本当に描きたいもの

 例の老人の肖像画も仕上げ段階に入っている。


 雪太は人物に色を入れてはパレットを変え、また筆を入れてはパレットを変える。これの繰り返しだ。パレットは3つ。赤系統、青系統、そして黄系統。絵の具は薄めない。原色どうしを混ぜて色を作り色を重ねていく。すると不思議な事に立体感が生まれる。こうすることによって人物がより際立つのだ。


 この独学で編み出した画法で入選を果たした。さらに写真よりもほんの少し柔和な顔立ちに仕上げる。これが好評で注文は後をたたない。いわば売れっ子画家になっている。


 しかし、無理はしない。マイペースで仕事を取っていく。


 たまに気分転換にパチンコを打つ。しかしそこは元パチプロ。負けはしない。1日平均2万円くらいの稼ぎをあげる。それを家族でお出かけする時の遊興費にあてる。


 パチンコを打つ時は朝の10時から夜の10時までの12時間労働だ。昔はこれを毎日やっていた。若かったこともあるが、よく続いていたものだと笑ってしまう。


 とにかく必死でがむしゃらだった。一億円を目指して、そこに到達すると全てを投げ出して田舎に移住し、のんびり絵を描きながら余生を送ることを夢見ていた。今の言葉でいうところのFIRE (ファイア) だ。


 今は何故かそれに近い生活を送れている気がする。


 人生とは不思議なものだ。



 パチンコを打っている時はひたすらぼーっとし、とりとめのないことを考えている。


 最近よく考えることは、自分が本当に描きたいものは何かということ。肖像画を描くのも確かに楽しい。好きなことだし、やりがいのある仕事だ。


 しかし、本当にそれで満足かといえば、考えこんでしまう。


 自己実現……青くさい考えだ。もうすでに達成しているではないか。いや、別の何かがあるはず。思考は分裂し、結局なにも前に進まないことに苛立ちすら感じる。


(おれはしょせん空虚な人間だ。そんなやつには似顔絵描きがお似合いなのさ)


 自分をくさして自分を笑う。


 そのうちにバカスカ当たり始めた。この店はまだ全自動計数機が台に設置されていない。足下に6箱積まれた。このほうが気分がいい。


 結果は1万円くらいの勝ちを拾った。まあこんなもんだと玉を流す。



 次の日、雪太は洗いざらしたエプロンを着て頭にタオルを巻く。


(もう今日から仕上げだ。四の五の言ってないで集中していくぞ!)


 集中するまで背景に色を入れていく。落ち着いてきたら肖像画の命である目を描く。極限まで集中すること2時間、だいたいカタをつけた。


「ヒィ~!」


 妙な声をだし背中を伸ばす。


「いまはここまで」


 パレットを自作のパレット置きに立て掛ける。青系統である。まつ毛なんかも黒ではない。濃紺で描くことが多い。


 午前中は、これで上がり。


 昼めしは自分で作る。今日はスパゲッティー。硬いパスタではなく3袋150円の、すでに茹でているあれである。


 人参、玉ねぎ、肉を切り、フライパンに潰したニンニクを入れ油に香りをつけたら具材全てを放り込み、しなしなになったところで麺3袋全部を入れて炒める。


 袋入りの粉末ケチャップと砂糖で味つけし、最後に葱をちらす。


「静江ちゃーん。できたよー!」


 裏庭で畑の草むしりをしている静江が立ち上がり「う~ん」と腰を伸ばしている。


 常時作っているのは、人参、玉ねぎ、葱、サトイモである。肉じゃが、カレー、シチュー、野菜炒め、マルチに使える万能野菜たち。冬場はこれに大根が加わる。


「いっただっきま~す!」


 二人とも1.5人前づつ食べる。チープな味つけながらもなつかしい美味しさ。


「静江ちゃんさー」


「ん~?」


「もしだよ、もし静江ちゃんが絵描きになったら何を描きたい?」


「えー? 海とか」


「海か~海はラッセンが描いてるしな~」


「いいじゃないのよ別に、誰が描こうが海はみんなのモノでしょ」


「まあ、そういう訳にもいかないところがこの世界というか。難しいなー」


 静江がスパゲッティーをズルズルすすりながら言う。


「あ、分かった」


「ん?」


「肖像画に飽きてきたんでしょ」


「そんなことないよ。いやそうかな、でも仕事だしな。ラッセンうらやましいな。あいつ好きなもん描きやがって、というのはあるかな」


「そうやって自分探しをして、人は成長してゆくのだよ」


「えー?おれまだ成長できてないのー!?もふぉ、ぐふふ、じゅうぶぉん、うふ、じんせへぇい、うひひ、けへいけん、つんできたとおもうんだけど。ごくん。わっははは!」


「まだまだ青いよ、兄ちゃん」


「兄ちゃんて、もう47のおっさんつかまえて」


「これからだって」


「遅咲きやな~って。こらっ。もういいよ、もう十分生きたし」


 しばし二人で笑いあう。そんな極上な午後のひととき。


「おれ、一眠りするわ」


「あ、わたしも~」


 いつだって昼寝ができる人生。


 なんと贅沢なことか。



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