第166話「カミシロは中々面白い奴が多いな」

 ララはロミの肩を借りながら、ゆっくりと石段に腰を下ろした。

 ガモンが心配げに彼女たちを見下ろしている。


「大丈夫か?」


 言いながら、イールが背中の荷物から水筒を取り出して渡す。

 ララは素直にそれを受け取ると、喉を鳴らして潤した。


「まだちょっとクラクラするわ……。うわっ」


 額に手の甲を当てて言うララが、突然驚いて声を出す。


「どうかしましたか?」


 すかさずロミがそっと彼女の身体を支えて尋ねる。


「エネルギー残量が知らない間にイエローゾーンまで減ってる……」

「えね、いえろー? ええっと……」

「ナノマシンの活動限界が四割まで来てるの」

「なんでだ? 特にそんなナノマシン使ってる感じはしなかったぞ」

「私もびっくりよ。なんで突然こんなに……」


 体調を崩した理由は、いつの間にかナノマシンを稼働させるためのエネルギー残量が四割を切っていたところにあった。

 以前、ヤルダの町で倒れてイールに介抱されてから、ララは視界の端に常に仮想ウィンドウを開き、そこにナノマシンのエネルギーを表示して気に掛けていた。

 しかし、今回はそんな甲斐も虚しく意識から外した一瞬でここまで消耗していた。


「うぅん……なんでだろ……。とりあえずナノマシンは休息モードにして……」


 原因は不明だが、理由は分かった。

 ララは早速コマンドを口にして、ナノマシンを操作する。

 最低限の自衛機能と生命維持機能だけを残し、あとは全て休息モードへと移行。

 緊急脱出装置から出てきた時と同じような状態に戻る。


「うっ、中々疲れるわね……」


 身体強化の効果も切れ、途端に鉛を背負ったような強烈な負荷が彼女を襲う。

 視界も、彼女が本来持ち合わせている視力にまで落ち、主観的には彩度がぐっと下がったような錯覚に陥る。


「『清水と鱗の司神フシフに希う。清き血の一滴によって、枯れた大地に繁栄を。求める者に安寧を。澄んだ鱗で覆い、柔らかな腕のうちに包み込め』」


 よろめくララを支え、ロミが言葉を紡ぐ。

 暖かい青の光が彼女を包み、じんわりと体力を回復させていく。


「疲労回復の魔法です。気休め程度でしかありませんが」

「ありがとう。凄く楽になったわ」


 魔法の効果は覿面で、ララはゆっくりと立ち上がる。

 何度か屈伸や背伸びを繰り返して身体の状態を確認したが、異常もない。


「ロミ、魔力は大丈夫なの?」

「はい。この程度なら問題ありません」


 心配するララに、ロミはトンと白杖を突いて答える。

 並の魔法使いなら行使するだけでも一苦労な大魔法だったが、ララはそんなことを知る由も無い。

 明るい笑顔で頷くロミに、彼女はそういうものなのかと納得した。


「ララ、歩けるか?」

「うん。多分平気。またエネルギー吸われたらちょっと拙いけど……」


 イールの言葉に、ララは頷く。

 じんわりとエネルギーは回復していってはいるが、その速度はかなり遅い。

 ずっと船上での生活で、満足に栄養を摂れなかったことも多少は影響しているだろう。


「しょうがない……。ほらよ」

「ふえっ?」


 そんなララの様子に、イールは小さくため息をつくと、背を向けて腰を曲げる。

 ララがその真意を掴めずにいると、イールはもどかしそうに手をパタパタと振った。


「負ぶってやるから、早く乗れ」

「ええ!? い、いいの?」

「また倒れられても敵わないからな。ちょっとでも体力節約して、緑珠院でしっかり休ませて貰え」

「あ、ありがとう……。それじゃ、お言葉に甘えて」


 かすかに頬を染めながら口早に言うイールに、ララは素直に頷いて彼女の背中に登る。

 鍛えこまれた大柄な彼女の背中は広く、広い草原で寝転がっているような安心感を覚える。


「いいお仲間じゃ」


 様子を見ていたガモンが一言、髭を震わせて言う。

 ララはにこりと笑みを浮かべると、当然とばかりに頷いた。


「あともう少しの辛抱じゃ。緑珠院はもう近い」


 そう言って、ガモンがまた石段を登り始める。

 ロミと、ララを背負ったイールも足を動かし、頂上を目指す。


「しかしまあ、なんでまたこんな山の中に重要な施設を作ったんだ。行き来もしにくくて不便だろう」


 ずり落ちてきたララを背負い直し、イールがぼやく。

 深緑の木々に囲まれ、音すらも吸い込むような深い森の中である。

 延々と伸びる石段と、それを囲う鳥居だけが、目に見える範囲にある人の足跡だった。


「青珠院と朱珠院は、まだ町に近い場所にあるんじゃがな」

「緑珠院は、この上で無ければならない理由があるんですか?」

「うむ。先も言ったように、緑珠院は巫女様が御座す所じゃ。巫女様の役目はカミシロの神の声を聞き、それを民に伝えること。神の声を聞くには、神の近くにいなければならぬ」

