第308話「魔導技師は信用が大事だからな」
ヨッタが宿を訪れたのは、ララとイールが鍛錬を終えてすぐのことだった。大きな荷物を背負って現れたヨッタに、ララが気付いて手を振る。
「ヨッタ! もうお店も閉めたのね」
「夜になると一気に冷えるからな。客もこなくなるのさ」
予想よりも早い来訪にララが驚くと、ヨッタは肩を竦めて言う。
砂漠は寒暖差の激しい土地だ。昼間は身を焦がすような日差しが降り注いでいたが、太陽が隠れてしまえば凍えるような寒さがやってくる。ヨッタも厚手の外套を着込んでいた。
ララとイールは暖かいうちから激しい鍛錬を続けていたため、まだ体が火照っており、気付かなかった。
「イールが汗臭くてごめんね。すぐ部屋に案内するわ」
「ありがとう、頼むよ」
「おい、なんであたしだけ汗臭いことになってるんだ」
ヨッタの手を引き、ララは宿の中に入る。カウンターに寄りかかっていた砂竜人の主人が、ヨッタを見て会釈した。
「やっぱりヨッタだったか」
「まあね。魔導灯の調子はどう?」
「そっちはおかげさまで問題ない。数年は保ってくれるだろ」
親しげに話す二人に、ララたちは首を傾げる。その様子を見て、ヨッタが事情を話した。
「修理業もやってるって行ったろ。前にここへ来た時に、そこの魔導灯も直したんだ」
そう言ってヨッタは天井に吊り下がった大きなランプを指さす。炎のように揺らめかず、安定した光を放つその照明器具は魔導具だった。
「ヨッタは若いが、腕は確かだ。俺が言うんだから、間違いない」
「そりゃ良かった。ロミが待ってるから早速やってくれ」
宿の主人に見送られ、三人は階段を登る。二階に並んだドアのうち、一番手前にあるものを開くと、ロミが首を長くして待ちわびていた。
「いらっしゃい! 今日はよろしくお願いします」
「はいよ。じゃあ、早速始めるから」
ロミは神官服を脱ぎ、代わりにイールの外套を羽織る。体格が違うためぶかぶかだが、夜の冷気を凌ぐには十分だ。
神官服を受け取ったヨッタは、早速荷物の中から道具類を取り出し、服の状態を検分し始めた。
「強い衝撃を受けたんだな。この染みは……砂鳴り蛇か。っと、それ以外にもちょこちょこ手が入ってるな」
丁寧に隅々まで観察し、情報を拾っていくヨッタ。彼女の真剣な目つきにロミは居住まいを正し、正確な指摘に目を丸くした。
「破損した直接の原因は砂鳴り蛇の攻撃です。細かい修繕後は、日々の点検で行ったものですね」
「なるほど。ちゃんと丁寧に使われてるのが分かる。ロミはいい神官だな」
「えへへ……」
ヨッタの素直な言葉に、ロミは照れた顔で頬を掻く。
そうしている間にも調査は続き、ヨッタは神官服の状態を隅々まで確かめた。
「よし、大体分かった。これなら今夜中にできそうだ」
「今夜中にできない可能性もあったの?」
ララが目を丸くして驚く。彼女はてっきり、パッチを当てて縫ったり、染みを落とせば済むようなものだと思っていた。
しかし現実はもう少し複雑なようで、ヨッタは呆れた顔で頷く。
「武装神官の服は高度な魔法がいくつも付与された、複雑な魔導具だからな。もし基幹回路が壊れてたり、侵蝕破壊術式が入ってたりしたら、もう大仕事だ。数日は掛かるかもね」
「もともと、一着作るのに数ヶ月かかるような物ですからねぇ」
ヨッタの脅すような声に、ロミもぽんやりと柔らかな口調で続く。彼女はそんな大層な代物を身に着けていたのかと、ララは今更になって瞠目した。
「ま、今回は表面の第一防御術式回路が壊れて、その余波で体温調節とか他の付与魔法の術式の一部が乱れてるだけだな。すぐに直せるよ」
