ウルトラスーパーミラクル猫の日を求めて
伊野尾ちもず
ウルトラスーパーミラクル猫の日を求めて
2022年2月22日。猫の鳴き声を表す2が6個も並ぶ日に、日本人は熱狂した。SNSに愛猫の写真を投稿し、いいねを送り合った。企業はSNSで猫にちなんだ企画として社名を猫にし、猫が中の人を勤め、アイコンを猫にし、猫型のパンを売り、グッズを売った。誰も猫の日と呼ばず、100年に一度の「スーパー猫の日」と呼んだ。
この年の猫に関わる売り上げ予想はおよそ2兆円。抜群の経済効果をもたらす猫様である。
──35年後。
ある壮年の男性が愛猫と共に研究所を訪れていた。
「ようこそ猫屋敷さん。実験にご協力いただき、ありがとうございます。よろしくお願いします」
研究員と固い握手をした猫屋敷と呼ばれた男性が顔を綻ばせる。
「いいえ、こちらこそ。何としてでもお願いしたかった事ですから。生きている間に人で実験できる段階まで研究が進んで良かったです」
猫屋敷の背負ったキャリーバッグから猫がにゃぅと鳴いてカリカリと引っ掻いた。
「そうだね、ピートも待ってたんだよね」
「にゃぁ」
猫屋敷が蓋を開け、キャリーから顔を出した白茶虎猫のピートが満足げに目をしぱしぱと瞬かせる。
ピートの動じない姿に口角を上げながら研究員が猫屋敷を先へ促した。
「それでは、最後の準備をしましょう。43年間のコールドスリープは初めてですから、丁寧にしませんとね」
「そうですね。よろしくお願いします」
猫屋敷は2022年にスーパー猫の日を経験してから、2222年のウルトラスーパーミラクル猫の日を直に見たいと思いつつ35年を過ごしてきた。無類の猫好きだった彼は、ロバート・A・ハインラインの『夏への扉』で猫好きの主人公が猫とコールドスリープで未来へ行く姿を見て以来、それに憧れを抱き続けていた。自分も愛猫と共に未来へ行きたい、一緒に2222年2月22日を迎えたい、と。
そしてついに、数十年単位のコールドスリープの実験が人で行われると聞き及び、猫屋敷は一も二もなく立候補した。もちろん、愛猫の3代目ピートと共に。
猫屋敷の予定では、まず2122年の猫の日を過ごすためにコールドスリープをし、その時代の発達したコールドスリープの技術で99年後の2221年まで行くつもりだった。
「それでは、よい夢を」
コールドスリープの機械に入った猫屋敷はピートと共に、43年プラス99年の氷の旅を始めた。
***
「おはようございます」
とてつもない長い時間でも、寝てしまえば一瞬である。2度目のコールドスリープから覚めた時、猫屋敷はそれがよくわかった。1度目の時は不調が酷かったが、2度目の今回は普通に寝た起き抜けよりはぼんやりしているだけで、他はあまり不調を感じない。
一緒に起きたピートも、めいいっぱい伸びをしてから毛繕いをしている。猫屋敷が一通りチェックしてみてもピートに異常は無かった。
「コールドスリープから目覚めた方は、専用の施設で過ごしてして頂きます。あらかじめ利用料はお支払い頂いていますので、1ヶ月追加料金なしで療養可能です」
そう伝えられた猫屋敷は、ピートと共に付属の医療関係の施設へ回された。
同じ部屋になった猫俣なる人物はとても気さくで同じく猫好きだったお陰で、142年後の世界でも猫屋敷はすぐ馴染む事ができた。
「お前さん猫連れてんのかい」
「はい。ピートです」
キャリーバッグから顔を出したピートが、ヒゲを動かしながら周囲のにおいを探る。
「可愛いね、ピートくん。ん?ピートってもしかして『夏への扉』かい?」
微笑んで猫俣に頷く猫屋敷。
