第1話 僕に剣術は難しい
僕には前世の記憶というものがある。
こことは違う世界で生きていたという記憶が……
ただ、覚えている事はほぼ断片的で、僕自身も自分の妄想である事を否定できないほどの物だ。
だけど、1つだけ強烈に覚えている事もある。
1人の女の子を死なせてしまったという物だ。
この記憶にどれだけの意味があるのか、僕にも分からない。
けど、絶対に忘れてはいけない、戒めのような物の気がした。
* * * *
「おはようございます。アッシュ坊ちゃま」
「ん……おはよう。寝てたみたいだ……」
「そのようですね。お体に障りますのでお休みになられる時は、お部屋にお戻りください」
どうやら、父親の書斎で本を読んでいる時に眠ってしまったようで、メイドのリナリーに起こされた。
読んでいた本に少し涎を垂らしていたので、慌てて袖口でそれをふき取り、本を元の場所へと戻す。
「ごめんね、リナリー次から気をつける」
「そうして頂けると、私たちも助かります」
リナリーは、僕の世話役のメイドだ。
翡翠色した瞳と、紫の長い髪をツインテールに纏めているエルフの女性だ。
真面目を体現したような人で、規則に厳しくきっちりと仕事をこなす。
かれこれ、10年は一緒にいるけど未だに笑った所を見せてくれたことはない。
でも、すごく優しい人だ。
「アッシュ坊ちゃま、先ほどロイド様がいらしておりました」
「ええ。何か言ってたか?」
「一緒に剣術の修行をしたいとおしゃっておりましたよ」
ロイド・ガルディア。
僕の兄にして、剣術の天才と呼ばれる男だ。
僕と同じ歳の時には、王都で開催されている剣術大会で優勝したこともある。
最近は実戦経験を積むために父親と共に王都で魔物退治をしていると聞いてたけど……まさか、帰ってきているとは。
「できれば遠慮したいけど、また父上にどやされるよな……」
「残念ながら、お叱りは免れないと思います」
父は僕も兄のようになってほしいようで、恐らく兄が帰ってきたのも、普段から僕が修行をさぼっていないか確認させるためだと思う。
ここで、兄の誘いを断れば、その事が父に伝わり今までのようなのんびりとした生活は出来ないよな。
「兄には敵わないんだけどなぁ……」
「ご安心ください。私に秘策があります」
「……一応聞いておくよ」
「それでは、耳をお貸しください」
* * * *
屋敷の庭で兄が待っているというので、向かってみると上半身を露出した男がそこに立っていた。
十分に鍛えて挙げられた肉体と赤い髪は獅子のような勇ましさを感じさせ、山吹色の瞳はまるで炎ような熱を感じる。
そんな兄は、僕が見えると笑顔で木剣を構えた。
「こないかと思っていたぞ」
「僕も来たくなかったけど、後で父上様のお叱りを受けるのが嫌なので」
ゆっくりと兄に近づきつつ、僕も木剣を腰から抜き構える。
遠目でも分かっていたのだが、近づくとなおさら兄との体格差を感じる。5つ違いといえ兄の背丈は僕よりも頭二つ分高く、体付きも二周り以上の差があるように感じた。
まるで大人と子供といわれてもおかしくない差だ。
いったいどうやって、この男に勝てというのか。方法があるなら教えて欲しい。
「はっはっは。この兄よりも父上を恐れるか、やはりまだまだ私も半人前らしいな」
いや、どっちも死ぬほど怖い。
しかし、今後の生活の事を考えると、今ここで兄にぼこぼこにされるほうが幾分かましというだけだ。
「違うよ兄さん。父上に対しては反逆だけど、兄さんに対しては挑戦だからね。どっちが怖いとかじゃないよ」
格好つけたくて屁理屈を言ってみる。
しかし、兄は豆鉄砲を食らったような顔をしていた。何か驚くことでもあったのだろうか。
「確かにお前の言う通りだな。お前に対して真摯に向き合ってなかったのは私のほうみたいだな……」
僕と兄は会話を交わしながらも、木剣を構え、お互いに向き合う。
「ありがとう、大切な我が弟よ――」
兄が何かを言ったと思うとほぼ同時に、僕に向かって飛んでくる。
あっという間に目の前だ。
横振りの一撃を、僕は後ろに飛び、何とかかわす。
しかし、兄は木剣を振った勢いのまま、体を捻り一回転。
戻ってきた一撃は確実に僕の胴体を捕らえている。
兄の速度に対応しきれなかった僕は、とにかく一撃を防ぐため木剣を構えるのだが……
鈍い音と共に、僕の体は簡単に吹き飛ぶ。
対応が遅れ、踏ん張れなかったことを考えたとしても、圧倒的力量差を感じずにはいられない。
地面に着くすれすれで、なんとか受身を取る。
兄の次を防ぐために顔を上げるが、すでに剣先は目の前にあった。
間髪をいれずの突きが、容赦なく僕の顔面を狙ってくる。
「グッ――」
攻撃が突きであったことが幸いし、上体を半身動かし、何とかそれをかわすことは出来た。
問題は、次。
兄の剣は正確に、かわした僕に向かって飛んでくる。
そう、絵に描いたような正確さ。
いくら、剣術が苦手な僕でも読める軌道。
あらかじめ来るのが分かっていれば、半歩先――
僕でも兄を出し抜く事は出来る。
「くっ……」
兄の振った剣をかわし、整えた体勢で懐へともぐりこむ。
体格差を生かし、出来る限り低く、低く。
これは先ほどリナリーに教わった秘策だった。
兄の強さの元には、いく折にも積み重ねた基礎鍛錬があるのだが、裏を返せば、兄の剣は素直すぎると言うのだ。
だから、そこを狙えば僕でも兄に一矢報いることも出来る。
「うりゃあああ」
懐にもぐりこんだ、僕の一撃。
兄の胴体を狙う突き。
しかし、僕は迷ってしまった。
いくら鍛え上げている兄であっても、さすがに突きを食らっては怪我をするのではないかと……
そう思うと、僕は突き出した剣を少しずらし、攻撃の勢いを殺した。
「甘いっ!」
兄の怒号と共に、僕の体は地面にぶつかり跳ねた。
そして残念なことに、その後の事は覚えていない。
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