ブレアの真意

 ブレアは独り、アズたちと薬草を採取した森へ来ていた。

 足取りに迷いは無く、一路奥を目指しているようだ。

 道中、何人かの冒険者とすれ違ったが、彼らと会話を交わすことはなかった。

 ブレアは進む。

 道中ゴブリンの群れと遭遇するも、目にも止まらぬ速さで長杖を振るうと次々ゴブリンが蹴散らされてゆく。

 正に電光石火であった。

 ブレアは短く呼気を吐き、気を整えるとまたも森を進み始めた。

 奥へ、奥へ──。

 森の見せる表情に変化が見られた。

 魔物こそ出るものの空気は清涼で動植物の気配に満ち、らしい森と言える。

 だが今ブレアが足を踏み入れた森は、日中であるにも関わらず薄暗く、湿度は肌に纏わり付くほどで、吹き出る汗がブレアの体力を奪ってゆく。

「ふぅ」

 ブレアは額の汗を拭った。

 汗を大量に吸った袖が妙に重く、肌に張り付いた復が一層ブレアを不快にさせる。

「……こんなんじゃ駄目だ」

 己の不甲斐なさを叱咤するブレアの表情は厳しい。

 本来なら今日は、アズとマリオンと共にこの森の中層部でコボルトを狩る予定だった。

 しかしブレアは、集合の約束を破り一人で来てしまっている。

 何故にブレアがこのような暴挙に出たのか?

 既に知っている通り、ブレアの目的は自身の見聞を広めることにある。

 路銀が尽きた故に王都で足止めを食っているものの、本来は旅をする身である。一処に身を委ねるつもりはなかった。

 冒険者業に身をやつしているのも、手っ取り早く金を稼ぐ、それ以上の目的は無い。

(無かったはず、なのに……)

 アズはブレアに、懇切丁寧に一から冒険者の心構えを教えようとしてきた。

 初めはあの人の熱意が疎ましかった。所詮腰掛け程度の冒険者業に全力で取り組む気は無かったからだ。

 そも自分の実力を以てすれば、ギルドでCランクに分類されている魔物は難なく狩れるのだ。

 事実としてブレアは王都ノルンに来るまで一人、旅をして来たのだ。

 だから、アズの親切心は面倒なだけ。その筈なのに──。

 無意識にブレアは己が頭に手を乗せていた。自分とは違うアズの大きな手が髪を撫でる感触を不意に思い出したからだ。

 彼らとの関係は過酷な修行に人生を費やしてきたブレアにとっては優しくもあり暖かくもあり、しかして生ぬるさを感じて、……自分が堕落してゆくようで怖かった。

 まさかアズも距離を縮めようとした試みに成功していたが故に、避けられるようになっていたなどとは夢にも思うまい。

「いけないっ」

 ブレアは頭を振り気を引き締め直す。

 いよいよ森は人間を拒み始めた。

 節くれ、捻れた太い根が地中から張り出し、人の入りが少ないためか、積み重なった落ち葉は泥土のように溶けて往く人の足を奪う。

 しかしチャクラで身体能力が向上しているブレアは苦とせずに進む。そんな彼の視界にふと人影が映った。

 いや、こんな森の奥でただの人が居る訳がない。同業者か、はたまた──。

 木の影に身を潜めブレアは人影に近付く。


 二足歩行の狼、コボルトだった。


 三体のコボルトは人間には耳障りな声でギャウギャウと、しかし確実に、会話をしている。

 ──コボルトは狼の獣人だ。彼らが恐ろしいのは狼の身体能力を持ちながら道具を扱い、何より仲間同士で意思疎通が出来る。彼らは本能ではなく、知恵と工夫で襲ってくるから注意するんだよ。

(アズさんの言った通りだ……)

 気付けば脳裏にアズの言葉が過ぎり、ブレアはそれを振り切るようにしきりに頭を振った。

(ふぅ、落ち着け。今まで一人で大丈夫だったじゃないか)

 いつの間に自分はこんな臆病になってしまったのか?

 やはりパーティーを組んだからだとブレアは結論付け、自分の判断は間違っていないのだと、長杖を握り直した。

(──よし!)

 ブレアは瞑目し、胎内でチャクラを練る。

 ヘソの辺りから生じた熱がじんわりと身体全体に行き渡るのを感じ、瞑っていた目を見開くと勢いよく木の影から飛び出した。

 ピクリと、コボルトの頂天にそそり立つ耳が一斉にこちらを向いた。

 ブレアの獲物が長物とはいえ、互いの距離は十五メートルほどか。

 ものの数秒で接触する距離だが未だ射程に捉えた訳ではない。しかしブレアは長杖を振るった。

ハイ──ッ!」

 すると龍の装飾彫りのされた長杖が、彫画ほりえの如くしなやかに伸びる。

 鎖が──七つに等分された長杖の、中に仕込まれていた鎖の分だけ射程が伸びたのだ。

 三節棍よりも節の数が多い、七節棍という訳だ。

 鞭の如く唸る七節棍が一体のコボルトの頭蓋を砕いた。尚も七節棍は勢いを殺さず、もう一体のコボルトを吹き飛ばした。

 予想外の攻撃に最後の一体が混乱に陥る。その隙にブレアは残る一体の懐に入り込んだ。

 慌ててコボルトは手に持った棍棒を振るうも、そんな破れかぶれに当たるブレアではない。

 袈裟に振るわれた棍棒を目前で躱すと、ブレアは更に距離を詰めコボルトの鳩尾みぞおち部分に拳を叩き込んだ。

ァッ‼」

 インパクトの瞬間と同時にチャクラを流し込む。

 大量のチャクラを流し込まれたコボルトの背中から、勢いよく臓物が弾け出た。

 ──残心。

 ブレアは長杖に戻した愛用の武器を構え周囲を見やり、他に気配が無いのを確認してからゆっくりと息を吐いた。

「ぷふぅ」

 足元に転がっているコボルトの遺体を見る。

 臓物のまろび出た最後の一体は言うに及ばず、他の二体も酷い傷であった。

 これでは素材の価値が下がるとアズが肩を落としそうだ──そこまで考えブレアは頭を振った。

「いけないいけないっ」

 ──アズの幻想を振り切るのだ。

 その為にブレアは約束を破ってまで、過酷な修行時代を思い出すべく独りで森にやって来たのだから。

 だが、そう思えば思うほどに、ブレアは少ない思い出の中にアズの姿を見出してしまうのであった。

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