第8話
「何してるんだよ!?」
大声が出た。
だってそうだ。
エレナが突然自分で自分の腕を切り落としたのだ。
俺は思わずエレナの正気を疑った。
「うっ…」
リアルな切断面からぼたぼたと鮮血が流れ出ているのが目に入り、俺は顔を背ける。
「大丈夫、です…さっきも言った通り、このくらい、すぐに治せます…エクストラ・ヒール!」
エレナが魔法を使った。
エクストラ・ヒール。
俺の知らない魔法だった。
おそらくエレナの適属性である光の上級魔法だろう。
「うお…っ!?」
俺がもう一度エレナに目を向けると、すでにエレナの切り落とされた左腕は綺麗に生え変わっていた。
…凄まじい回復速度だった。
これが帝国魔道士団の使う癒しの魔法か。
「どうでしょうか?私の回復魔法は」
すっかり傷が癒えたエレナが、俺の方を見てくる。
俺はブンブンと首を振った。
「いやいやいや!?なんでこんなことしたんだよ!?」
自分の腕をいきなり切り落とすとか正気じゃない。
エレナは一体何がしたかったんだ…?
「驚かせてしまったのなら謝ります。こうでもしないと…信じてもらえなかったと思って」
「は…?」
何を?
そう尋ねる前に、エレナがいつになく真剣な声音で言った。
「私の本気度です。私はトリプルであるあなたを全力で鍛えたい。だから……先ほど何があってもあなたをモンスターから守るし、仮に致命傷を受けてもすぐに治療をすると言ったのも本気です。そのことを示すために…こうするのが1番手っ取り早いと思って」
「…いや、だからって」
普通そこまでするか?
自分の腕を切り落としてまで治癒魔法の威力を俺に誇示した…?
こうすれば俺が安心してモンスターと対峙できると…?
何があってもエレナがいれば大丈夫だと信じられると…?
「はっきり言います、アリウス。あなたには才能がある。ただの才能じゃありません。歴史に名を残すほどの魔法の才能です。私はそんなあなたの魔法の教師になれたことを光栄に思います。そして全力であなたを鍛え上げたいと思っている。あなたはどうですか?魔法を極めるつもりはありませんか?私と…高みを目指したくはありませんか?」
「…っ」
エレナが真剣な瞳で俺に手を差し伸べてくる。
俺はごくりと唾を飲んだ。
エレナが見せてくれた覚悟。
腕を切り落とすほどの覚悟が俺の心を揺れ動かしていた。
ゆっくりと、震える手をエレナへと伸ばす。
その途中、何度もあの日見た恐怖の象徴……ブラック・ウルフの姿が俺の脳裏によぎった。
その度に、俺はあの時に感じた生命の危機を……人生最大の恐怖を思い出して心が折れそうになる。
俺は確かに普通の魔法使いではないんだろう。
トリプルとして両親や領民たちにもてはやされ、そして外からやってきたエレナに歴史に名を残すかもしれない才能だと言われ、今ようやく自覚した。
俺には才能がある。
訓練すれば、もしかしたら帝国魔道士団のエレナも超えられるかもしれない。
だが…怖い。
どうしようもなく怖い。
どうしても、あの日見たブラック・ウルフに自分が勝てるビジョンが浮かばない。
俺が学んだ上級魔法は…本当にあいつに通用するのか。
俺はあんな化け物を倒せるような魔法使いになれるのか…?
