第215話「精霊が宿る花さ」

 マスティアはソールやケイルソードより年上のエルフで、普段は森で果樹を育てて暮らしているらしい。

 ボタニカは逆に年下で、マスティアに弟子入りして果樹栽培を学んでいるところだった。


「エルフは皆、植物を育てるのが上手いの?」

「そういうわけでも無いぞ。俺やソールは壊滅的に下手だ。だから無闇矢鱈と枯らさないように、そういう職には就かないんだ」


 てっきりエルフは皆植物の扱いが上手いものだと思っていたララは、ケイルソードの答えにいささか驚いた。


「そういう奴は他の育成が得意なエルフに任せるんだ。それで、俺は代わりに村を警備したり森で動物を捕ったりする」

「ソールは普段何して暮らしてるの?」

「僕は……えっとねぇ」

「こいつは毎日堕落してるだけだぞ」


 ララの純真な質問がソールを困らせる。

 そこにケイルソードの容赦の無い一言が投げられ、彼は困ったように笑みを浮かべた。


「ソールもそろそろちゃんとした仕事に就かないと、ご飯食べられなくなるわよ?」


 少し心配そうに、ティーナが言った。

 しかしソールは脳天気に笑っている。


「あはは。いよいよそうなったらティーナにご馳走して貰うよ。君の作るご飯は美味しいもんね」

「ふあっ!?」


 含みの無いソールの言葉に、思わずティーナが顔を赤く染める。

 その隣でケイルソードもまた、憤怒に顔を赤く染めているのを見つけ、ララは背筋が凍る。


「ほ、ほら! マスティアの家が見えてきたわよ!」


 慌ててティーナが話題を逸らし、ぱっと指さす。

 その先には、軒先にいくつもの鉢植えを並べた民家があった。


「あそこがマスティアの家?」

「そうそう。彼、村で一番植物の扱いが上手いのよ」


 自分のことのように誇らしげに、ティーナが言う。

 なるほど確かに、家の前に並んだ鉢植えでは瑞々しい植物がどれも美しく生育している。

 青や黄の大きな花弁を開いているものまである。


「マスティアー。ジローナ婆さんからのお届け物だよー」


 勝手知ったる仲という訳か、ソーンがトントンと軽くドアをノックして、反応も見ずに中に入る。

 ドアに鍵も掛かっていないあたり、それが標準的な文化なのだろう。

 一行はぞろぞろと中に入り、ララ達はしげしげと家の中を見る。

 背の高い棚がいくつも並ぶ広い土間では、無数の鉢植えがあった。

 そのどれもに大小様々な草花が植えられており、どれも丁寧に育てられている。

 果樹栽培が主な仕事と聞いていたが、マスティアはかなりの植物好きのようだった。


「さて、本人はどんな人なんでしょうね?」


 ララはわくわくと胸を高鳴らせて、家主の登場を今か今かと待っていた。

 そうすると、家の奥の方からガタンと音がして、足音がやって来る。

 そうして、土間から続く引き戸が、ゆっくりと開いた。

 奥の影の中から現れたのは、髪の短いエルフだ。

 恐らくは彼がこの家の主、マスティアだろう。


「あれ、ソールにケイルソードにティーナじゃないか。どうしたんだ、い……」


 土間に並ぶ見知った顔を見渡しながら、にこやかに話しかけるが、彼らの後ろに並ぶララ達を見て顔を強ばらせる。

 ガクガクと震えながら、腕を上げ、ララを指さす。


「そそそ、ソール。こここ、この子達はもしかして……」


 初めの物腰柔らかな雰囲気は吹き飛び、マスティアの顔が恐怖に引き攣る。

 尋常ではない反応に、ソールが慌てて間に割り込んだ。


「マスティア! この三人は客人だ。多分君の考えてる通り、人間だよ」

「ににに、人間がなんでこの村にいるんだ!」

「僕が呼んで、長老が許可してくれたからだ。エルフと人間双方がお互いに慣れる為に」

「に、人間は恐ろしい種族だって知ってる! 木を切って、燃やしてしまうんだ!」


 マスティアは恐怖に肩を震わせて言う。

 ソールはどう説得したものかと困り果て、ケイルソードに視線を向ける。


「マスティア。エルフだって木は切るだろう?」

「でも燃やしたりはしない! 魔法を使えば、火なんていくらでも使えるのに!」

「それは俺たちがエルフだからだろ。人間はそこまで魔法が得意じゃない」


 ケイルソードが歩み寄り、ぽんぽんと優しくマスティアの肩を叩く。

 マスティアは次第に落ち着いたのか、静かになっていった。


「ねえ、これ私たち外に出てた方がいいかな?」


 ソールとケイルソードがマスティアを説得している間、ララはティーナに向かって小声で尋ねた。


「その必要はないと思うわ。だって、エルフの人間に対する拒否感を無くさないといけないんでしょう?」


 ティーナの言うことも尤もだ。

 ララは頷くと、一先ず行く末を見守ることにした。

 その時、ゆっくりとララ達の後ろの扉が開く。


「こんにちは。師匠ー、いますかー? って、うわっ!?」


 幼い声が響き渡る。

