第111話「いい船を貸して貰ったわ」

 ピンと一直線に張りつめた釣り糸。

 その先、水面のすぐ下には黒い影が朧気ながら見えていた。


「間違いない。マリンリザードだな」


 太い竿を握りしめ、イールは確信する。

 彼女は琥珀色の目を動かし隣に控えるララとロミの準備が整ったのを確認した。


「釣り上げる!」

「どんとこーい!」


 威勢のいいララの声。

 イールは歯を食いしばり竿を持ち上げる。

 何の肉かも分からない謎の釣り餌だが、それはマリンリザードの大好物だったらしい。

 イールの引き上げる力に必死の抵抗を見せながらも逃れようとする様子はない。


「おらあああああっ!」


 雄叫びを上げ、さらに力を加える。

 竿はしなり、イールの腕は太い血管を浮かべる。

 鋼鉄の糸は限界まで張り、水中の動きに合わせて縦横無尽に走り回っている。


「ぐぬ、ぬ……!」

「きたっ!」


 白い波間に、ララが緑の鱗を見つける。

 少しずつだが確実に均衡はこちらへと傾きつつある。


「もう一息です!」


 ロミが声援を送る。


「ララ! 網用意してくれっ」

「りょうかい!」


 イールの声に応じてララは床に転がっていた網を掴む。

 船の縁に寄り、糸の先に獲物を探す。


「もうちょっと引き上げられる? ロミ、腰持ってて」

「やってみるさ」

「は、はい! 失礼しますっ」


 イールが一層力を籠める、ロミが戸惑いがちにララの細い腰に腕を回す。


「行くぞ、――そらっ!」

「見えたっ」


 一瞬マリンリザードの体が半分水上へ現れる。

 そこを逃さずララが網を使って掬うように捕らえる。

 釣り糸と同じ鋼鉄製の網とはいえ、柄の長い網では動きを鈍らせることで精一杯だ。

 しかし、それだけで十分すぎた。


「どっ――せぇぇえええい!!!」


 声高々に叫び、イールが竿を振り上げる。

 それに合わせララが網を持ち上げる。

 ロミが全体重を掛けてララを船内へ引き戻す。

 全ての連携が完璧に遂行され、マリンリザードはついに空を飛ぶ。


「ララ!」

「了解! 『雷撃ショックボルト』ォォォオオオ!!」


 ゆっくりと落下するマリンリザード。

 貪欲に針を離さずそれは頭上に落ちてくる。

 金の瞳と青の瞳が交差する。

 白い雷光が迸る。


「『神聖なる光の女神アルメリダに希う。彼の者に裁きの刃を下せ。――』」


 先ほどとは違う正式な詠唱。

 流れるように紡がれる美しい文言から、綿密に織られた魔力が滲み出る。

 突き出された白い手の先にそれらは収束、凝固し、光の刃として顕現する。

 それは刃。

 光の女神の力の一片を借りた、キア・クルミナ教の武装神官ならば誰であろうと使える最も基本的な攻撃用の魔法。

 しかしその威力は単純が故に術者の技量をありありと映し出す。

 ロミの目が雷撃によって麻痺したマリンリザードを射抜く。


「『――煌めく光刃よ万敵を切り裂き聖なる救いを与えよ』!」


 光の尾を引きながらそれは一条の矢となって肉を切り裂く。

 強固な鱗さえ紙のように突き破り、致命の一矢を与える。

 本能は逃走を訴えるが、麻痺した体はそれに答えることすら叶わない。

 断末魔さえ許されず、マリンリザードは絶命した。


「ふぅ、なんとかなったな」


 剣の鞘の先でマリンリザードの横腹をつつき、イールが言う。

 ララの雷撃とロミの光刃によって、マリンリザードは息の根を止めた。

 その事実を受け止め、三人の間に弛緩した空気が流れる。


「随分と抵抗したわねぇ」

「そうだな。流石にちょっと疲れる」


 最初の、イールとマリンリザードの激しい攻防を思いだしてララが言う。

 イールの力任せな釣り方にも改善の余地はあるが、それにしても随分と粘る蜥蜴だった。


「とはいえ、これで二匹目ですね。わたしは魔法を放つだけなのであんまり消耗しませんけど、お二人は大丈夫ですか?」



 マリンリザードの尻尾をつかみ、ずるずると端へ寄せながらロミが言う。

 一番体力が心配なのは、釣り上げるイールである。


「あたしはまだまだ大丈夫だよ。多少疲れるけど少し休んだら回復するさ」


 イールは右腕を持ち上げて笑みを浮かべる。

 驚くほど強靱で怪力で、なおかつ回復も早いのが邪鬼の醜腕の特徴でもあった。