「…そう、ですか…やはりまだ、実戦は早すぎましたか…」
「…っ」
いつまでも手を取らない俺を見て、エレナが少しガッカリしたような声を出す。
「確かに…よく考えてみると、いきなりこんなこと言われても無理でしたよね…物事には順番があります。いくら逸材といえど基礎は大切にしなければなりません…やはり座学や、初級魔法の訓練からはじめるのが妥当でしょうか…」
「…っ」
ずきりと心が痛んだ。
自分の腕を切り落とすほどの覚悟を示してくれたエレナを……一晩悩み抜いて俺を全力で鍛えようとしてくれたエレナをガッカリさせてしまった。
そんな情けない自分が嫌になってくる。
「ああくそっ…!わかったよ!やりゃいいんだろ!!」
俺は自分を叱咤するように怒鳴って、無理やりエレナの手を取った。
「アリウス…?」
「やってやるよエレナ…!俺を鍛えてくれ!モンスターでもなんでもかかって来やがれ…!俺の上級魔法でぶっ倒してやるよ…!」
自分の中の恐怖を打ち消すように俺は怒鳴った。
そうだ。
思いだせ。
俺は以前……この世界に来るよりも前…日本でもっと過酷な環境に身を置いて来たじゃないか。
ほとんど休みのない過酷な労働環境。
ギリギリ生きていけるだけの安い給料。
ちょっとしたミスで上司に怒鳴られ、時には暴力も振るわれた。
毎日が地獄と言って差し支えない日々で、死ぬことばかり考えていた。
そんな日々を…俺は何年も耐え抜いて来たじゃないか…!
あの時の辛さに比べたらこんな状況、屁でもない。
やってやるよ。
中級モンスターの雑魚ぐらい何匹でも俺の上級魔法で屠ってやる!!
「上級魔法…?アリウス。あなたはまだ中級魔法までしか使えないんじゃ…?」
「あっ…い、いい間違えたんだ…!中級魔法って言おうとしたんだ!ははは…」
危ねぇ。
どさくさに紛れて上級魔法まですでに使えることを暴露してしまいそうになった。
俺は隠れてほっと胸を撫で下ろす。
「ともかく…アリウス。あなたの覚悟はしっかりと受け取りました。先ほども言ったように私は全力であなたを守ります。では…いきましょうか」
「おう!」
俺が威勢よく返事をするとエレナがにっこりと笑った。
「…ひっ!?」
ガサゴソと近くで物音がした。
俺は思わず引き攣った声を出してしまう。
「大丈夫ですアリウス。モンスターの気配があればわかります。ただの小動物です」
「そ、そうか…」
エレナにそう言われ、俺はほっと胸を撫で下ろす。
「行きますよ、ついて来てください」
「おう…!」
エレナが歩みを再開させる。
俺はあまり距離が離れないように、先導して歩くエレナにしっかりとついていく。
モンスターと戦う覚悟を決めた俺が、エレナと共に森の中に踏み行ってから半時間が経過した。
だいぶ森の奥まで踏み入っているのだが、未だモンスターとの遭遇はない。
領地内にある森にはモンスターが生息しているのだが、増えすぎて領民の居住地まで侵入してこないように、領主のアイギスが騎士などを定期的に派遣してモンスターの駆除をおこなっている。
そのためなのか、森の浅い部分には、モンスターの姿は全く見当たらなかった。
「モンスター、居ませんね。もう少し奥へ行ってみましょう」
「お、おう…!」
先ほどから、いつモンスターと遭遇するのかドキドキしっぱなしだ。
出るならさっさと出てくれ。
俺はそんなことを思いながら、エレナについていく。
「む…」
唐突にエレナが足を止めた。
「エレナ…?」
モンスターを発見したのだろうか。
そうおもって周囲を見渡したが、それらしき影は発見できなかった。
「どうしたんだ?」
俺がなぜ足を止めたのか尋ねようとすると、エレナが人差し指を立てた。
「静かに…」
「…っ」
エレナの真剣な声に俺は口を閉ざす。
エレナは何かに集中するように目を閉じて動きを止めるが、やがて目を開き、右前方に武器を構えた。
「来ますね。あの方向から一匹。気配からして中級でしょう」
