田舎のあれこれ
7時に雪太が起き出してきた。
「おはよう」
「おはよう。あなた、今日は第1日曜日よ」
「ああ、そうだった。まあまずは飯だ」
そのうち大河と恵利も台所へ。シンクの横の三畳の食堂にちゃぶ台が置かれ、その上に四人分の朝ごはんが用意されている。
今日は焼き魚と豆腐とワカメの味噌汁。漬け物は、頂き物のキュウリの浅漬けである。
「大河は今日どうするんだ」
「えっとね、みんなでサッカーやるの。そのあと斉藤くんの家に行ってゲームして遊ぶ」
「斉藤くんか。仲間になってくれたのか」
「うん。斉藤くんと伊藤くんがこっちのグループに入ったんだよ。これで4人だよ」
大河はにこりとし、魚をほうばる。
「順調そうじゃないか」
「うん!」
「わたしはねーおうちでお絵かきー」
恵利が今日の予定を報告する。
「そっか。パパのあとを継いでくれるのか」
恵利が静江に聞く。
「あとをつぐってなにー?」
「大人になったら何になりたいかってことよ」
「んとねーケーキ屋さん」
雪太はずっこけた。そして笑いながら言う。
「ケーキ屋さんか。ケーキ美味しいもんな。頑張りなさい」
「はーい」
第1日曜日は、月に一度の集落の掃除の日だ。一家から一人は参加しなくちゃならない。これには雪太が参加する。面倒くさいが仕方がない。田舎のしがらみの一つだ。
「おはようございまーす!」
スコップを持ってみんなと合流していく。雪太が担当するのは集落の真ん中にある橋の、へりに貯まった泥落とし。端から手をつけていく。
「おはようございます、新垣さん。いや新垣先生、聞きましたよ画家の先生だそうで」
集落の川むかいに住んでる立木さんが、声をかけてくる。
「先生はよしてくださいよ。そんな大層なものじゃありませんから」
「おはようございます」
「おはようございます、新垣先生」
「おはようございます、先生 」
気付けば雪太のまわりには5~6人の人だかりが。もう完全に先生になっている。こそばゆくてしかたがない。
しかし気分が悪いわけでもない。集落のみんなから怪しい奴と見られなくなっただけでも救われたというべきか。
スコップで泥をすくい、横の川に放り込んでいく。ざっと30分の作業。それが終わるとみんな公民館に集まっていく。畳敷きの公民館には、すでに魚肉ソーセージやちくわなどが長テーブルに置かれている。これから宴会が始まる。酒飲みが多い集落なのだ。
雪太は、公民館の入り口にある自販機でコーラを買って中に入る。しばらくして各々ビールを飲みだす。もう一年半もいると、雪太が酒を飲めない(ということにしている) のを知っているので、だれも雪太に酒を勧めてはこない。
みんなが少々酔ってきたところで、区長さんが名簿を持ち、一人一人から5千円を徴収してまわる。主に街灯の電気代や、道路の修繕費にまわされる資金だ。まあ年1回なので、共益費にしては安いものだ。
酒はもう10年は飲んでいない。
あの時、死ぬために飲み続けていた。
9月、まだ残暑が厳しいなか、エアコンも入れず朝から晩まで。酒を5日も飲み続けると、食欲が全くなくなる。飲んでは吐き戻し、空っぽの心にまた酒を注ぎこみ、体はがりがりになり、餓死を待つ。
自殺する勇気もなく、かといってまたパチンコで1からやり直す気力も失せて、ただ早く命が尽きることを願いながら、ウイスキーをあおる。
(いつか破滅するんだ……)
ずっとそういう予感があった。父の死が雪太の人生に色濃く
その頃描いていた女性像は、初めて本気で愛し愛された女だった。しかし別れと同時に写真も焼きつくしてしまっていた。顔は忘れていた。筆が止まった。そのうちに展覧会の応募期限が過ぎた。
(金がほしい、金がほしい……)
バカみたいだと思った。誰からも必要とされない、生きる価値なんかないこんな人生。
そこに聡が駆けつける。
「大丈夫ですか!」
「よう、お前さんか……」
一命はとりとめた。しかし次の日、強引に病院を出てアパートを処分し、車に乗り込み放浪の旅に出た。死に場所を探して。
「本当はいける口なんでしょう?新垣先生。一緒に飲みましょうよ」
もう酔っ払った近所の中川さんが、酒を勧めてくる。
「だめだって言ってるだろ!お前はいつもそうなんだから!」
何故か取っ組み合いの喧嘩が始まった。雪太は笑いながら立ち上がると区長さんに挨拶をして、公民館をあとにした。
家に帰り、無言でアトリエに向かう。
「なにかあったの?」
「いや、どうして」
「だって、ただいまって言わなかったから」
「そうか、ただいま。今日は紅茶じゃなくてコーヒーが飲みたいな。濃いいやつをたのむよ」
「うん。待ってて」
心にうっすら
椅子に座ってまたあの頃を思い出す。
タバコを取り出し、深く吸い込み吐き出した。
やけに苦い味がした。
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