3月7日「メンチカツサンドを求めて」

「ごめんねえ、今日もまた売り切れちゃったのよ」

「ですよね……」

 仕事終わりの18時30分。帰宅ラッシュで駅前は混雑している。空は夕焼け色に染まる中、長谷川は駅前の商店街にある精肉店で、ちょうど目的のものを買えなかったところだ。 

 駅前の精肉店のお惣菜は人気があり、特にメンチカツサンドはすぐに売り切れてしまうほどの人気商品だ。一度は食べておきたい、とSNSでも話題のメンチカツサンドを長谷川も食べてみたいと思い、仕事が早く終わった日は精肉店にできる行列に並び、メンチカツサンドチャレンジを行っている。しかしそのチャレンジが成功したことは一度もない。

 せっかく並んだので余っていた(といっても残り1個だったのだが)牛肉コロッケを買って、精肉店を後にした。はぁ……とため息をついていると

「あれ、先輩じゃないですか! 」

 と声をかけるものがいた。同じ職場の長谷川の後輩、落合だ。彼は先輩を見つけるなり、まるで子犬のように長谷川に寄ってきた。

「こんなところで何してるんですか? 」

「メンチカツサンドチャレンジだ」

「メンチカツサンドチャレンジ? 」

 長谷川は落合に、仕事が早く終わった日、この精肉店に通ってメンチカツサンドをゲットしようとしていることを話した。

「どうして休みの日に来ないんですか? 」

「いや、そこまでの気力はないというか……土日の方が人いっぱいだし……」

 長谷川は基本人混みが苦手で、休みの日は家にいることの方が多い。それに本来、早起きが得意ではないので休みの日はついつい寝過ごしてしまう。メンチカツサンド1つのために早起きができるとは思っていないのである。

「いや、仕事帰りにそれだけ通っている人が何言ってるんですか? 」

 真正面から正論を言われてしまい、長谷川は返す言葉もなかった。

「それだけ先輩はカツサンドを食べたいってことじゃないですか。その気力、休みの日にこそ持っていきましょうよ」

「いや、だけど……」

「あ、そうだ先輩!今からご飯がてら、今週の日曜日にどうやったらカツサンドを手に入れることができるか作戦会議しましょう! 」

 落合は「俺、この辺、いいお店知ってるんっすよ」と言いながら半ば強引に長谷川を引っ張っていった。

 落合は精肉店から少し離れたところにある焼き鳥屋に長谷川を連れてきた。狭い店内ではあったが、焼き鳥のいい香りが立ち込め、結構賑わっている。長谷川はビールを、落合はレモンサワー片手に頼んだ焼き鳥を頬張った。

「あそこのお店、人気なんっすね。土日はもちろん、平日から開店前に待ってる人たちがいるみたい」

 落合は精肉店についてスマホでリサーチをしている。

「開店が10時だから……2時間、3時間前に並んでいるガチな人もいるみたいですけど、1時間前に並んでおけば目的のものは手に入りそうですよ」

「でも9時には店に到着しておかなきゃなんだろう?そうすると8時、いやもうちょっと前の電車に乗らないと……」

「いつも出勤そんな感じじゃないんですか? 」

「仕事の日は無理して起きてるんだよ。休みの日は起きてくるの昼過ぎとか……下手したら夕方とか……」

「それじゃあ休みの日、ほぼ寝てるだけじゃないですか」

 落合は少々呆れていた。

「じゃあ今週の日曜日、俺と約束しましょう!メンチカツサンドをゲットするために。先輩、約束は流石に遅刻しませんよね? まあ遅刻してきたらめちゃめちゃLINE入れますけど」

 突然の約束に長谷川は驚いた。

「お前、日曜日用事ないの? 」

「はい。今週はたまたま。なんで先輩に付き合いますよ」

「どうしてそこまでしてくれるんだ?たかがカツサンド1つだぞ? 」

 長谷川は不思議で仕方なかった。落合は小さくため息をついた。

「先輩って、人には優しいですけど、いざ自分のこととなるとないがしろにしがちなんですよね」

「時間があれば並んじゃうくらいなんですから、自分の願い、叶えてあげてくださいよ」

「……」

 後輩からの意外な言葉に長谷川は返すことが出来なかった。落合は態度から、チャラチャラしていて、軽いやつだと思われがちだが、案外人のことをよく見ていて気がつかえるやつなのだ。