「ピートほど賢い子ではないですが、愛嬌があって可愛い子ですよ」
「にゃぉう」
ピートに擦りつかれて猫屋敷が顎の下を撫でると、ゴロゴロと喉を鳴らし始めた。
「俺も猫と一緒にコールドスリープしたんだ。おぉい、サバ。どこいった?」
すぐ近くにはいないらしく、猫俣があっちへこっちへ探して、最後あぁいたいたと言いながらカーテンの裏から抱えて猫屋敷の前に戻ってくる。
「こいつは俺と一緒にコールドスリープしたサバだ」
むっつりした顔の灰色のサバ虎猫を持ち上げてみせる猫俣。
「『鯖猫長屋ふしぎ草子』ってシリーズ小説があったのは知ってるか?」
「勿論です。では、長屋で1番偉い猫ちゃんと同じ名前なんですね」
「うちで1番偉そうだからな」
抱っこに飽きたのか、サバはすぐに猫俣の腕を振り払うとお気に入りの窓辺に戻った。
「クールなサバくんも可愛いですね。うちのピートと仲良くなれるかな」
「ま、おっつけな」
猫屋敷のそばを離れようとしないピートに苦笑いする猫俣。
「俺がコールドスリープしたのはサバの治療の為なんだが、お前さんは?」
「私は2222年2月22日のウルトラスーパーミラクル猫の日をピートと過ごしたかったんですよ」
口元をふにゃっと上げながら答えた猫屋敷に、猫俣は得心したように笑った。
「あぁ成る程。良い理由じゃねぇか。ん?2222年は来年だろう?その年じゃなくて良かったのかい?」
「ウルトラスーパーミラクル猫の日なら、当日より前から祭りが始まるんじゃないかと思いましてね」
「ははぁ、そうかい」
腕組みして深く頷いた猫俣だったが、やがてポツリとつぶやいた。
「ま、あんまり期待すると悲しいかもしれないぞ」
「それってどう言う……?」
「うん、まぁ……自分で調べてみな」
曖昧な顔の猫俣は、パンと手を打って話の先を変えた。
「そうだ、この時代について猫屋敷さんも知っとかないとな」
猫屋敷としては猫俣が猫の日の話を避けようとしている事が不思議だったが、2221年がどんな世界なのか知りたい好奇心が勝って居住まいを正した。
「今時は電気じゃないんだと。俺たちが住んでた時代じゃ解明途上だった物質が主要エネルギーになってんだ」
驚いて声を失う猫屋敷に猫俣はニヤリと笑う。
「一応、電気にしかできない事があるから発電は続いているけどな」
大国達は昔から変わらず無い物ねだりをして戦争を続けている事や、パーソナライズが進んだ影響で分断も進み、孤独感が強まっている事なども猫俣は語った。
「俺はまだ良い。サバがいるし、同室に猫屋敷さんもいるからな。コールドスリープから覚めた連中の中には、時代に合わせられなかったり、孤独感に負ける奴もいる……」
「そう、ですか……」
ピートの背を撫でながらうつむく猫屋敷。
「なんか辛気臭ぇ話しちまって悪かったな、猫屋敷さん」
「いえ……どれだけ時が経とうと、人は人でしか無いのでしょうね」
「はは、猫屋敷さんが冷静な人でよかったよ」
そう言って思い切り伸びをする猫俣。
「調べごとなら、ベッドに備え付けの端末があるから、それ使わせて貰いな。俺はちょっくら下の売店行ってくらぁ」
いってらっしゃい、と猫俣の背中をに手を振った猫屋敷は、カーテンの影から出て来ないサバを寂しそうに見つめた。
この部屋は2120年代から旅した人の場所で、特別に古語訳した新聞や古めかしい言い方の対応表がある辞典も置いてある。
使い方を見ながら、スマホともパソコンとも違う姿になった端末を四苦八苦して操作する猫屋敷。言葉も2122年の時と違い、対応表を見ながら解読する始末だ。確認したいのは猫の日と付随する告知のみ。すぐ見つかるかと思いきや、探せども探せどもどこにも見つからない。
