第72話
「前線は硬直状態にあり、敵軍は我が領の最西に陣取って次の攻撃の準備を整えております」
「そうか……これまでの奮闘、感謝するぞ」
「もったいないお言葉です。しかし、これが我々の責務ですので」
「頼むぞ…領地と領民を守ってくれ」
「もちろんです」
屋敷の入り口で会話をしていたアイギス・エラトールと騎士団を率いる団長は互いに頷き合う。
カラレス家との戦いが始まってから一週間。
騎士団長から上がってきた、敵の損耗、私軍の奮闘などのエラトール家にとって有利な情報に、アイギスは密かに胸を撫で下ろす。
それと同時に、領地を守るために命をかけて戦ってくれている騎士たちに心の底からの感謝を抱く。
「報告は以上です。では私はこれで」
「ああ…」
「おっと、その前に……」
「ん?」
「屋敷の護衛は必要ないのですか、アイギス様」
騎士団長は、護衛の存在しないエラトール家の屋敷を見渡しながら尋ねる。
「攻めて何人か騎士を配置した方が…」
「いいや…こっちは大丈夫だ。私も妻も元は魔法使いだ。自衛ぐらい出来るさ。それに……エレナもいる」
「元帝国魔道士団の魔法使いですか……頼もしいですね」
「ああ。万一陣を突破してくる敵の騎士がいても、我々だけで十分撃退できる」
「わかりました」
騎士団長は頷いて、白馬に乗って前線基地へと戻っていった。
「ふぅ…」
アイギスはため息を吐いて、屋敷へと戻る。
「お父様…」
「あなた…どうでしたか…?」
屋敷へ戻ると、不安げな顔のシルヴィアとイリスがアイギスを出迎えた。
アイギスは2人に、騎士団長から聞き受けた戦況を伝える。
「「ほっ…」」
2人はアイギスの話を聞いて安堵したのか、胸を撫で下ろす。
「さあ、イリス…そろそろ眠る時間だ。母さんと一緒に地下室へ行こう」
「お父様は?お父様も一緒がいいです」
「私には色々とすることがあるんだ。大丈夫。ここは領地の中心部だからね。危険はないさ」
「でも…」
イリスが何か言いたげにアイギスを見つめる。
戦が始まってから、イリスとシルヴィアは毎晩万一の事態を想定して地下室で就寝するようになっていた。
イリスはアイギスやエレナも地下室で眠るべきだと訴えているが、アイギスには指揮を取るという役割が残っているため、そういうわけにもいかなかっ
た。
「イリス。父さんのことを心配してくれるのは嬉しいが、父さんだっていっぱしの魔法使いだ。護衛としてエレナも側にいることだし、問題ないよ」
「でもっ…でもぉ…」
「ほら、イリス。行きますよ」
それでも駄々をこねようとするイリスを、シルヴィアが半ば無理やりに連れていく。
「頼んだぞ、シルヴィア」
「はい」
別れ際、アイギスとシルヴィアは互いに目を見つめ合って頷いた。
「まだ一週間しか立たないのか……あぁ、もう何度目かの人生を歩んでいるかのようだ…」
妻と娘が地下室に籠ったのを見届けたアイギスは、自らの執務室で酒を飲んでいた。
何日にも及ぶ徹夜で目にはクマができて、体もげっそりと痩せていた。
ストレスで、目にも声にも生気が宿っていない。
だが、騎士たちが命をとして戦っている中で自分だけ安らかに眠ろうなどとはアイギスは考えていなかった。
机の上の地図に描かれた両軍の陣形、領地の地形、敵の戦術などを見直し、戦に勝つためにひたすら頭を捻る。
「少し休んだ方がいいのではないですか?」
「む?」
そんなアイギスに鈴の音のような声がかけられる。
「エレナか…」
いつの間にか、机の前にエレナが立っていた。
疲れていて、入室にすら気づけなかったらしい。
「随分とやつれているように見えます。しばしの間の睡眠を推奨します」
「馬鹿な」
アイギスは首を振った。
「騎士たちが…領民たちが命を賭して戦ってくれているんだ。私だけ寝られるものか」
「しかし、眠らなくてはまともな思考も働きません。限界がこれば倒れてしまいますよ」
「そうなっても構わない。もし私が倒れたら……エレナ。お前に2人のことは任せるぞ」
「私に任せられても困ります。貴方は当主なのです。騎士たちが今戦地で厳しい戦いの中士気を保っていられるのはひとえに貴方の存在あってのことなのです。貴方が倒れれば、総崩れですよ」
「それでも私は…」
「おやすみなさい」
不意に瞼の落ちたアイギスが机に突っ伏し、静かに寝息を立て始める。
「お許しをアイギス様。貴方の疲労具合が見ていられないので、少々魔法を使わせてもらいました」
光属性の魔法には癒す以外にも、深い眠りをもたらすような系統の魔法がある。
エレナはその魔法をアイギスに対して使ったのだ。
「ご安心を。貴方が眠っている間、この屋敷は私が守りますので」
すー、すーとアイギスが寝息をたてる中、エレナは静かに執務室を後にした。
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