誠実 二〇二一年 三月一日 ②
エレベーターを降りて最初にしたことは、フロアから面接案内に該当するオフィスを探すことだった。出て左にあったフロアマップを穴が空くほど睨み、オフィスまでの道のりを覚える。
ビルの最寄り駅に着いたのが九時三十分。万が一電車が遅延して遅刻してしまったらと思うと、早めに着いて少し時間を潰すくらいがちょうどよかった。それから二十分前まで、面接前最後の振り返りをした後、本社ビルに乗り込んだ。
マスクの下で表情を緩めながら考える。
今日、俺は初めて会う人に、自分のことを話す。今までと違うのは、この面接で面接官に認められれば晴れて内々定を貰える。つまりその会社で働く資格を得るということだ。
まさか、四人の中で一番最初に迎えるとは思いもしなかった。
俺は運がいい。
一つ角を曲がって人事部のオフィスへ入り、最終選考のメールに記載された内線をかけて相手を待つ。
――『はあああああ~』って、お前は恋する女子高生か!
――だから、頑張ろうね。
いや、人の運に恵まれたのだろう。
真子や拓実だけじゃない。大樹や元基、夏彦、雅也さん、佳穂さん、親父、お袋、兄貴、鳴海。もうしばらく会ってないが大学や高校の友達にも、これまでずっと助けられてきた。
ぐらぐら、ひょい。
――だから、真剣にやらなくちゃいけないんだ。
親父、俺は真剣にやれたのか。
――ほんと、面接官はどこ見てんだよ。
全員が全員同じ面接官というわけにはいかなかった。けれど、面接官が違うことはそんなに悪いことなのか。企業がひとつひとつ違うように、面接官の裁量や判断基準が異なるのは、そんなに悪いことなのか。
――自分はわかっとらんようやけどな、僕からすればどうして落ちるのかも全部わかっとったし、それが現実になっただけや!そんな奴にスーツがどうとか話すわけあるか!
落ちる理由くらい察していたよ。今さらだけど、拓実の言い方悪くなかったか?
――今まではずっと、大学の入試も就職活動も……、その先の結婚とかもずっと先にあって、俺の中で一番大切な選択をするのはもっと後だと思ってた。
俺は一番大切なものすら、選択の俎上に挙がらなかったよ。
――あたしはしばらくはそっぽ向いていたいんだよ。切り取って、比べて、色々なものを嫌いにならないためにさ。
ほんと、クソくらえですよ。やってられないです。だからって、前みたいに何もせずに、ベットで蹲っているのだけは違うと言えます。
――仕方ないよ。タイムリミットが来ちゃったんだから。
そうだな。ほんと、時間の流れが早くて困るよ。
――普通に回してゲームに勝つのと、出目を誤魔化すのとでは、もはや別物なんだ。
ブツッ、とコールが途切れ、声がする。女性だった。
「本日十一時から御行の面接を受ける、青原大学の小宮と申します」
「小宮さんですね。担当の者が向かいますので、お掛けになってお待ちください」
電話相手がドアのロックを外すのかと思いきや、中の社員が案内してくれるようだ。電話を切ってから一分と経たぬうちにドアが開き、水色のストライプが入ったスーツの男性が迎えに来た。
「本日はお越し頂きありがとうございます」
若本とネームタグに書かれた社員の後ろをついて面接室まで歩く。途中、二人、五人、十人程度が入れる小会議室を通り、中で社員がパソコンの前で口を動かしている。ここで説明会もしているのだろう。
こちらです、若本が扉の前で止まる。中には隣の若本があと三十年ほどの年月を重ねた数名の役員が、次の若本――、もとい社員にたり得る学生を見極めようと待っているのだ。
「頑張ってください」
若本が激励を送る。俺も早く見送られる側から見送る側になりたい。彼のくにっと曲がった目元を見て、急にそんな思いが湧いた。
ドアを叩き、「どうぞ」という返事がくる。
「失礼します」
部屋の奥でコの字に並べられた机から、男性四人と女性一人がこちらに視線を注ぐ。うち男性一人は、三次面接を担当していた社員だった。その男性が話を切り出す。
「本日はお越し頂きありがとうございます。三次面接の時にも担当しました、首都中央銀行人事部採用課の横嶋と申します。右から順に紹介致します」
