奇跡の国

 目が覚めると目の前に広がっているのは凄惨な焼け野原だった。


 生臭い血の匂いと、燃えカスが爆ぜる音。まるで何事もなかったかのように太陽は爛々と輝いていた。そのことがどうしようもなく気に食わなくて、意味も無く唇を噛む。


「……こんな理不尽、認めてたまるかよ」


 『愚者』と言っても吸血鬼の端くれ、人間に同情するような優しさは持ち合わせていないが、平穏に生きていただけの村が呆気なく壊されるのを眺めて笑えるほど歪んだつもりもない。

 言葉を吐き捨てるように残して、村をあとにした。


 そこからしばらく、破壊されたコーウィン村からミラクローアまでを走り抜けて、魔法で加工された石積みの壁が見える。


 ここが奇跡の国『ミラクローア』の入り口のようだ。


 ミラクローアを守るように建てられた壁の外には、池の近くで見かけたアンデットと同じ甲冑を着込んだ2人の兵士たちが立っている。しっかり鎧兜まで着けており、腰から剣を下げている。


「入国者か? 観光であっても、それ以外の用事であっても、この同意書にサインしてもらう」

「同意書? なんの同意書だ?」


 挨拶もそこそこにして、紙とペンを突き出してきた。

 随分と無愛想な物言いであり、声も若々しい。甲冑も真新しく、明らかに不満そうな態度で立っていることから、衛兵の仕事は望んでやっているわけではないのだろう。


 ちらりと同意書の内容を見てみれば、国内で犯罪を犯したら、国籍にかかわらず処罰するだとか、そういったような書類らしい。トラブルを避けるための措置だろうか?

 国に入る前にも少し思ったが、魔導書の中に封じられているシャルハートは、入国者としてカウントされるのだろうか。俺が黙っていれば分からないんじゃないだろうか。


「あれ、その首輪。もしかして吸血鬼か!!」

「そうだが? 『愚者』の吸血鬼、クーリア・ナールだ。人探しで、この国に来た」


 今度はもう1人の衛兵が、俺の首を見て驚いたような声を上げた。

 先ほどの男とは対照的に、渋く低い声をしており、甲冑も砂で薄汚れている。


 もし吸血鬼は入国禁止と言われても、衛兵2人を殺して押し通るだけ。妹の奪還さえできれば良いので、大きくを荒立てるつもりはなかったが、邪魔をするなら容赦はしない。


「吸血鬼様でしたか!! それでしたら、同意書は不要です!!」


 慌てた様子の男が俺の手から同意書とペンをひったくる。うってかわったような態度で、門を開けたかと思うと薄ら笑いを浮かべながら、通っていいという仕草をする。

 急な変わりように疑問を抱きながらも、ミラクローアへと入っていく。俺が吸血鬼と知ったとたんにこんな怪しい対応をするなんて、まるで誰かからそうするように命じられているようだ。


 門をくぐったミラクローアの印象は、さほどコーウィン村と変わらなかった。レンガ造りの家が立ち並んでいるだけであり、奇跡の国を名乗っておきながら、教会のような建物ひとつ見当たらない。


 ただ、コーウィン村とは違って、たいがいの建物が大きかった。

 どの家も広さはコーウィン村と変わらず、普通の一軒家並みの大きさでありながら、2階3階と縦に積み上げられている。国の中心部は4階建てが主流のようだ。


 平屋の建物を見つけると、ほとんど看板が掛かっており、何かしらの店であることが多かった。


 あいにく、観光目的でもショッピングに来ているわけでもないので、一直線に国の中心、王城へと向かう。今すぐにでも乗り込みたいところだが、さすがに警備が固い。

 人間の兵士に混ざって、吸血鬼が門番をしていた。


 見たところ、吸血鬼避けの結界などはないため、侵入は容易いだろう。


 しばらく王城を眺めているが、あまり近くをうろついていて顔を覚えられても面倒だ。村からここまでシャルハートの分身の魔法を躱しながら走り通しだったため腹も減った。


「敵地で吸血ができるほど余裕はないか……。普通の食事にしよう」


 さすがに血を吸うとなると目立ってしまう。

 アルカナ因子を持っていない野良の吸血鬼はおもったより多くないため、雲隠れも出来ないだろう。シャルハートは魔導書の中から不満そうな声を漏らしているが、わざと無視した。


 辺りを見渡してみれば、国の中心部だけあっていろいろな店や屋台が並んでいる。

 動物の肉を串にさして焼いたもの、砂糖やはちみつをたっぷりと垂らしたトースト、捌いた魚を目の前でフライにしてくれる屋台なんて言うのもある。


 吸血鬼にとって一番のごちそうはもちろん生物の血液だが、普通の食事でも多少は回復できる。


「問題はどこで食べるか、なんだが……」


 美味しそうな匂いを漂わせる屋台に心を惹かれるが、腰を据えて落ち着いた食事の方が良いだろう。屋台から目を背けて、飲食店の看板を眺めてみる。


(海の岬亭……。あそこでいいか)


