第114話「絶対この店よ!」
ピアと別れギルドを出た三人は、重い財布を持ってほくほくと足取り軽く往来の中を歩いていた。
イールが空の荷車を牽き、その隣をララとロミが随伴している。
時刻は丁度太陽の登り切った真昼である。
午前の仕事を終えた人々が空きっ腹を抱えて大通りに並ぶ飲食店へと殺到していた。
「さて、懐も温まったし何食べよっか?」
「せっかくアルトレットにいるんだし、海産物が食べたいな」
「とはいえ、昨晩は随分たくさん貝とかお魚とかを焼いて食べましたね」
昨日の酒盛りを思いだし、ロミが幸せそうな顔でいう。
確かに昨夜はもう豆の一つも入らないほどにたらふく食べて酒を飲んだ。
流石に焼き物にはもうあまり食欲をそそられない。
「それじゃ、揚げ物か煮物か、もしくは生かしら」
「生!? 火を通さずに魚を食べるのか?」
「ええ、大丈夫なんですかそれ。お腹いたくなりませんか?」
ララの呟きに、二人は想像以上に激しい反応を示す。
どうやらここではあまり魚の生食は一般的ではないようだ。
いくら保存箱という魔法のアイテムがあっても衛生的な課題が残るため、イールたちの住む内陸では確かに食べることは叶わないだろう。
「私の故郷では割と良く食べられてたんだけどね。お寿司とか、海鮮丼とか」
「オスシにカイセンドンか……。カイセンドンは何となく海鮮の丼物っていうのが分かるが……」
「生でお魚ですか……、食べたこと無いですねぇ」
ララの奇特な発言にもなれてきた様子で、イールとロミはむしろ興味深そうな様子である。
しかし悲しいかな、ララはこの世界で未だに白いご飯というものを発見するに至ってはいない。
寿司も海鮮丼も主役は魚介類とはいえ、それを支える銀シャリが無ければ成立しない。
醤油はあるらしいので刺身という選択もなきにしもあらずと言ったところだが、そもそもこの世界の魚類が生で食べても身体に害を与えない保証もない。
軽率に勧めて大事な仲間を腹痛で失う訳にもいかないため、ララは渋々諦めた。
「ま、もしかしたらこの町なら新鮮な魚を生で出してる店もあるかも知れないな」
「そうですねぇ。なんと言ってもすぐそこが海ですから」
「だといいけどなぁ……。エドワードに荷車返したら、ついでにおすすめのお店も聞きましょうか」
そう言うわけで昼食からは少し離れ、三人はひとまず空の荷車をエドワードへと返す為に歩き始めた。
「お、帰ってきたな。報酬も良かったみたいだな」
「荷車ありがとう。助かったよ」
三人が海沿いにあるエドワードの店を訪れると、車輪の音を聞きつけて細身の男はのっそりと日の下へ出てきた。
彼は満足げな表情の彼女たちを見て、だいたいの結果を予想した。
「状態も鮮度も良くて、その上珍しい素材が出たとかで随分色付けて貰ったんだ」
「珍しい素材? なんだ、二尾のマリンリザードでもいたのか?」
「竜玉が出たのよ。竜種にしかない竜玉が!」
ララは誇らしげに胸を張り、ピアの説明を丸っとそのままエドワードに伝えた。
所々をロミが補足しながらも説明を終えると、彼は驚いた様子で目を丸くした。
「ほう、マリンリザードから竜玉がなぁ。そんで、竜とリザードが親戚か。また面白い話もあったもんだ」
他ならぬ魔獣研究の第一人者である魔獣鑑定士のピアの言葉である。
エドワードはすんなりとそれを信じてほうほうとしきりに頷いた。
「そうなるとまたマリンリザードを狩る傭兵も増えるだろうな。これは一儲けできそうだぞ」
したたかに算盤を弾き始めるエドワードに、ララは目を細める。
商人とはこれくらいの気概がなければやっていけないのだろう。
「で、荷車返すね。とっても助かったわ」
「うん? ああ、まあ大したことじゃないさ。店の横にでも置いといてくれ」
今後の計画に夢中のエドワードに代わり、イールが荷車を指示された場所に置く。
これで一つ目の用件は終わりだ。
「それでエドワード、少し尋ねたいことがあるんだけど」
イールが話を切り出すと、エドワードは不思議そうに首を傾げて先を促す。