一人一人の紹介に合わせて俺も頭を下げる。パソコンの前で話しているときは、画面に映らない部分が素っ裸だろうが関係なかったが、今日は複数人の目に全身が映っている。話すときは目線のやりどころに困りそうだなと考えながら、面接官の名前を聞いていた。さすがに頭取の名前を聞いたときは、伸びていた背筋にさらに針金を刺された気分だったが、調べる段階で一方的に顔は見知っていたので、それほど気後れしなかった。
面接官全員分の紹介を終えた後、横嶋に促され短めの自己紹介をする。
「早速質問に入るのも、緊張なされますよね。どうですか?コロナの前と後で、大学にも行く機会がなくて生活も大変だと思いますが、寂しかったりで心境の変化などはありましたか?」
雑談のように思えるが、自己紹介をした時点でこれも面接に入っているのだろう。スーツを握っていた手を緩めながら全体を見据える。
「学生寮に入っていたため、寂しさはそれほどありませんでした」
「寮生活でも色々規制があって、大変だったでしょう?」
「はい。以前と比べると、ルームメイト以外との接触はなるべくしないように、全員が注意していました」
「その点は、やはり大変でしたか」
意識はしていたが、指摘されると実際どうだっただろう。肯定しても否定しても、俺から会話を切ってしまいそうだ。ならば――、
「心境の変化という意味では、それほどでした。ただ、振り返ってみると、一つ一つの機会を大事にしていきたいと思うようになりました。外出する機会が減って、以前よりも人との関わりが希薄になったと思います。だからこそ、友達や恋人と遊ぶときは、いつもよりお金をかけたり、前もって計画を立てたりして、バランスを取るようにしました」
真子とも会う頻度は減ったりしたが、その分京都旅行だったりはお金や事前の時間をふんだんに使ったし、一段落ついたらまたどこかへ行くつもりだ。そのためのお金は随分貯めてある。残り少ない学生生活を楽しまなくては。
ちょうどいい時間だったのか、横嶋はメモに視線を落とした。
「ありがとうございます。では質問に入りたいと思います。一次面接でも伺いましたが、改めて金融業界を志望する理由、そして当行の志望動機をお聞かせください」
最終面接最初の質問は、志望動機か。再度説明を求めているのは、一次面接のとズレていないか、場当たりの志望動機でないかを確かめているのだろう。俺はマスクの下で笑顔を作った。
「業界に興味を持った理由は、銀行で働いている父のように、信用される社会人になりたいからです」
――受ける学生がどれだけ誠実であるかを俺は一番見てる。
十二月後半からは金融に絞って企業研究をしていた。絞らないことのメリットは色々な業種を調べ、比べて、判断できる視野の広さが挙げられる。俺も年を越すまでは自分で選択肢の多い方がよいと思っていた。だが、絞ることで、その分業界や企業を深く調べることができる。外に出るのが厳しい中でOB・OG訪問も大変だったが、説明会と同じくZoomを使いながら、表向きには出てこない情報を集めていった。
「尊敬している父が人々に信用される姿を見て、私も父のようになりたい、大切なお金や資産を扱う銀行で、社会の役に立ちたいと考えるようになりました」
志望動機には四百文字以内で書かされたが、それを丸暗記して話すわけにもいかない。なぜならこれは、面接という名の会話だから。
簡潔に。その分、熱意を込めて。体感、パソコンの前よりも三倍声を張った。
「お父様は現在、どちらへお勤めになっているのですか?」
「南東北信用金庫です」
これは後で、首都中央銀行を選んだ理由を訊く前振りだろう。
「小宮さんが金融業界に拘る理由はありますか?」
そうくるよな。だったら、敢えてその手間を省いてしまっても、マイナスにはなるまい。
「幅広い企業の発展に、経済的な力で貢献できることです」
最初の主張を言い切ってから、俺は小さく息をついた。ここは、少しゆっくり話そう。
「コロナ禍で飲食店を中心に、身近だった中小企業が休業してしまい、学生であった私自身、何もできなかったことを後悔していました」
駅前でシャッターを降ろした店、休業した店、お腹が空いてふらりと寄った店、拓実たちと何回も行った店。
今の俺が何かできたとまでは思い上がっていない。けれど、もし自分がそれを可能とする職業に就いていたら。
「先の御行の志望動機にも跨がりますが、御行は中小企業分野に強く、中小企業のお客様を第一に考え、融資の保証や、経営のサポートが出来ると考えています。またインターシップを通して、出会った社員さんもとても優しく、風通しの良さを強く感じました。以上が金融業界に拘る理由、ならびに御行の志望動機になります」
