第172話「願わくば、全てが杞憂でありますように」

 静寂が部屋に満ちる。

 ララは複雑な表情で、渇いた喉を潤すために湯飲みを取った。

 冷め切ったお茶を流し込み、平静を保つ。


「やっぱり、薄々は分かってたのよね」


 ぽつりと彼女は言葉を零す。


「なんでカムイが、ブルーブラストエンジンに反応して、増幅したのか。本質の所で、それらは一緒だった」

「カムイが探していたのは、あなたなのね」


 サクヤの言葉にララは頷く。


「カムイの発生源は、恐らくカミシロの神と貴女たちが呼んでる物よ。そしてそれは、恐らく私が中枢コンピュータと呼んでいた一揃いの機械。サクヤの口ぶりからすると、マルチウィンドウと量子データベースも残ってそうね」

「必死になって止めようとしていたカムイの発生源が、私たちの神か……。こんなこと、民に伝えたらカミシロの基盤が崩壊するわね」


 その現実は、二人の少女の両肩に重くのしかかる。

 自分の落とした物が、多くの人々を困らせているのならば、持ち主として相応の責任を取らねばならない。

 ララはそう決意して、サクヤの黒い瞳をのぞき込んだ。


「カミシロの神がある洞窟まで連れて行ってくれないかしら?」


 その質問に、サクヤの顔が翳る。


「少し、難しいと思うわ。洞窟は神域、カミシロの住民でも片手で数えられる数しか踏み入ったことはないの。洞窟には幾重にも警備が敷かれていて、三院と神自身の許可なく立ち入ることは不可能よ」

「たかが外からの観光客が、ほいほい行ける場所じゃなさそうね」


 サクヤは頷き、二人はまた押し黙る。

 しかしララとしても、たったそれだけの理由で引き下がるわけにもいかない。


「じゃあ私、ちょっと悪い子になるわ」

「は?」


 唐突なララの言葉に、サクヤはぽかんと口を開く。

 ララは得意げに笑みを浮かべて人差し指を立てる。


「悪い子の私は許可やら伝統やらしきたりやらなんか知ったこっちゃないわ。だから夜勝手に忍び込むの」

「え、ちょ、悪い子は普通そんな事言わない……。というかいっぱい罠が仕掛けられてるのよ!?」

「行けない理由がたかだかその程度なら、自分で強行突破するまでよ! 暗号化済特殊金属製の多層防爆扉でも無い限り、私は止まらないからね!」


 自信満々に言い放つララ。

 サクヤは呆気にとられ反論もできなかった。

 そんな彼女に向かって、ララはぱちりとウインクを投げる。


「私はたまたま偶然何かの間違いで立ち入り禁止の場所に迷い込んで、そこに自分の捜し物を見つけるだけよ。サクヤは書類の山に忙殺されて、この執務室に籠もって見落としなさい」

「そんな横暴な……。けれど、それしか方法はないのかしら……」

「もっとよく考えればスマートな方法もあるかもね。例えばカミシロに対する大きい功績をあげて、正々堂々入るとか」


 しかしそれでは時間が掛かりすぎるとララは言う。

 何日も功績がやってくるのを待っているより、自分から手を伸ばした方が早い。


「そういうわけで、今夜から決行するわ。多分一日じゃ攻略できないと思うけど」

「最悪、死ぬかもしれないわ」

「私がそんなことで死ぬような女に見える?」

「まだ会って一刻しか経ってないじゃない」

「ま、その辺はなんとか上手くやって死なないようにだけはするわよ」


 ひらひらと手を振って言うララに、サクヤは心配そうに目を向ける。

 そもそもこの部屋で話したことはすべて推論でしかない。

 カミシロの神は本当に神なのかも知れないし、ララの落とし物は全く見当違いの場所にあるかもしれないし、カムイはカミシロに住む魔獣の仕業なのかも知れない。

 あらゆることに確証が無いまま、ララは神聖で危険な洞窟へと突入することを決めた。


「話はこれくらいかしら? 後のことは、無事に私が神の元へ行けた時にしましょう」

「……もう何を言っても無駄そうね。私はここで忙しくしてるわ」

「ありがとう。それじゃ、私は帰るわ」


 固い意志を宿す青い瞳を見て、サクヤは諦めたようにため息をつく。

 彼女の心遣いに感謝しながら、ララは部屋を出た。

 人気の無い暗い廊下で、ララの表情は一変する。

 微笑を湛えた人のいい顔は消え去り、冷めた瞳の鋭利な表情が現れる。


「とりあえず偵察させとこう」


 彼女は懐から銀色の球体をいくつか取り出す。

 簡易ブルーブラストエンジンが起動し、指先の眼は空中へと浮かび上がる。

 簡単な指示を与え、ララはそれを散開させる。

 指先の眼は音もなく暗がりへと溶けた。


「カムイの正体は大体見当が付いてる。恐らくは超広範囲全環境探査波ね。あっちが私のことに気付いてくれてたらいいんだけど、希望的観測は愚かよね」


 廊下を歩きながら、ララは視界にいくつものウィンドウを表示させる。

 ナノマシンを用いた環境探査は目立ちすぎるため、指先の眼が収集した情報をリアルタイムで蓄積・分析して地図を埋めていく。

 それと平行して彼女は緑珠院の外周に張られた魔法的な結界を全て調べ上げる。


「あんまり魔法って知らないんだけどなぁ。けど、何かあるってことが分かればそれでいいわ」


 調査により、外周には七種類の結界が張られていることが分かった。


「けど、この中にナノマシンのエネルギーを吸収するようなものは無い……」


 調査結果は、彼女を満足させる物では無かった。

 ララはここへやってくる石段で自分を襲った、エネルギー消失の原因を探っていた。


「関連性はよく分かんないけど、ロミが魔力を奪われた様子はないし、ピンポイントでナノマシンを狙ってるってことは、やっぱりこっち側の技術よね」


 原因は分からないが、警戒はしなければならない。


「レベルⅢ環境耐久兵装とレベルⅣ電子戦兵装を準備しとこう。特殊金属、足りるかなぁ」


 ポーチから白銀のインゴットを取り出す。

 ナノマシンを介してそれを操作し、彼女は細々とした装備をいくつも作成する。


「ブルーブラスト粒子があって良かった。大体のエネルギー源になるもんね」


 防弾ジャケットのような内着を着込み、靴も分厚い物に変える。

 細いリストバンドもいくつか両腕に付け、ベルトにも小さな円筒状の機器を複数取り付ける。

 廊下を歩きながら、ララはすさまじい速度で装備を充実させていく。

 それらはこの星では本来必要の無いものばかりだ。

 剣が存在しなければ、盾は存在しないように、彼女の故郷の技術に対する防御手段など、本来ここでは必要ない。


「サンプル採取とかは授業で教えてたけど、まさか自分の船と戦うなんてねぇ」


 最後の装備をベルトに釣りながら、ララは思わず苦笑する。

 彼女は特別に訓練を施した兵士などではない、ただの一般市民である。

 今でこそイールから武器の扱いを文字通り叩き込まれてはいるが、それでも本質は平和主義だ。


「願わくば、全てが杞憂でありますように」


 なけなしの希望をかき集め、ララは祈るように言葉を漏らす。


「とりあえず、まだその時じゃ無いわ。みんなの所に戻りましょ」


 覚悟を決めた表情をふっと解き、ララはいう。

 装備した機器類を全て外して、リュックの中にしまい込む。

 指先の眼だけは常に稼働させて、より詳細な情報を集めさせる。

 ララは装いがおかしくないことを確認すると、軽い足取りで緑珠院を出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る