第12話 樹体と拒絶
ミストポルカに言われたものを手に入れる為に、長く続く廊下を歩き、先へと進んでいると、ふと腕を引かれてフィーネは立ち止まった。
腕の先へと視線を滑らせていくと、片手で顔を押さえるアステリアスが、項垂れるように俯いている。
慌ててフィーネが彼の側へ近寄ると、赤い髪の隙間から、血の気が引いたように青くなった顔が見えた。
名前を呼び、身体を揺さぶると、彼はだらりと手を下ろし、覚束ない視線でフィーネを見つめてくる。
何かを確かめるように、ゆっくりと焦点が定まってくるその瞳の動きを見て、フィーネは震える指先を握り締めた。
メイシアはよく言っていた。
人間はとても弱くて、直ぐに病気というものになるのだと。
だから気をつけていなさい、と。
人間でありながら人間としての営みを知らない自らは、どうしたって人間の彼とは違う生き方をしているから、こうした時、つくづく無力を痛感する、とフィーネは思う。
アステリアスはゆっくりと瞬きを繰り返すと、廊下の先にある両開きの扉を見つめていた。
その先は、屋敷の中庭へと続いている。
「ごめん、フィーネ。俺はこの先には行けない」
「アステリアス?」
突然の言葉に、フィーネは驚いて、眼を大きく瞬かせた。
「どうしたんだ? 怖いのか? 心配しなくていい。私が一緒にいるから、」
「ごめんな」
にこりと音が鳴りそうな程、硬質的で無機質な笑みを浮かべたアステリアスに、フィーネは顔を歪ませ彼の手を握ろうとして、止めた。
彼がこんなにも何かを拒む、という事は、今まで一度もなかった。
先程までは恐怖が度を越した事で麻痺していただけで、やはり魔物達の棲まうこの屋敷にいるという事は、彼にとって恐ろしい事に変わりはないのだろうか。
そう考えると、彼をこの先へ無理に連れて行くのは憚れた。
「……、わかった。ただ、決して此処から動かないでくれ。直ぐに戻るから」
彼にはあの短剣を渡してある。
だから、何があってもあの短剣が彼を守ってくれるだろうし、少しの間離れていたとしても、きっと、問題は無い。筈だ。
そう考えてフィーネが告げると、彼は夜明け色の瞳をゆっくりと細めて笑みを浮かべている。
「うん。ありがとう」
躊躇いながら先を歩くけれど、どうしても気になってしまい、フィーネは振り返って彼を見た。
アステリアスは再び顔を覆ったまま、廊下の片隅でしゃがみ込んでいる。
後ろ髪を引かれながらも、フィーネは先にある扉へと歩いていった。
***
硝子で出来た両開きの扉を開くと、押し寄せてくる噎せ返るような深い緑の匂いに、フィーネは微かに眉を寄せた。
この中庭は、森をそのまま縮小して閉じ込めたような造りをしていて、当然ながら手入れをしている様子はない。
その中央には一際大きな大樹があり、それを囲むように深い木々が覆っている。
どこからか風が吹いているのか、耳を澄ますと、大きな生き物が深く呼吸をしているかのような、酷い風切り音がしている。
足を踏み出し、中庭へ靴をつけると、メイシアが用意してくれた白い靴の足裏からは、柔らかい土の感触がしていた。
まるで何かの生き物のようだ、と考えながらフィーネが歩いていくと、大樹の傍らに
ドーム型のパードラがあるその四阿には、石で出来た簡素な机と椅子が置かれていて、その机の上には硝子で出来た果実が一つ、置かれている。
果実は手に取るとひんやりと冷たく、フィーネは果実が割れないよう慎重に手に取ると、持っていた袋へしまい込んだ。
目的のものは手に入れたのだ、早く戻ろう。
そうフィーネが四阿を出ると、地面を這っていた黒い樹木の根がゆっくりと蛇の様に蠢いている。
次第に周囲に集まり、足首に絡みついてくるそれを、フィーネは冷えた眼で見下ろすと、勢い良く片手を振り下ろした。
指先へ集まった空気の渦を鋭く研ぎ澄まされた風へと変え、足に絡みつく根を切りつけると、細かい木片となってぱらぱらと地面へと落ちていった。
小さく息を吐き出し、見上げた大きな大樹の幹は黒く、その内側は真っ赤な球体が拍動するようにどくりどくりと蠢いている。
エレファンダルというこの大樹の魔物は、夜の国を包む森そのものであり、全てを森の中——つまりは自らの体内へと飲み込もうとしている。
国主であるグラムストラがその力を抑えているのでおとなしくしているが、それが破られてしまえば、たちまちこの屋敷も森の中の魔物達もこの大樹の体内へと消えてしまうのだろう。
「忌まわしい、忌まわしい……!」
乾いて掠れた声が辺りに響き渡り、枝葉を揺さぶるように震わせている。
大地を這う根が今にも暴れ回り、フィーネはおろか、屋敷ごと取り込んでしまおうと蠢くけれど、大きく振り上げようとした根は、不自然に動きを止めて震えると、やがて力尽きたように地面へと落ちていた。
「全てはこの
悔しげに口惜しげに恨み言を吐き出した大樹は、駄々を捏ねる様に蠕動している。
その動きに合わせて黒い葉は次々に落ちていき、耳を塞ぎたくなる程の軋んだ音が辺りに響き渡るが、フィーネは僅かに眉を寄せ息を吐き出すきりで、気にも留めない。
「何もかもを呑み込んでしまえば、お前自身すら消えてしまうというのに」
哀れだな、と吐き捨てるように言い、フィーネは踵を返していた。
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