このあたりは他と差がつきにくい。皆があらかじめ準備をし、練度を高めてきた想定質問だからだ。
横嶋が志望動機で他の役員が訊きたいことはないか目で確認すると、「私が」と女性の役員が声を上げた。
「小宮さんはインターンシップを通して、どのへんに風通しの良さを感じたのか、具体的にお聞きしてもよろしいですか?」
「そうですね。御行のインターンシップでは、融資の流れをグループワークで行いました。始めに説明を受け、グループで話し合ったのですが、初めての経験で、訊いただけではわからないところもありました。私が社員の方に基本的な確認作業をした際、非常に丁寧なサポートをして頂きました。実際の職場でも、このような社員の方と一緒に働き、成長したいと思いました」
「なるほど。小宮さんは人から教わる際、時間をかけて丁寧に教わる方がよいのですね?」
そうやって誘導してくると思ったよ。
「はい。自力で学ぶことも必要だと思いますが、こちらの方が間違いも少なく、早く覚えられるのではないかと考えています」
ここは絶対に噛んでやらないからな、と決意して話すと、質問した女性は納得したのか、何度か頷きながらメモを取った。これで幾分かはさっきより雰囲気が楽になった気がする。
「ありがとうございます。私の方からは以上です」
俺と横嶋にそう返すと、横嶋は先と同じように目を配り、質問が続いた。予想外な出来事、思い通りにいかなかった経験と、それにどう対処したか、大学の講義の中で興味を持った科目、今までどのようなお金の使い方をしてきたか。
一通り答えた後、今度は中央に座る頭取の高瀬が、横嶋から質問を継いだ。
「小宮くんがお父様の背中を見て育ち、現在の問題でもある中小企業の支援から当行を志望したことはわかった」
高瀬と目を合わせると、口の中が急に乾いた。この人が採用に関しても、他の役員より影響力を持っていることは間違いない。
ここが正念場だ。
「では、そのような経緯をもってして、当行に入り、何を成し遂げたいと考えるかね?」
部屋に入った時以上の視線が、俺に集まる。
「業務を選べるという仮定においてですが――」
あくまで謙虚に。けれど、主張は力強く。
「個人としては、真っ先に頼られる存在になり、お客様の信用に応えること。業務の目標としては、東京の経済を活性化させることです。そのために、入行してからは中小企業診断士の資格を取得し、顧客のために尽くすことができる人材になります」
「中小企業だけかね?東京に日系企業の本社の多くが集まっていることは、知らないはずもないだろう?」
「そのつもりはありません。しかし、企業の九割は中小企業で構成されており、東京もその例外ではありません。大企業はもちろんですが、基盤となる中小企業を最優先に働きかけ、セーフティネットとして我々の役割を強化することが必要だと考えております」
自分のやりたいこと。企業研究やOB訪問で確かめた組織図、業界全体で取り組むべきこと。思いの丈をぶつけた俺を、高瀬たちはどう評価するのか。他の質問で高瀬以外を納得させても、高瀬がNoと言ってしまえば通過は厳しいだろう。そんな気がした。
「わかった」
高瀬は表情を変えずにペンを走らせると同時に、俺は膝の上に置いた腕時計を確認した。面接予定時間のちょうど半分が過ぎ、いつ逆質問に移ってもおかしくないくらいだ。横嶋もそう思っているのか、役員たちの顔を伺っている。すると、高瀬がやや身を乗り出した。
「では私からはもう一つ質問させてもらう。小宮くん、きみがずっと追及してきた拘りはあるかね?」
「拘り……ですか」
「そうだ。一貫性と置き換えても構わない。就職活動をしてきたきみなら、ホームページの経営理念くらい目を通してきただろう。当行でもそれは同じだ。だが、組織としてではなく個人として、きみのこれまでの人生で培ってきたもの、目指してきたもの、そしてこれからの人生でも大切にしたいもの。それを教えてほしい」
この人は、曲がりくねった道を一直線に直す作業を見ている。現在まで続く文脈を、この先もそのまま変わらないと信じている人。
ほんと、最後まで楽をさせてはくれない。
「少し長くなってしまうかもしれませんが、よろしいでしょうか?」
「構わん。聞かせてくれ」