「ありがとうな」

 長谷川は落合に向かって礼を言った。

「俺が好きでやってるだけなんで。気にしないでください。じゃ、日曜日、駅に9時集合ですよ。遅刻しないでくださいね」

 落合はジョッキに半分ほど残っていたレモンサワーを勢いよく飲み干した。

 日曜日。天気は快晴。長谷川は遅刻してはいけないと思うあまりに待ち合わせ時間の30分前に駅に着いてしまっていた。よくよく考えてみると休日にこうして誰かと待ち合わせをするなんていつぶりだろうか。

 長谷川が到着して15分くらい経った頃、落合がやってきた。

「あれ、先輩早いっすね」

「せっかく僕に付き合ってくれるって言ってるのに、遅刻してきたら悪いなと思ったら早く着きすぎた」

「真面目ですね、先輩は。じゃあ行きましょう。これならカツサンドも余裕で手に入ります」

 精肉店に到着すると、やはり人気店、すでに並んでいる列ができていた。長谷川と落合はその列の最後尾に並んだ。

 並んでいる間、2人は主に職場でのことを話した。

「お待たせいたしました。開店です! 」

 いつのまにか時間はすぎ、いつも売れきだと申し訳なさそうに伝えてくれるおばちゃんが威勢よくそう言った。

 それからしばらくして、列が捌けていき、ついに長谷川たちの番になった。

「あらお兄さん、日曜日に会うなんて珍しいね」

 たくさんの客を相手にしているだろうに、長谷川はおばあちゃんが自分のことを覚えていることに驚いた。

「今日はあるよ、メンチカツサンド」

 おばあちゃんはにっこりしながら言った。

「2つください」

「あ、あと俺、コロッケも1つ! 」

 長谷川の後ろから、落合が言った。

「はい。お待ちどうさま」

 おばちゃんはそう言って、メンチカツサンド2つとコロッケ1つが入った袋を手渡してくれた。受け取った長谷川はここ最近で一番胸が高揚したように思えた。メンチカツサンド1つでこんなにも嬉しいなんて……自分はよっぽぼこれが食べたかったんだなと長谷川は自分のことながら再認識した。

「せっかくなんで近くの公園で食べましょうよ」

 落合はそう言うと歩き出した。長谷川もそれに続く。

 池のあるその公園は朝早いにも関わらず、親子連れがちらほらいた。長谷川と落合はベンチを見つけるとそこに腰掛けた。

「熱いうちに食べましょう」

 落合は袋の中をガサガサ言わせてメンチカツサンドの入ったタッパーを2つ取り出すと、1つを長谷川に差し出した。

「ありがとう」

 長谷川はメンチカツサンドを両手でもらった。

「さすがSNSで話題なだけあって美味しそうですね」

 スマホを取り出し、カツサンドを撮影する落合を見て、こいつは自分のために動いているだけじゃなさそうだなと長谷川は少し安心した。

「さ、食べましょう! 」

 長谷川はタッパーから一切れメンチカツサンドを取り出すと、口元へ運び、一口齧った。

 ふわふわした食パンの食感、サクサクと音を立てる衣、そして溢れんばかりの肉汁が口の中いっぱいに広がった。

「うまい……」

 長谷川は思わず声が出た。こう言ってはなんだけども、たかがメンチカツサンド1つでこんなにも幸福感を味わえるだなんて思ってもみなかった。

「よっぽどそのカツサンドが食べたかったんですね先輩。たとえ小さなことでも、ちゃんと自分の欲は叶えてあげなきゃダメですよ」

 落合はなんだか嬉しそうだ。

「お前はそういうの、得意そうだな」

「ええ。お陰で人生楽しいっすよ」

 隣で美味しそうにメンチカツサンドを頬張り、そう言い切る後輩に、長谷川は少し羨ましさを感じた。




3月7日「今日は何の日」

メンチカツの日

消防記念日

東京消防庁開庁記念日

警察制度改正記念日

サウナ健康の日

十歳の祝いの日    など

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