「なんで見つからないんだろう?」
「ゔぅぬぁ」
かまえとばかりに端末の前に入り込むピート。猫屋敷がどれだけ困っているのかなんてお構いなしだ。
「ごめんね、ピート。もうちょっと待ってくれるかな?」
「んにゃ」
退く気がないピートをにゅるるっと持ち上げて横に移動させる。
「猫の日のお知らせがどこにも無い……ウルトラスーパーミラクル猫の日を前にしてこんなに静かなものかな?」
猫愛好家達のコミュニティも、保護猫活動をしているコミュニティにも情報が無い。去年分の猫の日の痕跡もない。小さなグループが多数乱立しているのも不思議な話だった。おかしいなと思った猫屋敷は、念のために「猫の日 いつ」と検索した。
「え!?」
いきなり大きな声を出した猫屋敷の隣りでピートの尻尾が膨らむ。
「あぁごめんねぇ、ピート……見てごらん……猫の日が、猫の日が……」
警戒しながらピートも猫屋敷の指差す端末を覗き込む。そこには、猫の日は7月7日だと書かれていた。
「嘘だろう……猫の日が改訂されるなんて誰が思うかねぇ……」
力無く息を吐き出し、天井を仰ぐ猫屋敷。
「猫の日」を説明している文章には、今から50年程前に猫の日が2月22日から7月7日に移動したと書かれていた。理由は「猫は『にゃー』と鳴かないから」。
「猫はにゃぁと鳴くだろうに……」
「にゅぁ」
「そうだよねぇ、ピート……」
解説によれば、かつて猫は「にゃー」と鳴いていたが、現在では「なー」と鳴いていると広く考えられるようになったのだそうだ。ごちゃごちゃした説明を読み飛ばした猫屋敷は、200年前の猫の鳴き声データと8年前の猫の鳴き声のデータを聞き比べられる箇所にたどり着いた。だが、何度聞いても、猫屋敷の耳には200年前も8年前も同じ「にゃー」としか聞こえなかった。「なー」とはどうしても聞こえなかった。
「にゃぁ、だよねぇ」
「みゅあん」
更に解説を読み進めると、「〇〇の日」そのものを廃止した方が良いとの声が大きくなった背景もあったらしい。猫の日に限って言えば、「なー」だから7月7日と主張する人、「わー」だから毎月0が含まれる日は全部猫の日と主張する人、「ねう」だから2月6日だと主張する人、猫の鳴き声に固定観念を持たせてはいけないから鳴き声にちなんだ猫の日を廃止しようと主張する人……その他にも意見は乱立していった。長い論議の末に、公式には7月7日に落ち着いたものの、「猫の日」に乗じてイベントを開催するのは自粛となってしまったそうだ。
「なんて事だ……猫の日がいつなのかを聞くのも恐ろしい状態とは……」
「〇〇の日」廃止の流れは社会の大きな流れだったらしく、語呂合わせで決まっていた日付は軒並み廃止か制定し直しになったそうだ。
「知っちゃったか、猫屋敷さんも」
いつの間にか帰ってきていた猫俣が眉を下げて言う。腕には猫の腎臓ケア用フードの包みを抱えていた。
「猫屋敷さんよ、猫はにゃぁと鳴くよな?」
「ゔぁーぁ?」
猫屋敷が答える前にピートが口を挟む。猫屋敷の耳には猫の鳴き声が「にゃー」でも「なー」でも何であろうと、可愛いことに違いはないとの確かな感触だけがあった。
カーテンの影で、サバが小さく「なぁぉ」と呟いたのは誰にも聞こえなかった。
ウルトラスーパーミラクル猫の日を求めて 伊野尾ちもず @chimozu_novel
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