「この辺においしい海鮮のお店ってあるかしら? あと、生のお魚を出してるお店とか」
「港近くの店ならだいたい外れはないと思うぞ。安いし旨い店ばかりだ。とはいえ、生魚を出す店か……」
エドワードは顎に手を当てて記憶を探る。
ばっさりと否定して切り捨てないあたり、可能性はあるようだった。
しばらく唸っていたエドワードは、唐突に頭を上げる。
「そういえば一軒だけ知ってるな。醤油の作り方を持ってきた国から来た人がやってる店だ」
「ほんとに!? 是非教えてくれるかしら」
反射的に駆け寄るララにたじろぎながらも、エドワードは丁寧にその店の場所を教えた。
「港の埠頭をずっと進んで、鮮魚店の並ぶところを置くまで行って……。ここの角を曲がればいいのかしら」
「地図にはそう書いてありますね」
「ま、とりあえず行ってみようじゃないか」
エドワードに描いて貰った地図を頼りに港を歩く三人。
周囲を歩くのは屈強で大柄な海の男たちである。
そんな中でも引けを取らないイールを旗頭にしてララとロミはカルガモの雛のようにくっついて歩いていた。
「なあ二人とも、ちょっと暑苦しいんだが……」
「す、すみません!」
「でもここちょっと怖くって」
「怖いなんて言う柄じゃないだろうに……」
ぴったりと密着する二人に苦笑しながらも、イールは諦めたように歩き出す。
ララは地図を確認して、細い路地を指さした。
「ほんとにここなのかね」
「薄暗いし、人の気配も少なくなりましたね」
まるで芋を洗うかのような混雑ぶりだった表通りとは一変して、彼女たちが足を踏み入れた路地は薄暗く閑散としていた。
どこからか魚の生臭い臭いが漂い、ロミがうっと顔をしかめる。
「地図を見たら合ってると思うんだけど……」
「お? なあ、あれじゃないか?」
うなりながらララが地図をのぞき込むのと同時に、イールが視線の端にそれらしいものを発見する。
紙を張った小さなランタンを軒先に下げた、小さな店である。
長方形の布が扉の前に釣られており、そこには店名らしきものが書かれていた。
「料亭みお、か」
「おおー!? 提灯に暖簾だ! まさかこんなところで見るとは思わなかったわ」
店名を読み上げるイール。
そんな彼女とロミを置いて、興奮した様子のララはその店へと駆け寄った。
穏やかな光を放つ提灯と、路地裏の冷たい風に揺れる暖簾。
母星でも久しく見ていなかった文化的なアイテムの数々に彼女の感情ゲージは振り切っていた。
「絶対この店よ! この店ならお寿司でも海鮮丼でもなんでもある気がするわ!」
「なんだか突然元気が出てきましたね、ララさん」
「あ、ああ。ちょっとびっくりだ」
びっくりというよりも引き気味のイールだったが、おずおずと店に近づいて暖簾に描かれた薄い文様を見つける。
波をイメージして描かれた淡い青色の模様は、極限まで抽象化され、一見するとただの曲線である。
だがそこに込められた意味は如実に感じ取ることができ、イールは思わず感嘆の声を漏らした。
「ねえ二人とも、早く入ろうよ」
「そうだな。ちょっとあたしも気分が乗ってきたし」
「わたしも少し楽しみですね」
二人の顔を一瞥し、ララはそっと扉に手をかける。
それもまた、この世界では初めて目にする引き戸だった。
中からは柔らかな光が流れ出す。
慎ましいこぢんまりとした内装の部屋である。
「いらっしゃいませ」
木目の美しいカウンターの向こうから、優しげなしっとりとした声が響く。
顔を向けてみれば、純白の服に身を包んだ、艶やかな黒髪の女性が立っていた。
「ようこそ、料亭みおへ」
彼女はそう言うと、柔和な笑みを口元に浮かべた。
イールやロミとは異なる人種である。
初雪のように白い肌とかすかに赤みがかった肌は、どちらかといえばララのものに近い。
「どうぞお好きな席へ」
物腰柔らかな彼女の声に促され、三人は店内に足を踏み入れる。
引き戸が閉じ、外界と遮断されると、そこだけ時間を切り取ったかのようにゆったりとした空気が流れ始めた。
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