「それじゃあ、そのカミシロの神とやらはこの山の天辺にいるのか」

「天辺と言うと、少し誤りがあるのう」


 イールの言葉に、ガモンは首を振る。


「正確には、山の中腹あたりにある細い洞窟の最奥にある。らしい」

「らしい、ってどういうことだ」

「この目で実際に見たことはないのじゃよ。常にそこに入ることが許されておるのは、代々の巫女だけ。青珠院と朱珠院の長でさえ、就任の時に一度だけしか足を踏み入れることはできぬ」

「随分と神聖な場所なんですね……」


 まるで教会の最奥のような扱いに、ロミはほうと息をつく。

 実際、そこはカミシロにとっての最奥で、最も高位の神域なのだろう。


「巫女様は一日の半分をその洞窟の奥で過ごされる。そのため、緑珠院は洞窟を守るようにあそこに無ければならぬのじゃ」

「そういうことか。大変そうだな」

「緑珠院は他の二院とは異なりその規模も最大じゃ。中には畑も鍛冶場もある故に、小さな町のようにもなっておるぞ」

「それは凄いですね……。緑珠院だけで生活が成り立つようになってるんですか……」


 ガモンの言葉に、ロミ達は改めて驚く。

 山の中腹に町を開き、維持するというのは、多大な労力を必要とすることだろう。

 しかし、それに見合うだけの理由が、そこにはある。


「ほれ、見えてきたぞ。緑珠院の玄関、神子の門じゃ」


 ガモンが腕を上げ、指の先で指し示す。

 石段の先、幾百の鳥居の一番奥に、一際大きく鮮やかな朱色の鳥居が立っている。

 太い綱が支柱を絡め、鮮やかな緑色に染め上げられた細長い布が風にたなびいている。

 威風堂々とした門は、静かにそこに立っていた。


「あれが緑珠院の玄関か……」


 その偉容を見上げ、イールが感嘆の声を漏らす。

 荘厳なキア・クルミナ教の神殿に似た独特の雰囲気は、そこが神聖な場所と俗世を分かつ境界であることを指し示す。


「さあ、もう少しじゃよ」


 呆気にとられる彼女たちに改めて声を掛け、ガモンが石段を登る。

 それに続き、イール達も残り僅かとなった道を行く。

 やっとの思いで最後の石段を登り切ると、眼前には突然広い世界が現れた。


「ふああ。凄いですね!」


 ロミが青い瞳を輝かせて皆の言葉を代弁する。

 そこは、確かに小さな町だった。

 神子の門のすぐ後ろには、白く滑らかな石畳が敷き詰められた円形の広場があった。

 ガモンと似た、ゆったりとした一枚布の衣服を纏った住民達が朗らかな表情で歩き回っている。

 そこを中心にして何軒かの建物が建ち、正面には太い道が続いている。


「あれが、緑珠院か」

「うむ。カミシロの中枢が一つ。三つの心臓のうち、第一の鼓動を響かせる、神聖なる巫女様の御座す場所じゃ」


 イールの声に、ガモンが頷く。

 広場から続く太い道の一番先に、それはあった。

 カミシロの土を踏み、ここへ辿り着くまでの中で見たどの建物よりも巨大で美しい、絢爛な建築物だった。

 鳥居と同じ朱色に染め上げられた滑らかな木壁に、濃い灰色の瓦が落ち着いた雰囲気を纏わせる。

 神子の門にも吊られていた細い緑色の旗が随所で揺れて、まるで彼女たちを歓迎しているかのようだ。


「ガモン様と、お客様方。お待ちしておりました」


 神子の門の前で緑珠院の風景に目を奪われていた彼女たちに、唐突に声が掛かる。

 はっと正気に戻ってイールが視線を向けると、真正面に黒づくめの男が一人、立っていた。

 否、男かどうかも声でしか分からない。

 顔すらも黒い布で覆い隠した、まるで闇や影のような者だった。


「む、無貌の者か。巫女様の指示じゃな?」


 事情を知っているらしいガモンの言葉に、男は頷く。


「巫女様の元まで案内することとなりました。では、早速」


 言葉少なくそう説明すると、男はすたすたと歩き出す。

 その怪しげな姿にもかかわらず、町の人々は特に気にする様子も無かった。


「カミシロは中々面白い奴が多いな」

「ちょ、イールさん。失礼ですよ」


 ぽつりと漏れたイールの本音に、ロミが慌てて周囲を見た。

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