第八話

「真山くんは本当に草食系ですね。むしろ絶食ですね。これだから未経験な人は困ります」

「脈絡もなく人をディスるのやめてくれません?」


 柚月に呼ばれてやってきた保健室……ではなくて、その横の談話室。少し前まで足を踏み入れたこともなかったのに、今ではすっかり、『いつもの』という表現がしっくりくるほどに馴染んでしまっている。

 それはさておき。本日の柚月は、何やらお冠の様子だった。いつもの(外面だけは)大人びた雰囲気もなりを潜め、子供のように拗ねた表情を隠していない。

「では問題です。私は真山くんの何に困っているでしょうか」

「うわ面倒くせぇこの人」

 言ってはならないことだったかもしれないが普通に声に出てしまった。予想通りの結果として、柚月はますます膨れた顔つきになる。

「……いいでしょう。わからないのでしたら、特別にヒントをあげます」

「うわ面倒くせぇこの人――いたたた」

 もう一度本音を漏らしたら頬をつねられた。妹の機嫌が悪いときと似ているな、と、なんとなく思う。

「すみません。真面目に答えるんでヒントお願いします」

「いいでしょう……これです」

 ずい、と柚月が突きつけてきたのは、彼女が手にしていたスマホ。そういえば、ここに来たときからずっと持ってたな、と思う。なるほどわからん。

「……どうですか。わかりましたか、私の言いたいことが」

「とりあえず、今日の先輩がいつにも増して面倒くさいってのはひしひしと伝わってきますよ」

「なんなんですか、さっきから意地悪ばかり! 真山くんはいつもそうです! 私を馬鹿にして! 私はオトナなんですからね! すごいんですからね!! 今に思い知りますから!!」

「そうは言いましても、大人の女性は後輩相手にこんな面倒くさい絡み方しないと思うんですけど」

 ……とはいえ、このまま正論叩き付けていても埒が明かない。

「……で、結局なんなんすか。子供の俺にもわかるように教えてください」

「………………れ、連絡先」

 ボソボソ、と、柚月の口が動く。大人、大人、という割に、その表情は拗ねた子供そのものだ。

「私の、連絡先……知らないでしょう、真山くん」

「そりゃ……教えてもらったことないので」

「し、知らないなら! 聞けばいいではないですか! こんなに毎日顔を合わせているのに、どうして一向にそういう話にならないんですか!? 真山くんが何も聞いてくれないから、私は真山くんに連絡を取りたくてもできなくて、いつも困っているんですからね!!」

「……別に、知りたいなら普通に聞いてくれれば」

「だって! 男の子に連絡先なんて聞いたことな――」

 つんのめるように、柚月の言葉が止まる。

「…………ど、どう言い出していいかわからないであろう真山くんのために、あえてチャンスをあげたのです。私はオトナですから。こう、あの、後輩の指導を。獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすので」

「そういうの人間の社会ではモラハラっていうんですよ」

 ついでに言えば、柚月の子供になった覚えもない。

「……な、なんですか。真山くんは、私の連絡先なんか、知りたくないとでも言うんですか……」

 口ぶりだけ聞けば偉そうなのに、柚月の声は気弱に萎んでいく。ぎゅ、とスマホを握りしめる手に、演技ではない不安が見て取れた。

(……だから、そういう)

 この人は、気付いているんだろうか。下手にスキンシップなんか仕掛けられるよりも、そういう顔をされるほうが、よほどドキッとしてしまうこと。

「……いや、まあ、知りたくないということは」

 返す言葉は、どうしても歯切れ悪くなる。気取られたくなくても、動揺が、わずかに透けてしまう。

 でも、柚月はそれを指摘するでもなく、ただ、「ぱあっ」と顔を輝かせただけだった。

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