ジキルな僕とハイドな俺 ~世界を救うために魔女ハーレムを作れ!?~

黒木屋

第1話 黒衣の魔女

 ぐらり、と視界が揺らいだ。


 自分が倒れかけているのだ、と気づいた時にはもう平衡感覚は完全に失われており、驚いた顔を見せる魔導士に必死に手を伸ばそうとするものの、指は空しく虚空を掻いた。


 「あれ?」


 床に叩きつけられると思っていたが、いつまでたってもその衝撃が来ない。視界が暗転し、体がふわりと浮き上がっているような感覚がする。


 「え?ええ?」


 しばらくすると目の前にチカチカと光の粒が明滅しながら現れ、周囲を流れていくのが見えた。夜空の星の中を飛んでいるような気持ちになる。そのうち自分の体がゆっくり下降していることを感じた。光の粒が瞬く漆黒の空間を落ちて行っているのが分かる。だが風は感じない。


 「夢でも見てるのか?」


 そう呟いた時、いきなり視界が明るくなった。植込みの緑と赤茶けた地面が見え、事態を把握する前に体が地面に落ちる。


 「痛ってー!」


 全身に走る痛みがこれが現実であることを告げている。顔をしかめながらゆっくり体を起こす。ズキン、とした痛みが腕や腰に走ったが、どうやら骨折はしていないようだ。


 「驚いたな。どこから現れた?」


 のろのろと起き上がった彼の耳に女性の声が響いた。驚きのあまり体がビクリと震え、反射的に振り向く。


 「なっ!?」


 彼は目の前の光景に思わず息を吞んだ。広い石段とその上にある重厚そうな木の扉がまず目に入る。かつては純白であったろうその石段は苔が生え、泥に汚れている。石段の一番下から扉を挟むように縦溝が刻まれた円柱が二本伸び、その上に視線を向けると意匠を凝らされた手すりに囲まれたテラスがある。そしてそこから一人の女性がこちらを見下ろしていた。


 「どうやって入ってきた?われの感知魔法に引っかからんとは奇妙じゃの」


 彼は言葉を発することも忘れてポカン、と上を見つめていた。美しい女だ。整った顔立ちと細身の体。長い黒髪が風になびき、暮れかけた陽の光を受けて光っている。飾り気のない漆黒のワンピースは肩を露出させたチューブトップで、その肩や胸元から覗く白い肌は遠目に見ても肌理細やかな印象を受ける。


 「どうした?口が聞けぬのか?」


 その言葉に彼は我に返った。ごくりと唾を飲み、大きく深呼吸をする。


 「え、ええと……、どうしてここにいるのかは自分でもよく分からないんです。あ、自分はミルディア・フォートクラインといいます」


 「フォートクライン?では子爵家の……」


 「は、はい。グランツ・フォートクライン子爵は僕の父です」


 「はっ!領主様のご子息が来訪とは恐れ入る。で、どうやってここに来た?」


 「で、ですから自分でも何が何だか。さっきまで屋敷の中で魔法の講義を受けていたのですが……」


 「貴族の生まれだ。当然魔法の才はあるんだろうな。お抱えの魔導士に基礎術式でも習っていたか」


 「基礎は一応終了しています。精霊魔法の実地についての講義だったのですが」


 「それがなぜこんなところに来た?」


 「だから分からないんですよ。火の精霊との契約呪文の詠唱をしていたら突然めまいがして、目の前が真っ暗になったと思ったらなんだかキラキラした光の粒の中を漂ったような感じがして、それで気づいたら地面が目の前にありました」


 「……フォートクライン家の屋敷にいたのは間違いないんだな?」


 「はい」


 「転移魔法か。しかも自分で意図せず発動したようだな」


 「て、転移魔法?」


 ミルディアが驚いて目を丸くすると、その視線の先から女の姿が瞬時に掻き消えた。突然の出来事にさらに驚愕し、慌てて周囲を見渡すと、いつの間にか女が自分の眼前に立っていた。


 「ひっ!」


 肝をつぶしてその場にへたり込むミルディアを女がその服や髪と同じ漆黒の瞳で見下ろす。


 「そんな化け物を見たような顔をするな。ま、似たようなものかもしれんがな」


 頭が混乱し、ミルディアは必死に体の震えを抑えた。自分を見つめる女の視線は冷たく、背筋にぞっとしたものが走る。顔が美しいだけにその冷たい雰囲気が余計恐ろしく感じられる。


 「あ、あなたは一体……それにここは何処なんです?」


 「我の館さ。いや、牢獄と言った方がいいか」


 「牢獄?」


 「人は『黄昏の廃城』なんて呼んでるらしいがな」


 「『黄昏の廃城』!?そ、そ、それじゃあなたは……」


 「知ってるようだな。まあ当然か。我をここに閉じ込めたのはお前の祖父だからな」


 「黒衣の……魔女」


 「いかにも。人呼んで『黒衣の魔女』。ヴェルモット・ステイシーだ。お見知りおきを、フォートクライン殿」


 宵闇に沈みかけた館を背に、ヴェルモットは冷たい笑みを浮かべて黒衣の裾を持ち上げ、おどけたように頭を下げた。



               *



 広大なブロイア大陸には四つの大国がある。


 ミルディアの生家、フォートクライン子爵家はそのうちの一つ、モルガノ王国の中にあった。本家の城は王国の南西部に位置する城塞都市リミステアにあり、広大な森林地帯を挟んで隣国バルトア帝国と接している。元々リミステアは王国屈指の名門、オブライエン侯爵の領地だったが、約百年前の大戦において武功を上げた新興の貴族、フォートクライン准爵に割譲された。フォートクラインは戦功により子爵に封じられ、この地の領主となったのだ。


