002 / 【工藤竜太は剣の達人である】
「──"突然、奴隷たちの手足の鎖が朽ちる"」
羊皮紙に、そう書き綴る。
「うん? 何を言って──」
その瞬間、俺が記した通りに、奴隷たちの心までをも縛り付けていた鎖が、砂のように崩れ落ちた。
「……は?」
老人を始めとした奴隷たちが、驚愕に目を見開く。
続けてペンを走らせる。
【奴隷たちを運んでいた馬車の車輪が、泥に
【馬車が止まる】
そう書き記した直後、馬車が大きく揺れ、止まった。
「──逃げろ! 今のうちだ!」
俺が声を張り上げると、老若男女を問わぬ奴隷たちが、はっと気が付いたように馬車から飛び出した。
彼らの運命はわからない。
ただ、上手く逃げ延びることを願うのみだ。
「あんちゃん、いったい……」
「爺さんも、呆けてないで早く逃げろ!」
「い、いや、わしは」
「チッ」
知るものかよ。
差し伸べた手を拒絶するやつまで助けてやる義理はない。
俺は、老人を置いて、馬車の外へと飛び出した。
どこまでも続く草原。
点在する見たこともない木々。
青空の向こうに透けた月は、俺の知るものより遥かに巨大だった。
ここは、地球ではないのだ。
「……わかってはいたけど、ショックだな」
急に心細さを感じる。
いずれ辞めてやると誓った職場すら、妙に恋しかった。
呆然としていたのが悪かったのだろう。
「──おい、貴様! 何故外に出ている! 鎖はどうした!」
奴隷商人らしき
「……逃げましたよ、みんな。鎖が古くなってたみたいで」
「はァ……?」
慌てて馬車の中を覗き込む。
「……一人だけ、だと」
「だから、逃げましたって」
「ふざ──」
奴隷商人が、持っていた杖を俺に向かって振り上げた。
「おっと」
持っていた羊皮紙と羽根ペンを、奴隷商人に見えるように掲げる。
「わたくし、こういうものでして」
「吟遊詩人……?」
「ええ、まあ」
奴隷商人の顔が、一瞬にして
「──はは、……わははははッ! 吟遊詩人がいるのなら、奴隷の十人や二十人屁でもないわ!」
厳つい男たちに向かって、奴隷商人が指示を飛ばす。
「おい、こいつを予備の鎖に繋げておけ! 厳重にな!」
厳重に、か。
もし両腕をギチギチにされでもしたら、面倒だな。
「……あー、えーとですね」
「なんだ。抵抗は無駄と知れ。たかだか吟遊詩人ごときが、一対五で逃げられると思わないことだな」
「いえいえ。珍しい出来事なので、すこし書き残しておきたいな、と。奴隷の鎖が一斉に朽ちた──なんて、面白い展開でしょう?」
「……ふむ」
奴隷商人は、軽く思案したあと、頷いてみせた。
「五分だ。五分だけ猶予をやる。好きに書け」
「ええ、わかりました。ありがとうございます」
損得で動く人間は、扱いが楽だ。
天秤は必ずメリットのほうへと傾く。
うちの上司みたいに、クソみたいな自尊心で動く人間などより、よほど好感が持てる。
俺は、羊皮紙を逆手に持ち、腕を下敷き代わりにしてこう記した。
【工藤竜太は剣の達人である】
【彼は、たまたま足元に落ちていた錆びた長剣を拾い上げると、一瞬で五人を叩きのめした】
足元に視線を落とす。
そこに、赤く鉄錆びた長剣があった。
元からあったのか、書いたから現れたのか、それはわからない。
重要なのは、今ここに武器があるということだ。
俺は、羊皮紙と羽根ペンを自らの
柄が、手に馴染む。
剣道や剣術などとは縁遠い人生を送ってきたにも関わらず、この長剣を扱えるという確信があった。
「……おい、なんのつもりだ」
「あ、いや。なんか落ちてたんで。いります?」
奴隷商人が呆れた顔をする。
「いるか、そんななまくら。そこらに捨てておけ」
「まあ、それももったいないんでね」
俺は、長剣を適当に構えた。
「──かかってこいよ、クズ野郎ども」
不思議だ。
なんとなく構えただけなのに、それが最善の動きであることがわかる。
「──…………」
奴隷商人と、厳つい男たちの
「やれ。目と腕は傷つけるな。あとは好きにしていい」
それだけ告げて、奴隷商人がこちらに背を向ける。
だが、それが隙であることに気が付いていない。
彼らが熟達しているのは一方的な暴力であって、戦闘ではないのだろう。
戦い慣れているのであれば、いったん引いてから武器を構えるはずだ。
「──シッ!」
俺は、地面にキスをせんばかりに深く踏み込むと、錆びた長剣の腹で、男の
「あがッ!」
手が痺れる。
これが、人を傷つけた感覚か。
正直言って、あまり心地のよいものではない。
だが、そうも言ってはいられないだろう。
地面に転がりのたうち回る男の腹を踏みつけ、その勢いで別の男へと向き直る。
二人目の武器は、ムチだ。
奴隷を叩くためのものなのだろうが、近接戦闘に向いているとは言いがたい。
腰のムチへと伸ばした手を、長剣の腹で弾き飛ばす。
指の数本が折れた感触が右手に伝わってきた。
そのままの勢いで
とどめに顎を蹴り上げ、無力化する。
ここまで三秒。
無手の三人目が、構える。
武闘家だろう。
武器を構える隙がないのは優秀だ。
俺は、三人目の腹部へ向けて、思いきり突きを放った。
三人目が、長剣の腹に手を触れ、それを弾く。
やはりだ。
こいつが、いちばん強い。
弾かれた勢いで崩れた体勢に、三人目が追撃をかける。
だが、読んでいる。
体勢を崩したように見せ掛けただけだ。
俺は、追撃の拳に合わせ、思いきり爪先を振り上げた。
──パンッ!
拳を蹴り上げられ、今度こそ三人目に隙が生まれる。
俺は、その体勢のまま、三人目の喉笛に爪先を叩き込んだ。
仰向けに倒れていく三人目の顔面に、思いきり長剣の腹を振り下ろす。
三人目の鼻が折れるのがわかった。
次で最後だ。
顔を上げた瞬間、目の前に火球が迫っていた。
慌てて首を傾け、避ける。
耳の端の髪の一部が焼け焦げるのがわかった。
魔法だ。
やっぱあるんだな、魔法。
すこし感動しながら、再び詠唱に移る四人目を雑に叩き伏せた。
前に出て来た魔法使いなんて、こんなものだ。
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