誠実 プロローグ ②
「弊社を受ける上での志望動機を教えてください」
就職活動において、志望動機はES――エントリーシートか面接のどこかで絶対に訊かれる。だから俺もそれだけは、必ず事前に固めた。
結論ファースト。結論ファースト。
「私は食べることがとにかく好きで、働く上で食の価値を世界中の人に提供したいと考え、弊社を志望しています」
最初に結論を伝えれば、相手に理解しやすい……らしい。今まで意識したことがなかったことを口から出す行為は、思ったより難しいことを最近知った。声はちゃんと通っているだろうか。面接前のマイクテストでは問題なかったが、オンラインだと感情表現が相手に伝わりにくいせいで、いつもよりずっと余計に気を遣わなければいけなかった。
「食に関わる会社は沢山ありますが、その中であえて弊社を志望する理由はありますか?」
はい、と頷く。
「私は冷凍食品が好きで、弊社の冷凍食品部門が業界でトップシェアだからです。私の両親は共働きで、たまに母の帰りが遅くなるときがありました。そんな時、私と兄はいつも、両親が帰るよりも前に冷凍食品で小腹を満たしていました。特に弊社の極細パスタが両親の作る料理よりも好きで、私はいつもたらこパスタを食べていました。私は働く上で温かく美味しい食品を、誰でも作れる御社の商品をたくさんの人に届けたいと思い、インターンシップを志望しました」
俺の目はずっと松野から離れなかった。どうだ?どうなんだ?
「他の商品で興味を持ったものはありますか?」
質問を投げる松野の反応を読めなかったが、志望動機の掘り下げには淀みなく応えられたことで、少しずつ緊張が解けていった。この調子なら通るかもしれないと思わせるような手応えが、微かだが確実にあった。
一度松野がメモを取った後、質問が変わった。
「エントリーシートにも記載して頂いたのですが、改めて小山さんの自己PRをお願いします」
きた。ワックスで固めていた毛先が、ぶわっと横に広がる。
「私の強みは、人と協働する際の粘り強さです」
体の中が熱いのは、緊張しているからだけじゃない。肌を出している部分だけが、冬の乾いた風に当たってるみたいで痛い。
「その強みはいつ発揮されましたか?」
「大学二年生の冬です。所属する松山ゼミで、私はゼミ長をしていました。今年の二月に学内ゼミのプレゼンテーション大会があり、松山ゼミは三位になりました。プレゼンに関わるメンバーは十名程でしたが、全体で集まれる時間が限られており、いかに全体で集まれる日に発表をまとめられるかが課題でした」
当時、本当に課題だと思っていたかどうかは、今の俺には答えられない。
「健太郎さんはその課題をどのように解決しましたか?」
解決。舌が粘っこく乾いていた。
「はい。発表に向けて準備をする内にタスクが決まるので、私がタスクを分割し雛形を作って、集まるまでに各自で処理しました。ただ、中々処理する時間を取るのが難しいゼミ生がいて、全体の調整が難しかったです。全体の状況と個人への理解とその調整を何回も行うことで、全体で集まるときは発表に時間を割くことができました」
最初と比べて随分早口になってしまった気がする。ゆっくり喋ったほうがいいことは頭ではわかっているのに、一秒でも早く口から出さないと、紙吹雪のように全て飛んでいきそうで怖い。
でも、もう少しだ。松野がその後ゼミの質問をいくつかしてきたが、上手く答えられた。このままいけ、と腹の奥で叫んでいた。
松野は、小さく頷いた後言った。
「では、その強みを用いて、弊社にどのように貢献できると考えますか?」
一瞬考えた後、唇を噛んだ。さっきの回答と一緒に用意したものまで出てってしまい、言葉に靄がかかっている。
松野の隣にいる俺は、この世の終わりを通告されたように青ざめていた。空気の中に散った回答を吸い出すつもりで、深く息を吸った。
「弊社の業務を、誠意を持って徹底的にやり抜きます。インターンシップだけではなく、実際の業務でも全てが順調にいくことはないと考えています。勿論、予防できる失敗に対しては、徹底的に準備を重ねミスの内容に関して、徹底的に周りと連携して心がけますが、困難に直面しても絶対に諦めず、徹底的に成果を出します」
徹底的を何度繰り返すんだ。アホ。
暗い顔をしないように小さく口角を上げつつ、机の下で手の甲をつねった。だけど、即興にしてはまだ許されるレベルを出せた……はずだ。まだ大丈夫。大丈夫だ。そう思っていると、松野は穏やかな表情を変えずに次の爆弾を落とした。
「小山さんは、御家族や御友人からどう思われていますか?」
俺は自分の顔が見えなかった。
え?え?今なんて言った?ゴカゾクやゴユウジンカラドウオモワレテイルカ?そんなの、なんて答えればいいのか知らないし、用意してない。やばい。どうするどうするどうするどうする……。さっきので、頭の中を全部使い切って、段々痛くなってきた。
でも、松野さんは待ってくれない。
「えーっと……」
何か出さなきゃ。
「えーっと…………」
松野はずっと表情を崩さなかった。でも、さっきとは意味が違う。
「大丈夫ですよ。時間はありますから、落ち着いて、話してください」
またか。まただめなのか。
その後、自分が何を話したのか、全く覚えていなかった。
Zoomが終了したのを確認して、俺はスプレーで固めた髪を掻き乱した。
絶対に落ちた。最悪。最悪だ。手に届かないうちにあるウェットティッシュも、似合わないスーツも、表情を崩さない松野も、ふがいない自分も全部最悪だ。上着を脱いでいると、スマホの画面が光った。拓実からだ。
「面接終わった?もう着いたから健太郎も早く来いよ』
わかった、と返事を送り、いそいそと私服に着替える。嫌なことは全部食べて忘れよう。そうすれば少しは気分が晴れるだろう。
財布とスマホを持って扉を開ける。クーラーのない廊下は、岩盤浴みたいに蒸し暑い。部屋のクーラーはやっぱり壊れていなかったんだ。「あっつ」と呟き、俺は口元が心許ないことに気づいた。
部屋に戻り、ウェットティッシュの隣にある白いマスクを手に取る。寮を出るまでつけないのは、暑さに対するせめてもの抵抗だった。
夏にマスクなんて、最悪だ。でも、コロナに罹るのはもっと最悪だ。
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