号泣

「今日はここまでですかね」

「ううむ……。そうだな」

 アズがそう言ったのは、日が完全に落ち切ってしまったからだ。

 帰りは気の失ったブレアをアズがおぶり、そんな二人をマリオンが護衛するという形であった。

 来た時と同様、マリオンは二人を抱えて走ると提案をしたがアズは却下した。

 確かに、強化バフを重ね掛けしたマリオンであれば可能であろうが、夜の森の強行軍はかなりの危険が伴う。

 多くの魔物は人間よりも夜目が利く。

 そも人里を一度ひとたび離れれば──どんなに整備された街道であれ──どこも魔物のテリトリーなのだ。

 名高い冒険者が、ちょっとの油断、つまらぬミスで命を落とした話は枚挙にいとまがない。

 命を守るという点に関しては、慎重に過ぎるということはないのだ。

 或いはマリオン一人であれば、彼女の剣の腕を以てして強行するのも容易かろうが、今はお荷物二人を抱え込んでいる。無理は禁物であった。

 アズはブレアをそっと降ろすとキャンプの準備に取り掛かった。

 と言っても準備もせずに飛び出してきた訳で、焚火を起こし、なるたけ乾燥した葉をあつめて簡易の寝床を作るだけで終わってしまった。

 アズは集めた葉っぱの上に布を敷き、今一度ブレアを抱き上げてその上に横たえた。

 そうしてアズとマリオンは自然、焚火を囲うように座る。

 アズが焚火に何かを放り込んだ。もうもうと白い煙が立ち込め、その独特な香りから魔物除けの香だとマリオンは気付いた。

 時折火の粉の爆ぜる音以外は何もない、静寂が辺りを支配していた。

 どちらから話すでもなく、ただ沈黙を守りアズは揺らめく火を眺めていた。

 ぼんやりと、何も考えずに見る火というのは心が落ち着く。すると今まで張っていた緊張の糸が切れ一気に疲労が襲ってきた。

「……眠ってもいいんだぞ?」

 察したマリオンに気遣われる。

「いえ、休むのでしたらマリオンさんが先に。今この面子で魔物に対応出来るのはあなただけですから」

 ──獣と魔物の違いとは何だろうか?

 一説によれば、人間を襲うことへの積極性だという。

 このような夜でも、獣であれば火を焚いていれば人間の気配を感じて避けるものの、逆に魔物は飢えた熊の如く猛然と襲い掛かってくる。

 だからこその一手間、魔物除けの香なのだが、これも本能を理性で抑え込める魔物には効果は無い。得てして本能を御せる魔物は脅威度が高いと相場が決まっているのだ。

 生憎、この森にそこまでの魔物は生息していない。火と香を絶やさずにいれば凡その安全は確保出来ているも同然だが、中にはだとか香の効かぬ変異種もいるため、矢張り人の領域を出た冒険者に絶対の安全など何処にも在りはしないのだ。

「大丈夫だ。私なら一晩ぐらい寝なくたって平気だぞ?」

「いいえ、休めるうちに休むのも冒険者の鉄則です。平気だから、大丈夫だからと言い聞かせて本当に大事な時に実力が発揮出来なくなったらどうするんですか」

「むぅ、仕方ない。リーダーの指示に従おう……」

 不承不承、マリオンは頷くとブレアの横に寝転んだ。

 寝顔が見られたくないのか、彼女はこちらに背中を向けた態勢である。

「なぁ、アズ?」

「どうかしましたか?」

「いや。助けられて良かったなって、それだけだ……」

「マリオンさん?」

 本当に、それを言いたかっただけなのだろう。すぐにマリオンから寝息が聞こえてきた。

 こうして一人になったアズは何をするでもなく、焚火を絶やさぬよう時々薪を投げ入れ、香を継ぎ足した。ただ、それだけだ。

 昼から慌ただしいことの連続で、手持ち無沙汰なこの時間がやけに遅く感じられる。魔物の生息域だというのに平和すら覚えて、「くぁ」とアズは大きな欠伸をした。

 ……どれくらいの時間が経ったか、正確には分からない。

 だけど、そろそろ夜番を交代して貰おうか。そんな考えが過ぎった時である。

「ん……。んむ……」

「ブレア?」

「ふぇ、……アズさん?」

 ブレアが意識を取り戻した。

 しかしまだ寝ぼけているのか、今一つ状況を飲み込めていないようだ。

 むくりと上体を起こしては目を擦り、ぼんやりと周囲を見ている。

 その顔がピタリと、アズを認識して止まった。

「どうした? もしかして、どこか痛むのか?」

 微動だにしなくなってしまったブレアの姿に、胸中に不安が生まれる。

 すぐに対応が出来るよう、ブレアの隣で膝を付き、何か見落としでもあったのだろうかと? 天辺から爪先までくまなく観察していると、ブレアの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。

 アズが驚愕を覚えるよりも早く、トンと、ブレアが抱き着いてきた。



「ぶぇええええぇぇぇぇぇぇんんっ‼ アズざん、ごべんなざいぃぃぃぃぃ──────っ‼」



「な、なんだ⁉ 敵襲か⁉」

 ──号泣であった。

 ブレアが整った顔を見事にくしゃくしゃにして、まんまるな眼から滂沱の涙を流している。

 そのあまりの声量に隣で寝ていたマリオンが飛び起きた。

「マリオンざんもぉ、ごべんなざいぃぃぃぃ────っ!」

「は?」

 マリオンとて起き抜けに号泣するブレアの姿を見せつけられ、その上謝罪されても何がなんだかである。

「ぶ、ブレア。誰も怒っていないから、な?」

「びぃえええぇぇぇぇぇ──────っ‼」

 服が伸びるだとか涙と鼻水とでべちゃべちゃだとかは置いておき、アズは稚児ややこをあやすようにブレアの背中をポンポンとはたく。

 だが泣き止むどころかブレアは更に酷く泣き喚き、アズとマリオンはほとほと困り果ててしまった。

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