その漫画家、二刀流につき

真偽ゆらり

筆と剣

「今日もいい天気で取材日和っすね〜」


 快活な声を上げ、道を行く妙齢の女性。

 彼女は漫画家と冒険者の二足の草鞋わらじを……失礼、漫画家と冒険者の二刀流を成す女である。

 

 描いた絵を記録し、対になるモノに送る事ができる魔道具に絵を描きながら彼女は歩む。

 絵を描きながらも彼女が周囲への警戒を怠る事はない——むしろ、描いている手元を見る事もなく周囲を観察していた。


 程なくして彼女は後方から接近してくる気配を察知する。冒険者生活で鍛えた五感が馬と獣の足音を、微かに漂ってきた山椒の香りを感じ取った。そして漫画の取材を通して得た知識や経験が状況の把握を導く。


「誰か香草狼牛ハーヴルフに追われてるっすね」


 一見すると馬が狼型の魔物に襲われている光景。しかし、あの魔物は狼っぽい外見をしていながら草食なのである。それもその身に生える植物と同じ植物しか食べない程の偏食家な草食の魔物だった。

 この魔物は主食とする植物の肥料とする為に狩りを行う事があるが、縄張りから大きく離れてまで執拗に追い回したりはしない。

 唯一の例外は好物である植物の香りを縄張り外から嗅ぎ取った時だ。


 馬と魔物達が彼女の前を通り過ぎていった。

 魔物は彼女に目もくれず馬と馬の背にしがみつく山椒の粉塗れの少年を追う。もっとも、魔物達が振り返ったところで彼女の姿は無い。


 なぜなら彼女は馬を追う魔物達と並走しながら手に持つ魔道具に疾走感溢れる魔物達の姿を描き起こしているからだ。


「前に取材で出会した時は森の中で、走ってる姿を長く観察できなかったのでラッキーっす」


 彼女は魔物達の絵を描き上げると走る速度を上げて逃げる馬と並走し、馬の背にしがみつく少年に話し掛ける……事はなく、必死に馬にしがみつく様を描き起こし始めた。


「あ、あの! た、助けてください!」

「あ〜もうちょっとで描き上がるんで少し待ってほしいっす」

「か、描き上がりました!?」

「あ、正面からのも描きたいから待ってもらっていいっすかね? 報酬の前払いって事で」


 彼女はそう言うと更に走る速度を上げて馬の正面に周り、背走しながら懸命に馬の首にしがみつく少年の絵を描いていく。


「そ、そろそろ限界なんですけど……」

「書き上がったんで、あとちょっとだけの辛抱っすよ!」


 彼女は手に画材の魔道具を手に持ったまま進行方向を反転——馬を避け、先頭の魔物とすれ違いざまに脚を振り上げた。彼女の脚は魔物には届いていない。


「ええ!? 当たってないです……よ……」


 少年は二度驚いた。一度目は彼女の攻撃が擦りもしていない事に、二度目はそれにも関わらず魔物の首と胴体が泣き別れしている事に。


「もう一丁っす!」


 彼女が振り上げた脚の勢いそのままにもう一方の脚で回し蹴りを放つと、首と胴が分かれた魔物がもう一匹増えた。

 脚を振り上げた事でロングスカートから露わになった彼女の脚は女性には似つかわしくない物々しいブーツに覆われていた。機甲感満載の鈍色をした鉄靴の脚先からは魔物の血に塗れた刀が伸び、彼女の動きに合わせて魔物達を切り刻んでいく。


 地面に突き刺した脚先の刀の上に立ち、五本指に枝分かれした鉄靴の指先が掴む刀で飛び掛かってくる魔物を寸断。跳び上がり魔物の頭上で宙返りをしたかと思えば、魔物は右半身と左半身に分かれて血の海へ沈む。


 彼女は漫画家と冒険者の二刀流でもあるが、二本の刀で戦うという意味での二刀流でもあったのだ(ただし、刀は脚から出る)。


「もう大丈夫っすよ〜」


 彼女は馬上の少年と目線を合わせて話し掛けた。


「え!? 身長が伸び……あ、剣の上に立ってるんだ。えっと、助けてくれてありがとうございます」

「どういたしましてっす。私もいい絵が描けたんで満足っすよ。じゃあっす」


 礼を受け取ると直ぐに背を向けて去ろうとする彼女を少年は呼び止める。


「なんすか?」

「えっと、お名前をお聞きしても? あとお願いしたい事が一つ……」

「『マゴノ・テンセイ』って漫画家っすよ。護衛しながら描く絵は飽きたんで護衛はお断りっすよ?」

「いえ、僕が来た方に父がいるんです」

「父親の救助っすか」

「違いますよ。死んだかどうか確認してきてもらいたいんです」

「……ったっすか」

「殺ってはないです。ただ、あの魔物から逃げる際に魔物の気を引く為に積荷に火をつけました。積荷は香辛料です。父……いえ、あの男は命より商品が大事なのか火を消そうとしてましたけど」

