勝利の国

 翌日、地図を眺めながら馬車の荷台に揺られていると、遥か前方にそびえたつ白い壁が見えた。


 ミラクローアの外壁よりも高い漆喰の壁は、勝利の国『ヴィクトレース』を取り囲む外壁である。

 地図上ではまだ距離があるはずなのに、十分に威圧感が伝わってくる。


「リリシア、目の前のアレがヴィクトレースだ」


「あ、やっぱり? すごく高いね」


 今はまだ距離があって全体が見えているが、真下からでは頂上が見えなくなるだろう。


 ヴィクトレースは非常に好戦的な国であり、様々な国に戦争を仕掛けている。数百年前にミラクローアと戦争をして、ヴィクトレースが勝ったらしく、互いの領土が歪な形をしているのだ。

 戦闘狂の吸血鬼が治めている国と聞いて不安しかない。


「通過するだけなんだから面倒なことにならなければいいがな……」


 そこから30分ほど馬車を歩かせ、ようやくヴィクトレースの外壁へと到着する。


 大きな門扉によって閉ざされており、まるで要塞の入り口のようだ。

 門の中心には、さらに小さな門が設置されていて、こちらが通行口らしい。つまり、あの大きい門扉はただの飾りだ。


「ようこそ、ヴィクトレースへ。ご用件は?」


「野暮用で旅をしててね。その補給だ」


 金色に輝く甲冑を纏った兵士に告げる。兜で顔は見えないが、若い男の声だ。

 外壁に窓が取り付けられていて、そこから入国者を管理しているらしい。


 壁は高いだけでなくそれなりの分厚さであり、壁に埋まって国民が生活していると言われても疑わない程だ。


「滞在日数はどのくらいですか?」


「あー、二晩は止まろうと思ってるかな」


「了解しました。そちらの茶色の馬たちは吸血鬼様の馬ですか? それともそちらの女性の馬?」


「馬の所有者? 一応、コイツになるのかな。たぶん」


「我が国では馬を使った賭け事が盛んでしてね。区別するためにお聞きしてるんです」


 ミラクローアで譲ってもらった馬だが、乗って世話をしているのはリリシアだ。彼女の物としておいた方が都合がいいかもしれない。


「とりあえず、この娘の所有物ってことにしてくれ」


「分かりました。それでは、入国していただいて結構です。よい旅を」


「ああ、その前に一つ聞いていいか?」


「はい、なんでしょう?」


「一昨日、流星が流れたのを見てないか? この国に落ちたと聞いたんだが……」


「ああ、私はそのころ戦争に行ってまして。今朝戻ったばかりで、分からないですね」


「そうか。ありがとう」


 兵士に別れを告げて、ヴィクトレースの中に入っていく。

 レンガで全面舗装されており、色の違うレンガが使われている所が道らしい。


「うわぁ。道が広くて動きやすい……!!」


 ミラクローアとは違った家々が並んでいるが、それ以上に道の広さに驚いた。レンガとセメントを混ぜた安い造りの集合住宅が多く、一軒家らしいものは見かけない。

 整備された道は馬車が3台通ってもゆとりがあるほど広く、そのわりに大型の魔導車は見当たらない。


 だいたいが馬車と一人乗りの二輪魔導車を使っている。


 酒やらしき看板もいくつか見えるが、ロッジなどのつくりが多く、こじんまりとした店は見当たらない。情報収集のためには人が多い方が役に立つのかもしれないが、これでは目立ってしまう。ブランの魔石さえ手に入ればいい俺としてはあまり派手なことをして目を付けられたくない。


「日が暮れる前に宿を探さないとな」


「そうね。せっかく入国できたんだから、ベッドで眠りたいわ」


 厩舎付きの宿屋は珍しくないが、窓が割れていたり、ガラの悪い連中がうろついていたりと、なかなか良さそうな宿が見つからない。


 結局、国の中心まで馬車を走らせた。


「クーリア、あそこ綺麗でいいんじゃない?」


「ああ、空き部屋が無いか聞いてみるか」


 特別高そうというわけではないが、至ってシンプルな宿屋に入ってみる。

 1階はレストランになっているようで、いくつものテーブルが並んでいる。まだ食事には早い時間なので客は少ないが、カウンターの奥から仕込みをする音が聞こえるのでこれからなのだろう。


