誠実 二〇二〇年 十月五日 ②
「よーい、はじめ」
お題を聞いて、まずはじめに思ったことは、『どうやって結論を出すか』だった。たとえばこれが数学だったら、まず議論の必要もなく問題に取り組むし、でなくても『東京駅の本屋の売り上げを上げろ』といった指向性のあるテーマの方が、まだとっかかりが掴めた。
テーマが抽象的すぎる。こんなの、全てが合っていそうだし、その逆さえありえた。
最初に口を開いたのは、元基だった。
「とりあえず、時間配分だけ先に決めちゃおうか。時間は限られてるし」
反対するものはいない。
「どうする?何にどれくらい使う?まとめる時間は五分くらい必要だとしても、ペルソナの設定と、アイデア出しをどれくらい取るか――」
「ちょっと待って」
大樹が言葉を遮った。
「アイデア出しはわかるけど、ペルソナってなに?ゲーム?」
「いやいやちゃうて。たしかにあれは名作やけど、今は関係あらへんよ」
けらけら笑いながら拓実が説明する。
「ペルソナっていうのは、この場合だと仮想の人物を定義しましょうってことや。このテーマもそうだけど、ふわっとしすぎやん?だから、適当な社会人をでっち上げて、その人物にぴったりな幸せを考えてあげるための土台作りをするんよ」
「なるほど。イメージを固める感じね」
納得したように大樹は頷いた。
グループディスカッションには、基本的な流れが四つある。時間配分、ペルソナの設定、アイデアだし、発表を行うためのまとめだ。
「まとめで五分必要なんだったら、残りを二等分でいいんじゃない?七分・七分・五分でどう?」
「そうしよっかー」
「はじめって言われたときからタイマー起動させてたから、俺がタイムキーパーやるよ」
「おっ、元基!気が利くじゃん」
これで時間配分は終わった、あとはペルソナの設定なのだが――、
「どうすべきかな?これ」
皆同じような顔をして頭を悩ませていた。このテーマは自由度が高すぎて、何を軸に固めるべきかの根拠が不足していた。そのせいで、どうしても喉の奥が突っかかる。「二分経った」と元基が告げた時、誰かが膝を叩いた。
「よし、設定は僕たちで自由に考えよう」
何か案を出さなければ先に進めない。淀みかけた空気を払ったのは大樹だった。
だが――、
「それで大丈夫か?」
大樹の言葉に引っかかりを覚えたのは、元基だけでなく拓実も同じようだった。大樹の『自由』は自暴自棄と紙一重にも聞こえた。「つまりこういうことじゃない?と」俺は元基に補足する。
「抽象的ってことは、逆に言えば『何しても不正解にはなりませんよ。でも、ちゃんと過程を踏んでまとめてくださいね』ってことでしょ。だから、大樹は中身を詰めるために、自由度の高い設定はどれ選んでも大丈夫だから、さっさと決めようって」
大樹はうんうんと小刻みに首を振る。
「なるほどね。だったら、人物像は結構絞った方がいいよな。そうした方が説明もしやすいし、アイデアもパッと出そう」
「俺たちに近い条件でいいんじゃない?二十代男性とか?」
「もっと絞った方がええな。年齢、性別、職業、会社の規模、勤務地と居住地、あとは結婚相手がいるかどうか、とか。こんぐらいまでは詰めた方がええと思う」
「とりあえず、一個ずつ決めてこう」
同じメンバーでも普段の会話とグルディスでは、印象がまったく違うように思える。パズルを一枚ずつ埋めていく作業だった。
二十五歳男性。民間のWeb広告に力を入れている代理店に勤めていて、本人は田園都市線沿いのアパートに住んでいる。年収は手取りで三百万円。人物像が明確になってくると、テーマも具体的な案が浮かびやすくなる。
「あと決めるところあるかな」
拓実が確認すると大樹が手を挙げて言った。
「ねえ。この人は仕事のモチベーション高いのかな?」
大樹の何気ない一言で、アイデア出しに半分くらい突っ込んでいた頭が持ち上がる。反省するように拓実が手を前に合わせる。
「ごめん。すっかり忘れとった。それも決めなあかんな」
「俺も次いこうって言いかけてたわ」
「まだ、一分半あるから大丈夫だよ」
モチベーションか。余計な情報を入れたくなくて、俺はキーボードに目を向けた。
「昇進したり給料たくさん貰うためにバリバリ働く方が、イメージしやすいかな?」
「でもそれは時代に逆行してない?俺は自分の時間を使ったり、彼女や友達と遊んだり呑んだりできる時間があってもいいと思うよ。今回は年齢が二十代男性だし」
