路は変わらないと信用できるのか。世の中の価値観はめまぐるしく変わって、まかり通ってきた価値観が新しく大きな声で淘汰されているのに、どうして過去の、それも最も変化の大きい時期の文脈を、どうして信用できるのか。

 俺が勝手に信じて、期待していた聞き手は、本当は何を見ていたのか。

 考えたって無駄なのかもしれない。考えない方が楽なのかもしれない。そう言い聞かせながら、面接を重ねていくうちに気づいた。

 面接官も不安なんだ。

 採用して働かせてみるまで、配られたカードはずっと裏のまま。そんなクソギャンブルで、カードが使えなかったり、勝手に辞められてしまったりすれば怒られるのは採用した社員だ。

 互いが不安でいる中で、解消できると信じられている面接。

 推測が確信にはっきりと到達したのは、三月一日。最終面接の会議室でだった。

 物語が必要だった。誰にも疑われることのない、信用されるべき、現在に至るまでの過程、文脈、流れ、歴史。

 大事なのは、事実でも、真実でもなく、相手がどう感じるかを、誰でもなく俺が、俺ではない俺が、コントロールすることだった。

 切れかけた麻酔の代わりに、新たに投薬された薬の効果を体感してしまえば、もうやめられない。その感覚をずっと忘れられずに最後まで追いかけていた。医療従事者、次に高齢者へと打たれていくワクチンとは好対照の偽薬。製造し、接種するのは紛れもなく俺たちだが、拓実は「僕たちが、面接官に投与するんであって、逆はあらへん」と、愉しむような目をしながら内々定を祝ってくれた。

 誰かは見極めてくれると信じていた。誰かは仮面のメッキを剥がし、現実は甘くないのだと、ぼろぼろに言い負かして裁かれるのを、どこかで望んでいた。

 でも、誰一人できなかった。それどころか、用意していた回答を外すような質問は、一つたりとも飛んでくることはなかった。

 面接の時、面接官が安堵して浮かべる笑顔が嫌いだった。

 この人なら通過させても大丈夫だと、採用してもいいだろうという顔。不安が解ける瞬間に、革靴を蹴り飛ばしてやりたかった。面接官の前に座る人間が語る一貫した流れに頷き、『健太郎さんの経験があったからこそ、弊社とマッチングしているとお考えなのですね』と返されたときは、その度に面の皮を引っぺがして、壁に貼り付けてやりたかった。

――今日のところは、どうやった?

――ほぼ……いや、全部そうだったよ。他と変わらない。

 首都中央銀行の高瀬には、最高に虫唾が走った。

――小宮くん、きみがずっと追及してきた拘りはあるかね?

『そうやな……。ほな、ここで一つ小芝居うったろうか。あくまで健太郎がいかにも答えそうなやつ考えといたから、そう硬くならんくても大丈夫や』

――少なくとも私にとってはこれが一つの姿勢です。

 ほんと、最後まで楽をさせてはくれない。

 と、演技をしてる中、笑いを堪えるので必死だった。

 諦めた時、一気に年をとった。逆に言えば、幼すぎたのかもしれない。だから、もう期待しないことにした。

 それからはほとんど投げやりで、八つ当たりだった。

 ほら、早く落とせよ。

 と、何度唾を飛ばしそうになったか。

 あんたの目の前で喋っている奴は、本当のことを一つも言ってないんだぞ。

 お得意の質問で剥がしてみろよ。見極めろよ。

 お前は不合格だって、ビルの入り口にも立つ視覚はないって、フロア全体に響くくらい大きな声で追いだしてみろよ。

 いや、誰もそんなことを気にしてなんかいないんだ。だったら、あんたがそこにいる意味は本当にあるのか?あんたらが見ているのは、一体何なんだ?誠実さの欠片もない奴に、どうしてあんたらは合格通知を送れるんだ。

 俺がどれだけ首を捻って不平を垂れ流そうが、内々定を貰ってしまえば自分の名前にその企業の形が残る。輪郭がつく。たとえ、自分の占める存在がビルのガラス一枚にさえ満たなくても、何者かになったと勘違いしてしまう。

 それでいいのか?

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