「いらっしゃいませー。お食事ですか、宿泊ですか?」


 カウンターに立っていた14歳ぐらいの少年が出迎えてくれる。


「宿泊、2泊で、できれば2部屋」

「1部屋でいいわよ。昨日も一緒だったわけだし」


「あー。じゃあ1部屋で。あと厩舎も使わせてほしい。馬が2匹と荷台が1つ」


「かしこまりました。ベットが2つの部屋をご用意しますね。夕食は21時までならウチのレストランで食べられますよ。明日の朝食は5時半からになります」


「わかった。シャワーはあるか?」


「シャワー付きの部屋とそうでない部屋がございます。シャワー付きは+1000円いただきます」


「構わない。2泊、前払いで頼む」


「かしこまりました。シャワー付きツインのお部屋。厩舎ご利用で2泊。合計で1万8000円になります」


 栗毛の少年がお札を受け取ると、カウンターの足元にしまってある鍵を取り出す。


「お部屋こちらになります。お客様ご案内でーす」


「「ご利用ありがとうございまーす!!」」


 店の掃除をしてた中年の女性たちが口をそろえて言う。


 案内された部屋は4階の真ん中あたりの部屋だった。

 ベッドが2つ並んでいて、真ん中に小さな棚があって、その上に花が活けてある。壁際には俺の背より低いぐらいのクローゼットが申し訳程度に置かれているだけで、他には何もない。


 入り口から見て正面には窓とベッド、すぐ左にシャワーとトイレ、右手にクローゼットという、じゃっかん窮屈さを感じる部屋だが、驚くことにリリシアが下宿していた海の岬亭の部屋よりも広い。


 改めて、ミラクローアに比べて大きい国であることが窺える。


「それでは、ごゆっくりどうぞ」


 少年が鍵を置いて出て行った。

 食事に行こうか迷っていると、リリシアはその場で胸元の開いたブラウスを脱ぎ始めてシャワーに一直線に向かう。


「ごめんね。馬に乗ってると、結構汗かくから」


「ああ、別にいいぞ。ただ、ちゃんと脱衣所に行ってから服を脱げ」


「ふふふ、なにそれ。お父さんみたい」


 ……せめてお兄ちゃんと言ってほしいものだ。

 いや、年齢で考えればおじいちゃんでも無理があるか。


 自分の影の中に手を突っ込むと、眠ったままのブランを丁寧な所作で取り出す。

 胸元に空いた不自然な空洞が見ていて痛々しいが、安らかな表情で眠っている。さすがに気を失っている妹と同衾するつもりはないが、彼女の体調が心配なのだ。疑われていると思ったのかシャルハートはムッとした表情になるが、コレは兄のサガみたいなものだ。


「灰になっているような箇所は無いな……。ゴメンな、もう少し影の中で眠っていてくれ」


 しばらくして、リリシアが風呂から出てきたので、下の階のレストランに向かう。

 別料金ではあるが、宿泊者は割引されるらしい。


 コンソメスープとパスタを注文して、食事を終える。特別美味しい訳ではなかったが、岩塩が入っていないだけマシだ。


 部屋に戻ると、疲れがたまっていたのか、リリシアはさっさとベッドに潜ってしまう。


「疲れたか? 人間は脆いからな。途中で休んでも良かったんだぞ?」


「確かに疲れてはいるけど、早くブランちゃんを助けたいとも思ってるからね。家族を失うって、すっごく辛いからさ」


 ベッドで大の字になりながら、深く息を吐いて言う。

 明るく能天気な振る舞いをしているが、彼女は父と故郷を失っている。それも、吸血鬼のエゴのせいで。本来ならば、俺やブランに憎しみをぶつけてもおかしくないのだが、そんな様子はない。

 むしろ、本気でブランの身を案じているようであり、心の底からあの娘が救われて欲しいと願っているようだ。


「ブランは、自分のせいで誰かが死ぬのが許せない優しい娘なんだ。無理はするなよ」


 今まで出会ってきた弱い人間を思い浮かべながら言う。どれだけ大切にしても簡単に死んでいくような脆弱な生き物。そのくせ託す感情だけは大きく重苦しい。人間というのは下等生物の分際で本当に厄介で忌々しい種族だ。


 あの短い間で、ブランとリリシアはかなり仲良くなっていた。2人とも性格や趣味が似ているというのもあるかもしれないが、それだけじゃない。心優しいブランの性格と、吸血鬼に対する色眼鏡の無いリリシア。悠久を生きる俺としては、願わくば一生の付き合いになってほしいと思っている。


 だからこそ、こうしてリリシアの身を案じるなんていう柄にもないことをしているのだ。


「すぅすぅ……」


 リリシアは寝ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る