「私も大丈夫。そもそも雷撃ってあんまりエネルギー消費しないし」


 ララも細い腕を曲げ力こぶを作りながら言う。

 とはいっても華奢な体つきの彼女の腕にそんなものは存在しないのだが。


「釣り糸垂らして待ってる間に回復するだろうし、二人も準備だけはしといてくれ」


 そう言いながらイールは早速針の先に新たな餌を付け、海へと放り投げる。

 まだまだ日は天頂には遠く、時間にも余裕がある。

 穏やかな水平線をぼんやりと見つめ、ララは何匹釣れるかと胸を躍らせた。




「――それで、そんなに釣ってきたのか」


 時刻は飛んで昼下がり。

 白砂の浜でララたちの帰港を迎えたエドワードは呆れたような表情で開口一番そんな言葉を放った。


「いやぁ、面白いように釣れちゃって」

「息つく暇も無かったというか。最後の方は船が沈まないか心配だったな」

「わたしもちょっと楽しくなってしまって。あと一匹あと一匹と……」


 ばつが悪そうに乾いた声で言う三人。

 エドワードは彼女たちの顔を一瞥して大きなため息を付くと、その奥にある船を見た。


「だからって、流石に釣りすぎだろ」


 そこには山のように積み重なるマリンリザードがあった。

 数は十を優に越えるだろう。

 しかもそれら全てが目立った外傷もなく一撃で絶命しているため、品質も良い。

 こんな規格外な客は初めてだ、とエドワードはまたため息を付いた。


「まあ、マリンリザードはいくら釣れても困らんしな。……荷車貸してやるよ」

「おお、ありがたい。助かるよ」


 心なしかげっそりとした様子でエドワードは店へと戻る。

 彼の細い背中を見送った三人は顔を見合わせると、ひとまず船から降ろすことにした。


「これだけ釣れば報酬も期待できるかしら?」


 船に乗り込み、下で待ちかまえる二人にマリンリザードを渡しながらララが言う。

 既に金の色の見え隠れする瞳に苦笑しながらもイールは頷く。


「討伐数無制限の完全歩合制の依頼だからな。全部納品すりゃ当分は楽ができるさ」

「外傷が無いって言うのも重要ですよね。これだけ綺麗なら革も丸ごと使えそうですし」


 砂浜に一匹ずつ丁寧に並べながらロミが言う。

 細い光刃の一撃で命を刈り取られたその体には最小限の傷しかない。

 これほどの良品はなかなか無いだろう。


「全部で二十六匹か。よく船に乗ってたな」

「これだけ積んでたら重量もなかなかよね。いい船を貸して貰ったわ」


 明らかに過積載である。

 よく沈んだり転覆したりしなかったものだと三人は改めて胸をなで下ろす。

 餌のお陰か場所が良かったのか、マリンリザードは面白いくらいによく釣れたのだ。

 お陰で三人は予定していた時間よりも随分早くに戻ってきていた。


「おーい、荷車持ってきてやったぞ」


 エドワードが大きな荷車を引っ張りながら戻ってくる。

 至れり尽くせりな彼の対応に感謝しながら、彼女たちはマリンリザードを荷車に積み込む。


「じゃ、船を元の位置に戻すから手伝ってくれ」

「分かったわ。いい船を貸してくれてありがとうね」

「それが商売だからな。ほら、行くぞ」


 ララの笑顔に顔を背け、エドワードは氷の道を作る。

 四人で力を合わせて船を陸の内側へと滑らせ、作業は一段落つく。


「それじゃ、荷車借りるよ」

「ああ。別に返すのは急がなくてもいいからな」

「まあギルドで納品したら返すよ。そんなに長く持つもんでもないしな」


 イールは満載の荷車のハンドルを掴んで言う。

 四輪の大きな荷車に載せられた山のようなマリンリザードは圧巻である。

 見た目に違わずその重量はなかなかのもので、イールの牽引に加えてララが後ろから押していく。

 ロミはそれに随伴しながら山が崩れないように見張る役についた。


「今回は助かったよ。ありがとうな」

「おう。俺こそ面白いもん見せて貰ったさ」

「ありがとねー」

「本当に。助かります」


 楽しげに目を細め手を振るエドワードに見送られ、三人は荷車を動かす。

 ゆっくりと車輪を回すそれが小さな影となるまで、エドワードは店の前に立っていた。

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