ヨッタはそう言って、早速修理作業に取りかかる。リュックの中から取り出した道具箱を並べ、ロミが購入した修理用の部品を手に取る。青い目に単眼のルーペを着けて、口の端をきゅっと結び、慎重に――。
「もっと気楽にしてていいよ」
服に触れる直前、ヨッタはルーペを上げてララ達を見る。三人はヨッタの雰囲気に飲まれて押し黙ってしまっていた。
「いいの? 集中が乱れない?」
「別に。むしろ、何か話しててくれた方が集中できるくらいだから」
「なるほど。分かったわ」
軽く笑って、再びヨッタは作業に入る。そんな彼女の要望に応じて、ララは緊張していた体を弛緩させて口を開いた。
「ロミもそうだけど、武装神官の服って修理するのが普通なの? 普通に新しいの買った方がいいと思うんだけど」
物に溢れた世界で暮らしていたララにとって、修理しながら長く使うということは、しばしば特別な行為だった。彼女はサクラというAIをスクラップ同然のものから修理しつつ成長させてきたが、そんな行為は道楽のようなものだ。
壊れれば、捨てる。そして新しい物を買い、また壊れるまで使う。それが彼女の中にある常識だ。
「神官服は、さっきも言ったとおり作るのも大変ですからね。半分以上が焼け消えるとか、そういうもうどうにもならないような状況では無い限り、修理しますよ」
「魔導具全体がそんなもんだよ。全部人が作ったもんだからな」
「それもそっか。なんか失礼なこと言っちゃったわね」
ララの母星で大量生産大量消費が基本となっていたのは、優れた工業力と無限に近い資源があったからだ。この世界では魔導具に限らずあらゆるものが人の手によって作られており、限りあるリソースの中でやりくりせざるを得ない。
「ま、そのおかげであたしみたいな若手にも仕事が回ってくるんだけどな」
神官服に付いた赤い染みを落としながら、ヨッタが笑う。
「ヨッタは修理が本業なの?」
「今のところは。露店で色々売ってるけど、稼ぎの大半は修理だね」
だから慣れてるんだよ、と彼女は言った。
たしかに、昼間ララが訪れたヨッタの店は、さほど繁盛しているようには見えなかった。
「若いうちは修理しながら、いろんな魔導具の技術を見て触って盗むんだ。そうやって実力を上げて、良い魔導具を作れば、評判になって店も買えるようになる」
「なるほどねぇ」
魔導技師にとって修理とは、稼ぎ時と同時に修行としての面もある。自分ではまだ作ることのできない高度な魔導具も、修理しながら構造や技術を覚え、作れるようになっていく。それと同時に、修理する魔導具の持ち主に名を売る。そういった下地を作り、やがて一人前の魔導技師となるのだ。
「ヨッタはこの近くの出身なのか?」
「エストル生まれのエストル育ちだ。ま、10歳の頃から師匠に付いて遍歴職人の真似事はやってたし、14から独り立ちしたけどね」
「へぇ。師匠も遍歴職人だったのね」
ララの反応を見て、ヨッタは誇らしげに胸を張る。
「師匠は凄い魔導技師だよ。めちゃめちゃ厳しかったけどね。砂漠中の集落を回って、どんな魔導具も修理しちまうんだ」
「へぇ。一度会ってみたいわね」
「会えるかどうかは運次第だな。あたしでも、今どこに居るのか知らないし」
ヨッタの師匠は一箇所に三日と留まらない風来人だった。そのため、弟子入りしたヨッタも旅についていくことを許されるまではエストルに立ち寄った師匠から課題を貰い、再び戻ってくるまでに解いておくということを繰り返していたという。
そして、彼女に十分な技術が付いたとみるや、師匠はさっさと別れてしまった。
「ヨッタは師匠を探してたりしないのか?」