 だが正直言ってこれは貧乏くじといってよかった。モルガノ王国は国土を巡ってしばしばバルトア帝国と衝突しており、リミステアはその最前線の地であったのだ。街を囲む堅固な城壁はそのために造られたものだったし、帝国の侵攻に備えてフォートクライン家は常に二千余りの兵を待機させる必要があった。兵の給与は国が出すが、駐屯に必要な維持費の大半は領主持ちである。確かに税収はそこそこあるが、経済状況は厳しいと言わざるを得ない。


 さらにリミステアの南に広がる森林地帯の半分は獣人族ワービーストの自治領であり、子爵家はそこにも目を光らせなければならなかった。人間よりも屈強な体を持つ獣人族ワービーストは目立った乱暴などは働かないが、存在自体が一般市民には脅威であったのだ。


 その上現当主であるグランツの代になって、フォートクライン家はもう一つの都市の統治を任されることになった。こちらは王家の直轄地をオブライエン侯爵が拝領した都市の一つで、表向きはリミステアの統治に実績を上げた子爵家への褒賞、という事になっている。が、これも結果的には面倒ごとを押し付けられた形となった。


 新たに任せられた都市ビスクは王国の北端にあり、やはり隣国である聖竜公国せいりゅうこうこくに接している。聖竜公国は竜人族ドラゴニュートが支配する国で面積こそ四大国で一番狭いが、その力は他国に決して引けを取らない。竜人族ドラゴニュートは世界を創ったとされる「五種の太祖フィフス・オリジン」の一種、大神竜ウルブアスの末裔といわれ、長い年月を経て人間に近い見た目と大きさになったが、その膂力りょりょく、魔力は人間とは比較にならない。竜人族ドラゴニュート一人で数百の精兵に匹敵すると言われるほどだ。


 彼らは無暗に戦いをすることは好まず、長い間王国とは平和的な外交を続けていたが、彼らを怒らせれば王国に甚大な被害が出ることは想像に難くない。聖竜公国との付き合いは緊張感を要するものであった。しかもビスクの東部にはこれまたエルフ族の自治領があり、昔からエルフ族と竜人族ドラゴニュートは不仲であると言われていたため、ビスクを統治する者は常に胃の痛い思いをする羽目になる。


 こういった外交的緊張を強いられる二つの都市を、フォートクライン家は任されていたのだ。それも隣同士であればまだしも王国の南端と北端である。同時に統治することは困難を極めた。そこでグランツ子爵は苦渋の決断をし、いまだ年若い嫡男、ベルゴールをビスクに派遣し、その統治を任せた。結婚したばかりのジャナール伯爵家の令嬢、ピスリと共にだった。


 「兄さんも大変だよなあ」


 ミルディアはリミステア市民の快哉を受けながら馬車で手を振る兄を見つめながら呟いた。貴族として領主たる心構えや教育は受けてきたが、兄はまだ実務経験のない若造だ。それが隣国やエルフ族との外交に神経をすり減らす国境の都市の統治をいきなり任されるとは。


 「まさかこれ以上厄介な場所を押し付けられないだろうな」


 そんなことになったら今度は自分が赴任させられかねない。そんなのは心底御免こうむりたい。ミルディアは引きつった笑みを浮かべる兄と、その横で沈んだ気分を隠そうともしない新妻を見ながらため息を吐いた。



              *



 「ちょ、ちょっと待ってください。本当にあなたが『黒衣の魔女』なんですか?」


 息を呑みながらミルディアがヴェルモットに尋ねる。


 「ああ」


 「で、でも聞いた話じゃ黒衣の魔女はもう何十年も昔からここに住んでるって……さっきあなたも祖父がここに閉じ込めたっていってましたし」


 「その通りさ。ここに来てもう六十年くらいになるか」


 「そ、そんな!」


 目を見開いてミルディアはヴェルモットを見つめた。だったらこの人は一体幾つなのだ?見た目はどう見ても二十代だ。間近で見てもやはりその白い肌は艶がある。長寿といわれるエルフ族や竜人族ドラゴニュートならまだしも黒衣の魔女は正真正銘の人間だと聞いている。


 「ふ、この見た目が気になるか?まあ当然だろうな」


 「魔女は歳を取らないってことですか?」


 「そうだな。まあそこらも説明してやるか。とにかく中に入れ」


 そう言ってヴェルモットは背を向け、石段を昇り始めた。


 「『黄昏の廃城』ってことはここは大森林の中、ですか」


 ヴェルモットに案内され館の中に入ったミルディアは辺りを見渡しながら尋ねた。玄関ホールは広く、高級そうな絨毯が敷き詰められていたが、その色は褪せ、館内は光の魔法球が何個か灯されているだけで薄暗い。


