第31話 結希との時間

 純と別れた後、俺は真っ直ぐ家に帰った。

 とくに寄る場所も無かったし、おじさんに呼び出しもされていない。


 玄関を開けると、いつものように結希が奥から顔を出す。


「お帰り、お兄ちゃん」

「ただいま、結希」


 俺が靴を脱ぐなり、結希は突然俺の首元の匂いを嗅ぎ出す。

 何事? と思いつつも、俺は彼女を押しのけるようなまねもせず、黙ってその行為を受け入れていた。


「……女の匂い」


 ギクリ。

 別にやましいことなんて一つもないのだけれど。

 でも心臓が飛び跳ねる。


「女の子と一緒に映画に行ってただけだよ」

「ふーん」


 結希の目がギラリと光る。

 光ったと思うと、彼女が手に持っていた包丁も光を放つ。

 って、包丁なんか持ってた!?

 

「付き合ったりしないよね?」

「と、当然だろ……相手はアイドル……」

「アイドル!? どのアイドル? 朝のドラマに出てる子? バラエティに出てる子?」

「んん……どうだろう……」

「よくテレビに出てる?」

「出てる……かな」

「ふーん……」


 妹の目の奥で炎が揺らぐ。


「別にどのアイドルと遊んでもいいけどさ……ちゃんと帰ってくるよね?」

「もちろん。帰ってくるに決まってるだろ」

「ってことはさ、最終的に私のもとに帰って来るってことだよね?」

「んん? その言い回しはどうなんだ?」

「言い回しというか、どういう考えをしてるかが大事なの。その人と付き合う予定は無いって考えていていいんだよね?」

「それはもちろん」

「そっ。ならいいや」


 結希がニコッと笑い、包丁を背中に隠す。


「ご飯作ってる最中だからさ、もう少し待っててよね」

「ああ……分かったよ」


 妹は踵を返し、キッチンの方へと行ってしまう。

 いや、何をどう納得したんだ?

 話が終わったのはいいけれど、どんな解釈したんだよ、お前。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 結希の手作りオムライスを食べ終える頃には外は真っ暗となっていた。

 リビングのソファで座っていると、家事を終えた結希が俺の隣に座り、映画を観始める。

 丁度そのタイミングで、おじさんから連絡が入ったので、俺は黙って応答した。


「もしもし」

『おうタクか。お前……またド派手にやったもんだな』

「ああ。三階層のエリアマスターのこと?」

『おう。あれなら俺も行った方が良かったな。撮影してた方が、数字も稼げただろうし。勿体ないことしたわ』

「それは残念。でも、そんなに気にしてないようにも感じるけど?」


 おじさんが電話の向こうで大笑いする。

 その声が聞こえたのだろう、結希が露骨に嫌そうな表情を浮かべていた。


「おじさん、笑い声キモイ」

『ゆ、結希いるのか?』

「いるよ。隣にいるよ」

「いないわけないじゃない。ずっと隣にいるつもりだし」


 おじさんは結希の存在に少し怯え、小声で話す。


『タク。そいつから離れて話するぞ』

「そういうわけにはいかないと思うよ。家の中にいる時はずっと傍にいるから」

「家の外では一緒にいられないから、こうして家の中ではずっと一緒にいるの」


 外でいられなくても中で一緒にいる必要はないだろう。

 俺はそう思うが、しかし何も言わなかった。


「とにかく、無理だと思うよ。大事な話ならまた別の日にしようよ」

『まぁそこまで大事な話じゃないんだがな。ほら、さっき気にしてないように感じるって言っただろ』

「言ったね」

『そのことだけどな……コラボの効果か、俺たちの登録者数が、またうなぎのぼりだ。撮影できなかったのは悔やまれるが、それ以上に登録が多かった。だからそんなに気にならない。気にしないのだ、俺は』

「そんなに増えたんだ? 考えてみたら、動画を投稿してた人も多いだろうし、色んなところから来たんだろうね」

『ま、ありがたい話だよ。これでまた一歩、金持ちに近づけたってわけだな! もう来月ぐらいにはウハウハになってるかもな! ウハウハを考えれば考えるほど笑いが止まらんぞ。ウハウハ』

「おじさんうるさい」

『すいません……』


 結希の声におじさんはピシャリと笑い声を止める。

 笑いが止まらないと言った瞬間に止まっているじゃないか。

 俺はそのことに笑いながらおじさんとの会話を続ける。


「登録は嬉しいけど、ダンジョンに行くことも考えないと。もっと先に進まないと登録者も減っちゃうでしょ」

『だな。言ってもまだ三階層。先はまだまだ長い。だから明日もダンジョンに行くぞ。ダンジョンに行って潜って成長して、それからハッピーライフを満喫だ』

「いいね。ハッピーライフ」


 幸せなのはいいことだ。

 それにまだ強くなれることを想像すると、ワクワクする。


「じゃあまた明日ね、おじさん」

『おう。また明日な!』


 電話を切ると、結希が俺の肩に頭を預けてくる。


「最近、ダンジョン行くのが楽しいみたいだね」

「楽しいな。ゲームをやってるみたいで楽しいよ」

「楽しいのもいいけど、おじさんと一緒に出かけるのもいいけど、でも私のことも構ってくれないとダメだよ?」

「分かってるよ。家の中では結希だけだろ?」

「……おじさんと電話してたじゃない」

「それは……仕方ないだろ」


 妹の頭を撫でてやると、彼女は気持ちよさそうに目を細めた。

 なんとか誤魔化せたようだけど……電話ぐらい許してくれよ。

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