第120話 ※困らないけど困ります。

 突然の刺客によって窮地へと追い詰められたトオルは、このままでは余計に拗れること間違いなしと判断した結果、事情を話すことに決めた。



 ──とは言っても、どこまで話すか……。



 が、いくら仕方がないとはいえ、重大な秘密を何から何まで話すわけにもいかない。


 要は目の前の女子──澤谷香澄を納得させることさえできれば問題ないのだから、いかに最小限の情報でやり過ごせるかをちゃんと考えるべきだろう。



 ──澤谷さんが気になっているのは、石徹白さんと俺の関係……それも、石徹白さんが水着姿で俺に会おうとしたことを知っているうえでの話、だ。



 用意された短い時間、必死に頭を回したトオルは、



 ──もしかして、石徹白さんの気持ちを知ってる……?



 なんとか一つの可能性にたどり着く。


 思えば、最初の「どうだった?」という曖昧な質問も、彼女がトオルに抱く感情を知っていたのだと考えると意味が理解できる。


 つまるところ、あの水着を選んだのは澤谷さんで、トオルの知らぬところで石徹白さんの恋を応援していたのではないか。



 ──よし、だったら……。



 ここまでくれば、なんとなく対処の方向性も見えてくる。


 これ以上待たせるわけにもいかないと考えたトオルは、一つ深呼吸をすると、



「……その、まずはなんだけど……ごめん、確かにプールには来てたよ」

「あ、やっぱりそうなんだ」



 とりあえずついてしまった嘘を否定して謝っておくことにした。


 最初からなんとなく察していたのか、あっさりと納得してくれたことにひとまず安堵しつつ、次の言葉を考える。



「そこで水着姿も見たし、もちろん凄く似合ってた、と思う。あれ、もしかして澤谷さんが選んでたり……?」



 今さら見たことを隠す必要も無いのでそこは素直に話しておきつつ、ついでに確認してみれば、



「うん、そだよ。ほら、君が友戯さんと試着室に入ってたあの後、石徹白さんも来てさ」

「っ!」



 なんと、唐突に衝撃の事実が発覚する。


 まさかそんな偶然がとは思うものの、わざわざ嘘をつく理由も見当たらず、むしろ別の日に水着売り場で遭遇したというのもおかしな話だろう。



「それで一緒に選んであげたら凄く嬉しそうだったんだけど……夏休み明けて会ってみたら全然楽しそうじゃないじゃん? だから、君なら何か知ってるかなーって思って」



 そして、こうして呼び出してきた意図の全貌が見えてくると、トオルはどんどん申し訳ない気持ちになってきてしまっていた。


 実際にその場にいたわけではないが、石徹白さんが自分のために悩んだり喜んだりしていたことを思うと、プールで悲しい顔をさせてしまったことが余計に苦しくなってくるのだ。



