第16話「イール、おなかが空いたわ」

 宿屋『赤羽根トンビ』は、ヤルダの町の片隅、商店や宿屋よりも住宅の並ぶ通りにひっそりと軒を連ねていた。

 緑地に赤い羽根のトンビが描かれた旗を掲げ、暗い通りに面した大きな窓からは明るい光が漏れ出ている。


「……ここ、は」


 そんな宿の一室で、ララは掠れた声を上げて目を覚ました。

 見知らぬ天井に頭をかしげ、ずーんと響くような痛みを覚える。


「うぅ……」

「起きたか!」


 思わず顔を顰めると、耳の側からイールが声を上げた。

 彼女は覆い被さるようにしてララをのぞき込む。

 赤い、細い髪の端がララの頬を撫でる。


「いー、る?」

「はぁ――。よかった」


 ほっと胸をなで下ろし、ベッドの側に置いた椅子に倒れ込む彼女を、ララは不思議そうな顔で見た。


「えっと……」

「とりあえず、水でも飲むか?」


 未だ状況の掴めないララに、イールはテーブルに置いていたコップを差し出す。

 おずおずとそれを受け取り、ララは喉を潤すと、再度口を開いた。


「ごめんなさい。まだ混乱してて、何が何だか」


 木のコップを両手で握りしめ、ララが言う。

 イールは彼女が路地裏に倒れていたこと、それを知り合いの青年が保護してくれたことを掻い摘まんで説明した。


「ごめんなさい、イール。みんなにも。心配掛けちゃったわね」

「ああ、ほんとだよ。――それで、なんで路地裏なんかで倒れてたんだ?」


 声を震わせるララの謝罪を受け取り、イールは尋ねる。

 ララは記憶を掘り返そうと瞳を閉じ、逡巡した。


「えっと……」


 そうして、彼女は当時のことを話す。


 ロミとイールが会話に花を咲かせているところを、ララは一歩下がったところから聞いていた。

 会話に混じらなかったのは、それよりもヤルダの町並みに目を奪われていたからだ。

 初めて見る膨大な数の人々や、華やかな店先を眺めているうちに、彼女の足は鈍っていた。

 気が付いた頃には、イールたちの姿はどこにも見えなかった。


「ど、どうしよう……」


 慌てた彼女は、おろおろと通りを歩く。

 芋を洗うような人混みを縫い、とにかく闇雲に進んだ。

 そんな時に、ララは見つけた。

 それは、イールによく似た赤い長髪だった。

 それをちらりと視界の端に捉えた彼女は、思わずその赤髪を追った。


「待って!」

「……ぁあ?」


 路地裏に入り、スタスタと歩くその女に、ララは声を掛ける。

 しかし、振り向いた彼女は、イールではなかった。


「誰だ? テメェ」


 女は悪態をつき、ずんずんとララに近寄った。


「あ、その。ごめんなさい。人違いだったみたい」

「はぁ? んだよ、ったく」


 おろおろと話すララに、彼女は悪態をついた。

 着古した上着のポケットに手を差し込んで、壁にもたれている。


「あなたが私の友人によく似ていて、間違えちゃったの」

「なんだ? テメェ迷子なのかよ」


 眉を寄せ、その女性は言う。

 まるで世にも珍しい生物を発見したかのような声色だ。


「しゃーねぇなぁ。とりあえずオレがアンデルト広場まで連れてってやるよ。そこで待っときゃそのうち見つかるだろ」

「ええっ!? い、いいの?」

「テメェが嫌なら別にいいが? けどこの辺の路地は厄介者共が多いぜ」

「ありがとう! 見かけによらず優しいのね」

「はっ倒すぞテメェ!!」


 青筋を浮かべつつも、その女性は手を差し伸べる。

 ララはその手を掴む。

 その時だった。


「いたぞっ!!」


 突如として大通りの方から男の怒声が響く。

 見れば、黒い服で身を包んだ、体格の良い男たちが走り寄ってきていた。

 ララの手を握る、女の力が強くなる。


「ヤベぇ。すまんがちょっと逃げるぞ!」


 そう言うと、女は身を翻して逃走する。

 ララも引き摺られるようにして走り出した。

 追う男たちと、逃げるララたち。

 縦横無尽に建物の隙間を走り、二人は疲労困憊になるまで逃げ続けた。


「はぁ、はぁ……。だめだ。おいテメェ」

「なっ、なにかしら!?」

「この道をずっと進めば、大通りに出る。あとは適当に人捕まえて、広場までの道を聞け」

「ええっ!? あなたはどうするのよ」

「奥に逃げる。あいつらが追ってるのはオレだかんな。巻き込むわけにもいかねぇだろ」