「よく知ってたっすね。この魔物が香辛料に群がって来ること」

「少し前に教えてくれた人がいまして」

「まぁ、いいっす。ちなみに山椒の粉塗れなのはなんでっすか?」

「あの男が自分だけは助かるようにと、馬で逃げようとする僕を囮にする為に山椒の粉が入った袋を投げつけてきたんです」

「悪役キャラによさそうな感じっすね〜報酬は取材を受けてもらうって事でいいっすか?」

「はい、ありがとうございます。この先の都には初めて訪れるのですが何処へ行けばお会いできますか?」

「冒険者組合に伝言を……たぶん、追いつけるんで気にしなくて大丈夫っすよ?」


「…………え?」


 少年が首を傾げた時には彼女は少年の視力では顔を識別できないくらいの距離にいた。


「スパイシーな匂いがしてきたっすね〜」


 彼女の嗅覚が捉えたのは複数の香辛料を混ぜ炒めた食欲を増進させる香り。奇しくも彼女が取材先で食べた『カレー』なる食べ物の匂いとよく似ていた。


 バラバラになった馬車の上に散らばる積荷の袋に群がる魔物は近づいてきた彼女に一瞥もくれずに積荷の香辛料を貪っている。


「ここまで群がってるのは中々見れないから絵に起こしとくっす」


 依頼は死体の確認なので急ぐ事はないと判断した彼女は魔物達の食事を邪魔しない程度に近寄り、一心不乱に香辛料を口に運ぶ牛の角が生えた狼の絵を描いていった。


「……た、助け……」

「今、いいとこなんで後にしてくれっす」


 掠れた中年男の声は彼女の耳に届かない。


「お、おい……何をしている……早く私を助けらのだ……」

「この匂い、腹減ってくるっすね〜」


 傲慢な物言いで続く中年の声。しかし彼女は相手をしない。絵を描くのに忙しいと。

 中年の声は次第に懇願するものへと変わっていった。


「た、頼む……助けてくれ。今助けてくれれば迷惑料は取らんから……お願いだ……」


 絵を描き終えた彼女が中年に目を向ける。


「おぉ……そうだ、私を助けるのだ。い、今なら……碌に囮もこなせなかったバカ息子の代わりに……召使いとして雇って……やる……」

 

 彼女が手を差し向ける事はなく、彼女の手は再び絵を描く為に画材の魔道具と動く。


「お、おい……なに……を……」

「いや〜人が死ぬ瞬間を落ち着いてスケッチする機会って中々ないっすから」

「ふ……ざけ…………」

「息子さんに頼まれたんすよ。あんたの死を確認してくれって」

「……な……にぃ……」

「相当恨まれてたみたいっすね〜死んだらそこの魔物達があんたの好きな香辛料の肥料にしてくれるっすよ」

「…………————」


「……死んだっすね」


 四肢があらぬ方を向き、咬み傷や角で穿たれた穴から血が垂れる中年男の身体が物言わぬ身体へと変わった事を確認した彼女は踵を返し宿への帰路へつく。




 途中、山椒塗れの少年と合流し共に都へ。


 いく当てのない少年を取材の経費で新たに取った宿の一室で休ませ、彼女は宿を出——


「さ〜て、見つからない内に冒険者組合にでも顔を出すっ——」

「誰に、見つからない内にですか?」

 

「そりゃあ勿論、担当編集……」

「おかえり、先生?」


 ——る事は叶わなかった。


 彼女は襟を掴まれ引き摺られながら思い返す。

 『ペンは剣より強し』と転生者である祖父に教わり、ペンと剣の二刀流なら最強なのではと考えていたが間違いであったと。


 彼女が連載を抱える漫画家である限り〆切から、依頼を受ける冒険者であれば納期からは逃げられない。今の仕事を続けたいと思う限り。


「まぁ、この仕事が好きなんで逃げる気はサラサラ無いっすけどね。それでも本当に追い込まれた時は無理せず逃げて休むのが一番っすよ」


「先生、何か言いました?」


「これからは仕事と休息の二刀流でいくっす」


「先生は取材と称した休息が多いので仕事多めでお願いしますよ?」

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