 4階建ての住居に挟まれるようにして建っている店があった。

 目立たない外見ながら、どこか懐かしさを感じさせる看板。木の板を掘って書かれたにしてはずいぶんと綺麗にまとまっており、微妙に色合いの違うレンガと相まって雰囲気がよさそうだ。


 大きな木の板を加工して作られたドアを開くと、小気味いい鈴の音が鳴る。


 オシャレな音とは裏腹に、木製の丸テーブルや歪んだ木の椅子が並べられており、一部の席には樽を椅子代わりにしている部分もあった。

 照明の類は2階の天井から吊り下げられている上に、点灯していない。


 窓明かりの光のみを頼りにしているようで、奥の方は薄暗さを感じる。あえて日の当たらない方の席に座ると、割烹着を着た人間の女がやってくる。

 腰まで伸びた綺麗な黒髪に、目元には泣きぼくろの女は、薄く微笑みながらメニュー表を渡してきた。その手元には結婚指輪をはめており、おそらく30歳ほどだろう。


「お客さん、吸血鬼様かい? ウチでは血の提供はしてないんだけど……」


「様なんてたいそうなものじゃない。それと、吸血鬼だって普通の食事もする」


「それは失礼しました。ご注文決まりましたら、お呼びください」


「とりあえず、水をくれ。あと、トーストを」


 もうすぐ昼だというのに、今日初めての食事だ。

 吸血鬼の空腹はシャレにならない。飢餓状態の吸血鬼は再生能力が低く、人間と同じように怪我をしてしまう。トースト1枚では話にならないが、少し誤魔化す程度の事は出来る。


 早いところ、何かを口に入れておきたかった。


「あ、そうだ。ついでに、リリシアという少女を知らないか?」


「へ? リリシア? その娘ならウチで働いてますけど、どんなご用事ですか?」


「探す手間が省けたな。なんてことない用事だ。呼んでくれ」


 ツーカから預かった手紙を渡すために探していたが、運よくこの店にいるらしい。

 たしか、鈍い金髪の女だと聞いているが、はたして当たりだろうか? 面倒だから同姓同名の別人ではないことを願って、彼女がやってくるのを待つ。


 軽く辺りを見渡してみると、日差しの良いところで老人がうたた寝をしているだけで、他に客は見当たらない。まだ昼食には早い時間とも言えるし、俺が中途半端な時間に来てしまったのだろう。


 『魔術師』が住んでいるであろう城のすぐ前の通りの店で、人間から何か話が聞けるかもしれない。食事とリリシアへの用事を済ませた後も、少し居座らせてもらおう。

 そんな風に思案していると、水の入ったコップを持った女がテーブルに近づいてくる。


「吸血鬼が私に何の用!?」


 ダンッと派手な音を鳴らしてコップを木のテーブルに打ち付ける。

 衝撃で水が少し零れたが、それを気にした様子もなく、目の前の女は俺を睨みつけていた。


 金、というよりは黄色に近い髪色。注文を聞いた女と同じ白い割烹着を着ているが、若々しい見た目と豊満なスタイルのせいで、別な服のように映る。

 ウェーブのかかったツインテールであり、両サイドからふんわりとした髪が揺れていた。


 割烹着の下はへその出たトップスを着ているだけのようで、白くなめらかな背中が見える。


「お前がリリシアか? 出身はコーウィン村?」

「そ、そうだけど。なんで知ってるの? アンタ何者?」


 リリシアはひどく怯えたような目で俺を見る。

 コップを叩きつけたり、俺に怒鳴ったりと騒がしいが、日なたの老人はまだ眠っているようだ。キッチンから心配そうに先ほどの女がのぞき込んでいる。


「俺は『愚者』の吸血鬼、クーリア・ナール。ここに来る前にコーウィン村で休憩してきたんだ。そのときに、ツーカからお前に手紙を渡してほしいと頼まれた」


「村長さんが!? 何の手紙?」


「他人の手紙を見るほど無礼な性格はしていない」


 リリシアに手紙を渡すと、小さくお礼を言って、中を開けた。

 しばらく目を通していたが、薄く涙を零すと、すぐに拭ってまっすぐこちらを見つめる。


「わざわざ届けてくれてありがとう。吸血鬼ってことだから少し驚いちゃったわ。本当にごめんなさい。もし帰りにもう一度コーウィン村に寄るなら、伝言をお願いしてもいい?」


「それは無理だな。コーウィン村はもうない」


俺が冷たく告げると、自分の耳を疑うような、薄ら笑いを浮かべた。


「え……?」

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