「それだと社会人の幸せとズレない?ほら、いくら働き方改革が叫ばれてても、社会人って働くのがなんぼって感じじゃない?」
大樹は元基だけでなく、拓実や俺にも話を振っていた。
「ズレるってことはないでしょ。働くことが全てってことの方が普通よりズレてるよ」
これはちょっとやそっとじゃ決まらないと、俺は直感した。これはつまるところ、個人の主観的な価値観によって左右される。ならば、ずれるのも当然だ。その擦り合わせをしている時間が、今はあるだろうか。
「おっけー!ほな、こうしようか!」
拓実が今までで一番大きな声を出して、場を支配した。
「社会人一年目から活躍できるくらい、たくさん働ける気力がある人は手を挙げて!」
画面の中で手を上げたのは誰もいなかった。
「なんや、大樹。てっきり挙げると思っとったけど」
大樹は最初に言い出した分、自分でもその気があるのかと思ってた。
「どっちに挙げるべきなのか、わからなくて挙げなかった。てか、多数決で決めるの?大丈夫?」
「最初に僕たちと近い条件で考えるって案やったから、平気やろ」
あっけらかんと答える拓実に、大樹は何か言いたげだったが言葉は出なかった。。
「次行っても大丈夫やろか?元基、時間今どれくらい経った?」
「八分くらいかな」
ほっとしていたが、グルディス自体はまだ最初の工程を終えたところだ。あと、十二分で発表ができるまでにまとめなくてはいけない。
「少し考えてるときに大樹と元基がそれっぽいこと言ってて、あれも『社会人の幸せ』に入るのかなと思ったんだけど……」
「なるほど……どうやろ?元基」
「さっきも言ったけど、ワークライフバランスは大事だと思うよ。ていうか、ぶっちゃけその状態を保っていることが、俺は社会人の幸せだと思うんだけど」
たしかに先の設定は方向性を固めるためものだった。だったら――、
「なら、仕事とプライベートにおける幸せを深掘りすればいいんじゃない?この場合のアイデア出しって、そういうことでしょ」
「ええと思う。二人はどう?」
大樹と元基もそれぞれ肯定的な返事が返ってくる。
「まずは仕事から先にしよか。仕事における幸せっていうのは、お金がもらえたり、自分の仕事で誰かが喜んでくれることがわかりやすいと思うんやけど、他にはあるかな?」
はい、と大樹が手を挙げる。
「会社を大きくすることとか?いちから作るっていうのもあるけど」
設定はどっちだったっけ、と会社の規模の欄を確認する。『大手と比較すると小さい→中堅?』と記載されていた。誰だよこんな中途半端に設定したのは⁉と喉まで出かけたが、書き出したのは俺だった。
「この場合だと、大きくする方でええかな。あとはどうやろ?」
「二十代っていう若い社会人を設定したんだから、経験を積んで成長していくことも入れていいんじゃないかな?」
「そっか。僕たちより年上だと勘違いしてまうけど、二十五ってまだまだひよっこやな」
「でも、これから任される仕事はどんどん大きくなるでしょ」
「年齢関係なくなっちゃうけど、そういうのを通じて自己成長になるのかな?」
「自己成長か~。キーワードっぽいの出たな」
一分間という短い時間では、話す言葉は限られている。自己成長という言葉が一つの軸として、語られなかった言葉をカバーするのではないか。
「社会人がスキルを積んで、自己成長した結果、収入が上がる……みたいな?」
マイクには拾われないため息を零したのは、自分ではわからない部分を有耶無耶にしたからだ。
「ごめん、ぼかしすぎたわ」
「今の僕たちたちだと、込み入った話はできひんやろ。それに二十分しかないからな。今回は全体像を考えるだけで十分や」
そろそろプライベートの方いく?と振ると、大樹がおずおずと手を上げる。
「まだ時間あるからいいかな?」
「全然ええよ。どないしたん?」
手で促す拓実とは反対に、大樹は頬を掻いたり鼻筋に皺を寄せたりして、落ち着かない様子だった。それでも俺たちは何も言わず辛抱して待つと、きつく締まっていた口を開いた。
「俺はいまいち自己成長とワークライフバランスが繋がってるように思えなくてさ。ほら、勉強とかはすればするだけ、点数が上がったりするじゃん」
「だからって、定時に帰る社員が成長しいひんと考えてるなら、それは会社ごと間違ってるやろ。スポーツでも練習時間が多い順に強いかって考えたら違うやん」