 「そういうことだ。すぐ隣は獣人族ワービーストの自治領。近くの村までは歩いて数時間かかる」


 「今からじゃ森を抜けるのは無理、ってことですね」


 「そういうことだ。夜になれば狼が出るし、夜行型の獣人もうろつく。夜行型の獣人は気性が荒い奴が多いからな」


 「さっき転移魔法って言ってましたけど、うちからここまで転移してきたってことですか?僕が」


 「それしか考えられないだろう。しかしまさかここにな……」


 思案気に呟くヴェルモットの顔をミルディアが不安げに覗き込む。自分が転移魔法を発動させたというだけでも信じられない事態なのだが、よりによって黒衣の魔女が住むこの「黄昏の廃城」に飛ばされたというのが驚きを禁じ得ない。しかも人外の魔法まで操ると言われ恐れられる黒衣の魔女が怪訝に思っているというのが不安をいや増させる。


 「とにかく今夜はここに泊めるしかないだろう。食事の用意をするからそこのテーブルに座っておけ」


 ヴェルモットが前方の開いたままになったドアの先を指差す。そこも薄暗くてよく見えないが、どうやらテーブルが置いてあるようだ。食堂なのだろう。


 「え、ええと……ヴェルモットさんは転移魔法が使えるんですよね?僕をうちに送り返したりは……出来ないですか?」


 さっきヴェルモットがテラスから一瞬で目の前に現れたのを思い出してミルディアが尋ねる。


 「無理だ。……まあどうしてもというなら出来なくはないかもしれんが、とにかく座っていろ。食事をしながら説明してやる」


 にべもなくそう言われ、ミルディアはため息を吐いてドアを潜った。思った通り長テーブルがあり、絨毯同様色あせたテーブルクロスが掛かっている。中央に置かれた燭台でろうそくが二本寂しげに灯っていた。


 「キキ……」


 甲高い声がして振り向いたミルディアはぎょっとして硬直した。体長50㎝くらいの羽の生えた小人がパタパタと飛びながら両手に皿を持ってきている。肌は青紫色で釣り上がった大きな赤い目と、長い耳元まで裂けた口に並んだ鋭い歯が不気味だ。


 「な、な……」


 怯えながら見ていると、小人たちは器用にテーブルの上で滞空し、手に持った皿を並べていく。


 「使い魔にしている邪妖精ダークフェアリーだ。危害は加えんから安心しろ」


赤い液体の入ったグラスを両手に持ちながらヴェルモットがやって来る。そう言われても簡単に安心は出来なかった。


 「お前まだ未成年だろう。こっちはアルコールは入っておらん」


 そう言ってヴェルモットがミルディアの前にグラスの一つを置く。


 「確かに僕はまだ16ですが、ワインくらいは飲めますよ」


 「ガキが生意気を言うな」


 そう言って微かに笑い、ヴェルモットはミルディアの向かいの席に着いた。何だか最初に感じた恐ろしさが段々と薄れていっているのをミルディアは感じていた。


 「予期せぬ来客に乾杯、だ。ここに人が入ったのはいつ以来だろうな」


 グラスを掲げるヴェルモットに合わせ、ミルディアもおずおずとグラスを持ち上げる。口をつけると甘酸っぱい味が舌の上に広がる。ブドウジュースのようだ。


 「それで僕を送り返せないっていうのは……」


 「そう急くな。とりあえず冷めないうちに喰え」


 「それじゃお言葉に甘えて」


 ミルディアは頭を下げ、目の前に並んだ料理に手を付けた。魚のムニエルに温野菜のサラダ、黒パンとスープもある。


 「これ、ヴェルモットさんが?」


 「他に作れるやつがおらんからな。邪妖精ダークフェアリーに料理を任すほど酔狂ではないしな」


 「美味しいです。でも急に来たのによく僕の分まで用意できましたね」


 「魔法を使えば造作もない。少々味気なくはなるがな」


 「え?」


 「少し薄味だと思わんか?」


 「そう言われれば……少し」


 「魔法で材料を水増ししたのさ。その分味が薄くなってる」


 「そんなことも出来るんですか!?」


 「伊達に魔女なんて呼ばれちゃいないさ。これくらいはな」


 「すいません」


 「ん?」


 「僕のせいでせっかくの料理が薄味に……」


 「気にするな。食事を楽しむなどとうに忘れた。単に栄養の補給のために食べているに過ぎん」


 「あの……僕の祖父がヴェルモットさんをここに閉じ込めたって……」


 「知らなかったか?」


 「はっきりとは。うちではその……」


 「我の話をすることはタブー、そういうことだろう?」


 「はい」


 「当然だろうな。まあそこらへんも含めて説明してやるよ。お前を送り返せない理由。そしてお前の異常さについてもな」


 「え?」


 意味ありげににやりと笑うヴェルモットを見て、ミルディアは背中に冷たいものが伝うのを感じた。

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