 早く行けと女は言う。

 ララが戸惑っているうちに、男たちがやってきた。


「ほら、早く!」

「――大丈夫」

「っ!? なにやってんだよ!」


 ララは女の言葉に従わず、男たちに向かって歩き出した。

 戸惑う彼女の声を背中に、ナノマシンを起動する。


「すぐにやっつけるからね」


 そうして、男たちは宙を舞う。

 風の槍が入り乱れ、黒服の群れを蹂躙した。


「今のうちに逃げ……!?」

「んん――!!!」


 前方に人の山を築き、ララが振り返る。

 そこには、いつの間にか回り込んでいた男たちに捕らえられた赤髪の女の姿があった。


「ちっ!! 『旋回槍スピンショット』……!?」


 手を伸ばし、キーワードを発する。

 しかし、風の槍は飛び出さなかった。


「なんで!? ……っ!」


 一瞬後、彼女を強大な虚脱感が襲う。

 膝がガクガクと震え、身体を支えることができず、どさりと湿っぽい石畳に倒れる。


「にげ、て……」


 霞む視界で彼女が見たのは、昏倒しどこかへ連れ去られる女の背中だった。




「だから、早く助けないと!」

「おい! 無理するんじゃない」


 慌てて身を起こそうとするララは、しかし力が入らないのか藻掻くように動くのみ。

 イールが怒気を含ませ言葉を放つ。


「今の状況がまだ分かってないみたいだな」

「うっ……」


 見下ろすような琥珀の眼光に、ララは萎縮する。


「まずは自分の事をどうにかしろ。体調は万全じゃないんだろう?」

「そ、そういえば。ナノマシンは……」


 イールの言葉にようやく思い出したのか、ララは自分の腕を上げる。


「『起動アクション』……。あれ?」


 キーワードを発声しても、彼女の腕は反応を示さない。

 何度繰り返しても、結果は同じだ。


「ナノマシンが……起動しない……!?」

「それって、大丈夫なのか?」

「だだだ、大丈夫じゃないわ! 一大事も一大事よ!」


 わしゃわしゃと白い髪を掻き乱し、おろおろとララは言う。

 青い瞳が揺れ、小刻みに身体を震わせた。

 ナノマシンがなければ、彼女はただのか弱い少女だ。

 圧倒的な身体能力も、便利な技の数々も失う。

 それどころか、短い筒状にしているハルバードを扱うこともできない。


「そんな……なんで……」


 ララはふっと目の前が暗くなったような錯覚を覚えた。

 ナノマシンがなければ、この世界で生きてゆける自信がなかった。


「……生きていく?」


 ふと、ララの脳裏に疑問がよぎる。


「なんで私、まだ生きてるの?」

「はぁ? 何言ってるんだ?」


 とうとう頭までおかしくなってしまったのかと、イールが心配する。

 そんな彼女に気付かないまま、ララは顎に手を添えて思考を巡らせた。


「そうよ。本来ナノマシンがないと私はこの環境下では生きられない。ということはナノマシン自体は起動してる? でも反応はない。……反応する余裕がない?」


 はたと気付く。


「イール、おなかが空いたわ」

「は?」


 唐突な言葉に、イールは更に困惑を深める。


「何か……そうね、お肉が食べたいの」

「何を言って――」

「とりあえず何か持ってきて! お願い!」

「お、おう。適当になんか持ってきてやるよ」


 強い彼女の言葉に押され、イールは戸惑いながらも部屋を出る。

 そうしてすぐに、ハムやベーコンなどの肉料理を盆に満載して戻ってきた。


「ほらよ、こんなもんでいいか?」

「とりあえず、食べるわ」


 そう言うとララはイールの手を借りて、上半身を起こす。


「手伝ってやるよ」

「え? ……ええ!?」


 イールはおもむろにハムを掴むと、手に持ったナイフで小さく切って差し出す。

 優しい彼女の行動に戸惑いつつも、ララはそっと口を開けた。


「あ、あーん」

「いや、手で食べろよ」

「あ、切ってくれるだけなのね」


 赤面しつつ、ララはハムを受け取り口に運ぶ。

 咀嚼し、嚥下。

 じゅわりと、溶けるような感覚を下腹部で感じた。


「……やっぱり」

「何か分かったのか?」

「ナノマシンが起動しなかったのは……」


 確信を持ち、ララは顔を上げる。

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