拓実の声を真っ直ぐに受け止めて大樹は頷くが、まだ腹の中に何かを隠している気がした。
「ほら、今までってさ、いい学校に入ることが一つの目的だとしたらさ、ゴールに向けてリソースをつぎ込むことが必要だったじゃん。今回の目的のために、時間っていうリソースをつぎ込めばいいのか考えてて」
大樹が言い終えると、拓実がぐっと上半身を丸め、パソコンに近づく。堂々巡りになるんじゃ、と不安になりながら見ていると、その前に元基が声を通した。
「たしかに時間は多い方がやれることも増えるし、時間をかけるほど成果も多少なり上がるんだろうけどさ。拓実も言ってたように、だからってそれ以外のやり方が違うわけでもないと思う。大樹だって、別に最初の設定を変えるために話したんじゃないんだろ?」
ゆっくりとした口調に合わせて息を吐くと、体の中で溜まっていた余計なものも一緒に出たようだった。大樹は、ふるふると首を小さく振ると、額に手を当てながら呟いた。
「ごめん。蛇足だったかもしれない」
「ええって。テーマに関係しとるからセーフセーフ」
「今が十二分過ぎたとこだから、あと三分くらいで仕事以外のアイデア出しちゃお」
プライベートの方はとりあえず言ってみようという雰囲気がより進行して、たった三分の間に『仕事』の欄よりも倍近く書き出された。
十五分経ったと知らされると、自分の顔が近くなっていて慌てて姿勢を正す。
「あと五分なんだけど、これどうやってまとめようか?」
「仕事の方は自己成長を話して、プライベートの方は友達や自分の趣味の時間を楽しむってことでいいんでしょ」
「そうやね。あとはつかみで相手が納得するように、二つの状態を上手く一言で言えへんかと思うてな」
「ああ、結論ファーストね」
「ワークライフバランスでいいんじゃないの?」
「その通りなんやけど、せっかく二十分間話し合ったものだからさ。別の言葉に置き換えたくてな。もっと適当な言葉があると思うんよね」
このまま最後までいくかと思っていた話し合いが、主導してきた拓実の手によって一度止まり、俺たちは小さく唸りながら厳しい顔を見せ合う。
自己成長。勉強。学校。ワークライフバランス。友達。趣味。幸せ。
幸せなんて、考えたことなかった。今までだったら、ただなんとなく学校に行って拓実たちみたいな友達が何人かいて、そいつらと適当に何かをしているだけでよかったけど、いざ誰かの前で答を一言で出さないといけなくなると、乾いた唇がどうしても離れてくれない。
――あなたのエピソードで話してください。
いや、待て。あの時間は社会人になってから、包丁でぶつ切りにして繋がらないなんてことは絶対ないはずだ。学校と放課後。授業と部活。講義とバイト。全部繋がっているはずだ。余計なものも含めて全部――、
「循環かな……」
――はくちょう座のデネブ、わし座のアルタイル、こと座のベガを繋げば夏の大三角だ。
繋がった。
ガタッと視界がぶれると同時に俺の肘が机から外れ、手の甲を強かに打った。
「ってえ!」
画面に映っていることなど忘れ、手を押さえながら呻く。あとで痣になっているやつだ、と顔を顰める俺をよそに三人は呆れていた。
「はあ、なにやっとんねん。……大樹。今言った循環っての、説明してくれるか?」
「俺もぽっと思いついた言葉だから、どうやって説明すりゃいいか、自分でもよくわかってないんだよな」
あの、と俺は痛くない方の手を挙げる。
「なんや、もう一方の手もぶつけたわけじゃないやろ」
「うるせえ」と内心毒づきながら三人を見つめる。
拓実は自分の意見を出しながら、誰もが話しやすいように場の雰囲気を保ち続けた。
「あと三分な」
元基は発表の基礎を提案しながら、率先してタイムキーパーの役を買って出た。
大樹は拓実や元基が出さない案を補完しながら、まとめのアイデアを出してくれた。
この十数分間、ずっと拓実たちと話し相槌を打ちながら、置いてかれてるのではないかという疎外感を抱いてきた。役に立ちたいと思いながら話に耳を傾け、考え続けた時間は絶対に無駄じゃない。口を開けたとき、血の味はしなかった。
「大樹が言ったの説明できるかも。多分――」
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