第2話

「あの……大丈夫ですか?」


 大丈夫なわけがない。

 なんせこちらはタイムスリップをしているのだから。

 タイムスリップと人体への影響なんて研究している人なんて聞いたことはないが、なにも影響がないなんてことはないはずだ。

 タイムスリップをするときにあんなに視界がゆがむ。

 乗り物酔いをしたみたいな気持ち悪さが残るのだ。

 俺は必死に俺のどこかの時空に勝手に吹っ飛ばしたレモンの香りをかぐ。

 大嫌いだけれど、こうしないと気持ち悪さがのこるのだ。


 ふんふんと鼻を鳴らしてにおいをかぐ僕の姿はひどくまぬけだっただろう。


 目の前にいる女の子はひどく困惑していた。


「ああ……大丈夫」


 僕は目の前の女の子の困惑の表情に気付いて慌てて返事をする。

 仕方ない。若い女の子に不審者として通報されたら困る。


「救急車とかは……?」

「大丈夫」


 僕は慌てて返事をする。

 彼女は緊張しているのか携帯電話を握る手は白くなっていた。

 その小さな手には見覚えがある。

 馬鹿みたいにストラップがつけられた携帯電話。

 マニキュアを塗るのには小さすぎる爪。

 そう、彼女は僕の初恋の人だった。

 もうとっくに彼女の顔なんて忘れたはずなのに……。


 🍋🍋🍋


 タイムスリップするようになったのはいつの頃からのことだろう。

 少なくとも幼少の頃ではなかったと思う。

 小さなころからタイムスリップなんてしていたらまともな人間なら発狂する。

 少なくともタイムスリップという概念をすでに知っている年齢だったと思う。


 多分、目の前の彼女と同じくらいのころだ。

 僕が彼女に恋していたころの話。


 彼女の顔なんてとっくに忘れたはずなのに、こうやって彼女を前にするとまるで昨日のことのように思い出せる。

 一度も染めたことがない艶やかな黒髪に、色付きのリップでほんのり血色をよくさせただけの唇、真っ白な肌に、左目の泣き黒子。

 やはり、綺麗だった。

 高校生にしては大人っぽいけれど、こうやって自分が年をとってみるとやはり子供だ。

 当時は物憂げに外を見つめる彼女の姿が神秘的だったが、今になればわかる。

 彼女も子供だった。

 いつも僕よりも先のことを知っていて大人っぽい彼女。

 そんな彼女は「何者でもないけれど何者にでもなれる」と思っていた高校時代の僕のよき理解者だった。


 ――どうして僕は彼女と別れたのだろう?


 🍋🍋🍋


 ああ、頭が痛い。

 高校生の頃のことを思い出すとどうしてこんなに靄の中から記憶を手探りで見つけ出すような疲労感が残るのだろう。

 十分に自我が芽生えているし、そんなに昔じゃないはずなのに。

 ……いや、本当は卒業してもうとっくに十年以上たっている。

 僕自身にとってはそんな昔じゃないつもりでも実際は、高校時代なんてはるか昔のことなのだ。


 現に彼女の顔だって忘れていたじゃないか。

 初恋の人だというのに。


「よかったら、これ食べませんか?」


 頭を抱えている僕をみて彼女はカバンをごそごそとやりながら、プラスチックのパックを取り出した。

 購買部で売っているから揚げのパックだった。

 どうやら彼女は頭を抱えている僕をみて、おなかがすいていると解釈したらしい。

 ああ、こういうちょっとずれたところがある子だった。


「ありがとう」


 今、こうやってみると当時は自分よりずっと大人でミステリアスに見えた彼女は、年相応の幼さがある。

 どんなに大人っぽく見えていても、どこかあどけない。

 大人からみればただの子供だった。


 こうやって、一緒にからあげを食べたなと思いながらパックをあける。

 つまようじがセロハンテープで蓋にとめられていて、から揚げは爪楊枝に対して大きすぎて不安定だ。

 だけれど、抜群に美味しい。

 ちょうどから揚げ専門店とか当時はやり始めていたけれど、どこで食べても同じ味には出会えなかった。


「美味しい?」


 彼女はこちらをのぞきこんで嬉しそうに言う。


「ああ、美味しいね」


「好きよね。これ」


 そういうと、彼女は僕にキスをしていた。

 甘酸っぱい初恋の香り。

 ああ、レモンの香りだ。


 なんで彼女と別れたのだろう。

 彼女が浮気をしていたからだ。

 彼女が知らない男とキスをしているのを見てから僕はタイムスリップするようになったんだ。



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