 ララが振り向けば、ソールよりも若い、少女のエルフが驚きの表情を浮かべて立っている。


「も、もしかして噂の人間!? こんな所に何の用ですか!」


 少女は慌てて戸の裏に身を隠し、顔だけを出す。

 警戒心を露わにして、グルグルと唸る様子は可愛らしい。


「初めまして。私はララよ」


 ララはできるだけ刺激しないように努めて笑顔を浮かべ、事情を説明する。

 ある程度の話は既に噂として出回っているのか、その少女はすぐに安心した様子で全身を現した。


「村にやって来た人間って貴女たちの事だったのね。私はボタニカよ。そこで震えてる師匠の弟子」


 ボタニカは未だソール達に説得されているマスティアを呆れた様な目で見ながら言った。

 彼女はあまり人間に苦手意識は持っていないようだ。

 ララの隣で、ロミがほっと胸をなで下ろす。


「ボタニカさんは、ソールさん達よりお若いんですよね」


 ロミが尋ねると、ボタニカは頷く。


「リエーナの村で一番若いの。でももうすぐ大人だから、こうやって師匠のところで修行してるんだ」


 そう言って、彼女は土間の棚に並ぶ植木鉢の一画を指さした。


「あそこにある植木鉢は、私が育ててるんだ」

「そういえばマスティアは果樹栽培をしてるんだっけ」

「うん。あれはその苗木。大きくなるまでここで育てるの」


 ボタニカはすぐに打ち解けた様子で、ララ達に植木鉢の植物について説明を施す。

 目を輝かせ、嬉々として語る彼女の様子に、恐怖感は感じられない。


「同じエルフでも、若いと適応力は高いのか?」


 マスティアとボタニカを交互に見ながら、イールが言った。

 実際、ソール達も若いエルフだと言うし、アーホルンも長老の中では最年少である。


「それならまず、若い人達の信頼を築いていけばいいんでしょうか」

「そうするのが手っ取り早いかもな」


 ロミとイールはそこに活路を見いだしたらしい。

 互いに向き合って頷く。

 そうしたとき、ようやくソール達の説得が終わったのか、マスティアが彼女達の近くまでやって来る。

 未だ完全に恐怖感は拭い切れていない様子だが、それでも話すだけの余裕は生まれたようだ。


「さ、さっきは失礼した。取り乱してしまって」

「いいんだ。あたしも初めて他の種族と話すときは怖いし緊張するからな」


 焦燥した様子のマスティアに、イールは軽く答える。

 彼は安心した様子で、ほっと肩の力を抜く。


「自己紹介をしよう。私はマスティア。この村で、果樹の栽培をしているよ」

「あたしはイール。旅の傭兵さ」

「わたしはロミです。キア・クルミナ教の神官です」

「あ、私はララよ。一応傭兵」


 三人の挨拶に、マスティアも笑顔を浮かべて頷く。

 対話が成立したという事実は、彼の中で信頼と安心となって積み重なっていく。


「それで、今日はどういう用件で?」


 彼の質問に、ララははっとする。

 そういえば、本来の用事を完全に忘れていた。

 彼女は懐から、ジローナから預かった包みを取り出す。


「はいこれ。ジローナから預かったものよ」


 あの怪しい老婆から預かったのは、マスティアとボタニカそれぞれにある。

 彼らは同じように眉を上げて驚きながら、それを受け取った。


「ようやく入荷したのか! これは嬉しいぞ!」


 興奮した様子でマスティアが言う。

 ボタニカは身に覚えがないようで、首を傾げていた。


「中身は何か、聞いてもいい?」

「勿論だとも!」


 ララが控えめに尋ねると、マスティアはすぐに頷き、包みを開く。

 中に入っていたのは、柔らかな綿に包まれた植物の種だった。

 マスティアはそっと指先で綿の中の種を摘まみ取る。

 それは黒い菱形をしていて、大きさは彼の爪の半分ほどだ。


「これはね、守護樹と共に育つ花なんだ。守護樹の側に植えることで育って、守護樹の力を増幅する」


 興奮した様子で、マスティアは種を掲げながら言った。


「ずっと遠くのエルフの村にこれがあるという噂を、数十年前に妖精の商人から聞いたんだ」

「す、数十年……」


 何気なく放たれた言葉に、ララは絶句する。

 数十年といえば、人間の寿命の中ではかなり長い年月である。

 それをつい昨日のように言ってしまえるのは、偏に彼らエルフの長命故だろう。


「それで、ジローナに頼んでその村から花の種を貰えるように手配して貰ってたのさ」

「師匠、それ私も知らないんですけど」

「あれ、言ってなかったっけ?」


 憮然とした表情のボタニカに、マスティアはきょとんと首を傾げる。

 こういうことは多々あるらしく、ボタニカは大きくため息をつくが、それ以上追求もしなかった。


「それで、その花はなんて名前なんだ?」


 イールが尋ねる。


「そうだね。花の名前は、精霊花と言う。守護樹と共に生きる、精霊が宿る花さ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る