「うーん、別に? あたしが砂漠を巡ってれば、たまに会えるし」
「そういうもんなのか」
イールは実妹のことを思い出しながら、眉を上げる。世の中には様々な人間関係があるものだ。
「けど、あんたらも大概無謀だよね。この時期のアグラに来るなんて」
細い糸を細かなピンセットで摘まみながら、ヨッタが呆れた声で言う。
「いろんな人に言われたわ。まあ、色々事情があるのよ」
「事情?」
ララが慣れた様子で答えると、彼女は首を傾げる。本格的な乾期まっただ中にやってくるなど、ほとんど自殺に近い行為だ。そんなことをせざるを得ない理由とはどんな物か、彼女も気になった。
「ディスロって町に用があるのよ」
「ディスロ!?」
何気ないララの言葉に、ヨッタは大きな声を上げる。その拍子に糸が抜け、作業が振り出しに戻ってしまったが、構う様子はない。
「ど、どうしたのよ。突然」
ララの方が驚いて困惑する。ヨッタはそんな彼女に、深い青の瞳を真っ直ぐに向けた。
「あたしが次に行く予定の町もディスロなんだよ。実はまだ護衛の算段が付いてなくって、ギルドの商隊ともここで別れるし、ちょっと困ってたんだ」
「ええ……。あなた、明日には発つんじゃないの?」
キラキラと目を輝かせるヨッタ。彼女の言わんとすることを察して、ララは眉を寄せる。
ここの宿の主人によれば、ヨッタは明日にはオアシスを出発するはずだ。それなのに、未だに護衛を見つけられていないのはマズいだろう。
「いやぁ、その予定だったんだけどね。話を付けてた傭兵が、商隊の氷屋に買われちゃって」
「なにそれ……」
ララは呆れ果てるが、隣に座るイールは驚きながらも納得したような顔をしていた。
「傭兵は良くも悪くも金で動くからな。より高い金額が出されたら、そっちに靡くさ」
「傭兵が言うの、それ?」
「あたしもララも、普段から報酬額で依頼を選んでるだろ」
ララが口を尖らせるが、イールはそれを一蹴する。
たしかに、普段から似たような依頼が二つあれば、より報酬の多い方を選ぶのが普通だ。それはこの砂漠のオアシスでも変わらない。
「このままだと一人でディスロに行くか、傭兵が雇えるまでここで足止めされるんだ。こんなとこにギルドも無いし、商隊にくっついてる傭兵を引き抜くなんてできないし、ディスロで待ってる依頼主も居るんだよ。ね、お願い!」
完全に作業を中断し、ヨッタが手を合わせる。
ララが素直に首を縦に振れないのは、彼女たちがモービルという特殊な乗り物でやって来たことが理由だ。
しかし、ロミの神官服を修理してくれた彼女をそのまま見捨ててディスロに向かうというのも、後味が悪い。
ララは困り眉のまま、ロミとイールに助けを求める。
「まぁ、ヨッタの口が硬いならいいんじゃないか?」
「そうですねぇ。詰めれば一人くらい乗れると思いますし」
イールとロミの二人は、ヨッタを連れて行くことに前向きのようだった。ララは腹をくくり、懇願の姿勢のままこちらを伺っているヨッタに声を掛ける。
「色々あるんだけど、あんまり驚かないでね。あと、無闇に口外されると困るの」
「分かった。何があっても絶対に言わない。魔導技師は信用が大事だからな」
大部分をぼかしたララの言葉に、ヨッタは即座に断言する。そんな彼女に苦笑しつつも、ララは同行を認めた。
「分かった。じゃあ、明日出発ね」
「ありがとう! 助かったよ」
ヨッタはそう言ってララに抱きつく。
ダークエルフの肌はきめ細やかでしっとりとしていた。
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