「え…?」
俺が首を傾げた瞬間。
『ブモォオオオオオオオ!!!』
「うおおおおっ!?」
突如としてエレナの見ていた方向の茂みがガサガサと動き、大きな影が飛び出してきた。
俺は突然のことに驚いて飛び退き、尻餅をついてしまう。
一方でエレナは落ち着いた様子で、現れたモンスターと対峙していた。
「オークですか…中級の中でも弱い部類です。アリウスでも十分に倒せますね」
『ブモォオオオ…』
俺はこいつを…このモンスターを知っている。
モンスターの図鑑で以前に目にしたことがある。
二メートルほどの体長。
声太った体。
二足歩行で、頭部は豚に酷似している。
オーク。
それがこのモンスターの名前だ。
「さあ、アリウス。出番ですよ」
「い、いきなり…!?」
エレナが尻餅をついている俺の腕を掴んで無理やりに立たせ、オークと対峙させる。
『ブォオオオオ…!』
オークは、荒々しい息を吐きながら、俺を見下ろしている。
爛々とひかるその赤い目は、完全に獲物を見るもののそれだった。
「む、無理だ…!」
俺は怖気付いて二、三歩後ずさる。
「頑張ってくださいアリウス!オークは中級モンスターの中でも弱い部類です…!あなたが昨日見せてくれた中級魔法で十分に倒せます!」
「そ、そう言われてもな…!」
確かに俺は覚悟を決めた。
今日でモンスターと戦って、潜在的な恐怖を…あの日のトラウマを払拭すると決心した。
だが、いきなりなんて聞いてない。
せめて一度エレナがモンスターを倒すところを見てから…
『ブモォオオオオ…!』
「うわっ!?」
俺がそんなことを考えている間に、オークが鳴き声を上げてこちらに迫ってきた。
その太い腕を振り上げて、脂肪を揺らしながら俺に突進してくる。
その動作はひどく緩慢で、十分に避けられる速度だったが、俺は恐怖で体を動かせなかった。
「くっ」
両手で頭を抱えて、その場に蹲ってしまう。
やばい…
俺死んだかも…
「ホーリー・シールド!」
バァン!!
『ブモォッ!?』
前方で衝突音が鳴り、オークの悲鳴のような鳴き声が聞こえてきた。
俺が恐る恐る顔を上げると、そこでは光の盾のようなものがオークの突進を阻んでした。
「エレナ!?」
「言ったでしょう。あなたは絶対に守ると」
エレナがゆっくりと歩いてきて俺の隣に並んだ。
「アリウス。守りは任せてください。あなたは攻撃のことだけ考えていればいい」
「…っ!」
「さあ。あのオークに攻撃を。動きが鈍いため、確実にあなたの中級魔法は命中するでしょう」
「…っ」
俺はぐっと歯を食いしばる。
ここまでお膳立てされてやらなかったら、男じゃない…!
「や、やってやる…!見てろ…!」
俺はそう言って立ち上がると、突進を阻まれて怯んでいるオークに向かって右腕を突き出した。
そして、昨日エレナの前で披露した火属性の中級魔法の中から、最も攻撃力に秀でている魔法を発動する。
「炎の矢よ!敵を穿て…!ファイア・アロー!!」
ヒュッ!!
乾いた音が鳴った。
俺が詠唱を完了させるのと同時、空中に生成された炎の矢が空気を切り裂いてオークへと飛来した。
ザクッ!!
『ブモォオオオオオ!?』
脳天を串刺しにされたオークが、咆哮する。
「…よしっ!」
確かな手応えを感じた俺は、オークの動きを注視する。
頭蓋に穴の空いたオークは、そのまま数秒間の間ふらふらと揺れていたが、やがて仰向けになって地面に倒れた。
ビクビクとその体は痙攣していたが、やがて動かなくなる。
「し、死んだのか…?」
俺が恐る恐るエレナに尋ねると、エレナが頷いた。
「はい。絶命です。やりましたね、アリウス。あなたが倒したんです」
「…っ」
「おめでとうございます」
「…っ!」
感じたこともない達成感が、俺の中に広がった。
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