「ずっと、というわけではありませんが、少なくとも就職活動中、私は誠実さに拘ってきました」
説明会で画面に映る社員の口から何度も聞いた。資料にも何度もその字面が載っていた。
凄く綺麗だと思った。文字の形も、その意味も。
けれど――、
「誠実さというのは、おそらく社会人にとって最重要項目の一つだと考えております。御行の採用ホームページにも、誠実な学生を求めていると記載されていたくらいです。しかし、私は誠実さとは何を表すのか、辞書的な意味は理解していても、それが示す具体的な行為を掴みかねていました」
嘘をつかないことなのか。相手の立場に置き換えることなのか。愚直に取り組むことなのか。相手に尽くすことなのか。
「家族や友人、社会人の方や恋人にも訊いて、考えて、考えて、考えて……」
「考えて?」
「ですが、自分で納得のできる答えを、この場で説明することはできませんでした」
どれも正しいように思えて、でも根拠にできる実体験が俺には無かったから。相手に説明して、ぐちゃぐちゃに絡まった紐を解きほぐしてみせることはできなかった。
「つまり、あなたなりの誠実さはわからなかったというわけですか?」
「答としては。そうです」
役員の訝かしむ視線がスーツにチクチクと刺さる。
「ですが、ずっと考えてきたこの時間は、私にとって、何よりも己に正直でいられました」
仕事でも答が明確なことは決して多くないはずだ。与えられた条件の中、限られた時間で社内のメンバーと話し合い、考え続け、顧客の前で現時点のベストを叩き出さなければならない。
その考えた抽出物こそ、結果であり――、
「それが誠実であると?」
「はい。頭取のお考えになられていたものとは違うかもしれませんが、少なくとも私にとってはこれが一つの姿勢です。これまでも、そしてこれからも」
話し終えてから少しの間、口を開くものはいなかった。ペンの音とマスクの内側が膨れる静かな息遣い。ふうとつく息が、今までで一番熱かった。
「そうか……。わかった」
高瀬はそう言って、ペンを置いた。
「ではですね、今度は小宮くんの方から質問などがあれば受けつけたいと思います」
どうでしょう?と次は逆質問の時間がきた。正直、俺は自分で何を訊いたのか、よく覚えていない。ただ、腕は動かしていたので、最低限メモは取っていたのだろう。
こちらからの質問が尽きると、面接は終わった。
「これで面接を終了したいと思います。何か最後に一言ありますか?」
横嶋が俺の方を向く。ありません、と答えようとした。
「私からひとつ」
瞬間、全員の視線が集まる。
名乗り出たのは、高瀬だった。これには俺だけではなく、同じテーブルに座る役員ですら瞠目した。
「当行では今、経営の転換期に迫られている。きみも知っているとは思うが、行員の週休三日制、早期離職、AIによる簡易的な融資提案など、業界全体が大きな方針転換に動いている。愚直に働けばよかった昔とでは、構造が違うのだ。私は真面目な人間が好きだが、今の時代に真面目だけが取り柄な人間は、当行では採用しない。なぜなら、それはAIで十分補えるからだ」
最後の割に厳しいことを言う。清濁併せのむ老練な銀行員からすれば、このくらい寧ろ温いのかもしれないが。
「もっとも、かくいう私もそれくらいしか、取り柄と呼べるものが無かったのだがね」
若い頃の自分の甘さを嘆くように首を振りながら、高瀬は再び履歴書に目を通す。口調は厳しいながらも温厚だった高瀬の目元が、よく見ると文字を眺めるときだけ妙に険しい。
……老眼、か。
仙台にいる両親や鳴海も老眼で目がぼやけてきたのを嘆いていたが、考えてみれば高瀬は両親よりも高齢なのだから、何もおかしいことはない。……ないのだが、これだけの企業のトップが、両親と同じく老いに悩まされ、目の前でぼやけた文字と格闘していると思うと、表情が緩んでしまう。マスクをしていて本当によかった。これで咎められでもしたらたまったもんじゃない。
「結果は追って伝える。だが、きみが当行で働くことを、心から楽しみにしている」
「はい、ありがとうございま――………」
――――今何と?
垂れた頭をたまらず上げるが、「出たまえ」と、にべもなく促す高瀬にもう一度頼むことはできなかった。
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