誠実 二〇二〇年 九月二十七日 ②
結局、夕方まで観光して、寮に帰ってきたのは朝だった。夜行バスではもう帰りたくないなと、欠伸をしながら部屋のドアを開ける。
四日ぶりに戻ってきた部屋は、相変わらず俺のスペースだけ散らかっていたが、目を引いたのは全身鏡を前にして前髪をいじっている拓実だった。こちらに気づいていた拓実が準備を終えたのか、振り返った。
「おー、昨日帰ってくるかと思ったから、心配したわ」
「LINEしたじゃん」
昨日の夕方、拓実には帰るのが一日遅れると連絡した。でなくても、帰ってこなければ拓実は連絡してくるからだ。お土産を詰めたスーツケースがてかてかと朝陽に照らされて、早く空にしろと言っているみたいだった。
「……面接でも行くの?」
鏡に映った拓実は、ニュースで報道されているようなリクルートスーツを着て、髪も黒く染めていた。俺は拓実がスーツを買っていたことを知らなかった。
共用のクローゼットにあるのはお互いの私服、部屋着、拓実がもらってきた衣装、中には俺をいじるための女物の衣装も含まれていた。
活力を漲らせたような拓実の姿を見ると、肩に掛けたトートバックが余計重く感じる。
「ああ、ちゃうちゃう。インターン」
当たり前のようにあっさりと答える拓実に、心臓の音が聞こえていないか心配だった。拓実からその言葉を聞くのはもっとずっと後だと思っていたし、その時には拓実から焦燥を掻き立てられないところに俺はいるはずだった。
「そっか。何も言ってくれなかったからびっくりした」
拓実は旅行に行く前も、帰ってくる時にも言及しなかった。でも――、
「健太郎は旅行楽しみにしてたから、変な気にさせたくなかったんよ。スーツ届いたのも、一昨日やしな」
拓実ならそう考えるだろうと、俺も思った。
「ちなみにどこよ?」
拓実が返した企業は、小学生でも知っているような大手通信企業だった。俺も申し込んだが、ESで落ちた。その事実に心臓が大きく跳ねた。口の中でバチッと火花が弾けた、気がした。
「じゃあ、そろそろ時間だから行くわ」
拓実は鞄を左手に持って過ぎていく。ドア越しに遠ざかっていく足音を、どん、とバックを落として消そうとした。
今は何も考えたくない。考え出すと、どんどん火花が散って、爆発してしまいそうだった。
これから学校や仕事に出てくる人を照らす太陽が、眠りにつこうとした瞳に入り込む。両目をしばたかせると、拓実が出ていった跡が光でぼんやりと型取られた。
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