「あー、もしかして──」



 そんなトオルの心を見透かしたのか、澤谷さんは気まずそうに視線を逸らすと、



「──石徹白さん、ダメだったの?」



 優しい声でそっと、しかし痛烈に核心を突いてきた。



「えっ、と……」



 ズキリと心が傷んだトオルは、喉が異常なほどに乾き、言葉がまるで出てこなくなる。


 視界が歪み、呼吸も落ち着かなくなる。



「あっ、ごめんごめんっ! 責めてるわけじゃないから!」



 すると、慌てた様子で謝ってくる声が聞こえてきたことでなんとか意識を保つことに成功し、



「恋ってそんな単純なものじゃないし、ね」



 直後、慈しみとはこういうことを言うのだろうかというほどに柔らかい表情と声色で宥められたトオルの胸は、瞬く間に安心感で満たされていった。



「ごめんね、いきなり変なこと聴いちゃって」

「あ、ううん……」



 もはや泣きそうでさえあったところから急に温かい気持ちになってきたトオルは、感情の起伏が激しすぎて結局言葉が出てこない。



「でも、そっか……」



 僅かな静寂の後、澤谷さんは少し残念そうにボソリと呟くと、



「ちなみになんだけど……ダメだった理由、聴いてもいいかな?」



 どうしても聴きたいと言わんばかりの真剣な顔でそんなことを尋ねてくる。


 正直、あのことを話すのは気が引けたが、裏で応援していた彼女には聴くだけの権利があるかもしれない。


 ほんの少しの時間、どうするべきか悩んだトオルは、



「……別に、石徹白さんがダメだったって、わけじゃないよ」



 最終的に、友戯のことは濁して本当の気持ちを話すことに決めていた。



「ただ、俺が選べなかった……ってだけで……」



 あくまでも、自分の優柔不断さが招いた結論──彼女にはそう説明する。


 実際、あの時迷わなければ結果が変わっていないかもしれないと思えば、あながち間違ってもいないはずである。



「ふーん……」



 これに、変に勘ぐらないでくれと祈りながら彼女の言葉を待ち、



「じゃあ、まだ可能性はあるってことなんだ……」

「え」



 予想外の方向から殴られることとなってしまった。


 まだ可能性はある──確かに、トオル自身の気持ちだけが問題なら彼女の答えは合っている。


 しかし、現実的には他にも課題があるわけで、



「あ、今のは聞かなかったことにしておいて」

「え」

「じゃ、そういうことで」

「え」



 とはいえ、流石にそこまで伝わるほど鋭いわけではないらしく、トオルが困惑しているうちに彼女は何処かへと去っていってしまった。


 残されたトオルの額には、嫌な汗がダラダラと流れ始め、



 ──や、やべえ……。



 どう甘く考えても、石徹白さんにちょっかいをかけられることが確定してしまったことに、呆然と立ち尽くすことしかできないのだった。









 そんな出来事があったことなど露も知らない、一人の少女──石徹白エルナは、他のクラスより遅く終わったHR《ホームルーム》からようやく解放され、帰宅の準備を進めていた。



 ──はぁ……疲れた……。



 教室の外から帰路に向かう楽しげな声が聞こえてくるまで時間がかかっていたのにはもちろん理由がある。



 ──私を持ち上げてくれるのは嬉しいけど、流石に時間かかりすぎだってば……。



 他クラス同様、学園祭の出し物を決めていたのだが、何故かエルナの美貌を一番生かせるものは何かと謎の争いが起きたのだ。


 喫茶店で可愛い衣装を着せたいという勢力もいれば、演劇で最高のヒロインをやってもらいたいという勢力もいたせいで、醜い争いが延々と続いた、というわけである。



『石徹白さんの歌って踊る姿見たくない?』



 結果、どこからか聞こえてきた鶴の一声によって『アイドル』という謎の出し物になったことで、ひとまずの終着を得ていた。



 ──まあ、でもこれでやっと帰れるし、いっか。



 当然、センターという大役を任せられることになったわけだが、もとより古武術を習っていた身。


 舞踊に関してはかなりの才があり、歌に関してもそれなりの自負がある。


 そこまで問題があるわけでもなく、後はいつものように帰宅の準備を済ませるだけだと席を立とうとし、



「あ、石徹白さんいた」



 そんな油断が危険な敵の接近を許してしまった。



 ──うっ……澤谷香澄……。



 ここ最近、妙に周りをうろついてきた少女。


 確実に日並くんとのことを聴かれると、予測し避けていたはずの相手が目の前にいる。


 彼とはなんとも気まずい関係のまま終わっている現状、彼女と話す気は毛頭も無かったのだが、こうして話しかけられては無視するわけにもいかない。



「な、何かな……?」



 恐る恐る尋ねてみれば、



「うーんとね──」



 彼女はニヤリと口もとを歪ませながら、近づいてきて、



「──諦めるにはまだ早いよー」

「っ!?」



 耳もとで優しく、囁いてきた。


 主語の欠けるその言葉に、しかし意図を察せられないほどエルナは鈍くない。



「彼、悩んでるみたいだよ。上手くやればいけると思う」



 いったい、ここに来るまでに何があったのか。


 あいにく情報が無さすぎて想像はつかないが、彼になんらかの形で接触したことは間違いない。


 あまりにお節介な話ではあったが、しかし本心では想っているものがあるのも事実なわけで、



「で、でも……」



 言葉では上手く言い表せないものの、一人で抱えていくのもいい加減辛くなってきているのは間違いなかった。



「諦めるのも手だけど……その顔じゃ、まだまだ未練ありそうだけどなー?」

「う、うぅ……」



 とはいえ、突然やって来たうえ、こんな風に煽ってきて何がしたいというのか。


 たぶん、放っておけない性格なのだろうが、そもそも仲のいい友達でもないくせに余計なお世話であった。



 ──でも。



 それでも、そんな彼女だからこそ、エルナは気を許しそうになってしまう。


 日並くんや遊愛ちゃんには話せないことでも、彼女になら旅の恥として捨てられる──おかしな話だが、そんな風に思ってしまったのだ。



「わ、私には、無理だと思う……」



 だから、辛うじて見せた最後の抵抗は、



「それ、一人じゃ無理だから手伝って欲しいってこと?」



 簡単に裏を見透かされてしまうほどに拙いもので、



「澤谷さんがそうしたいなら……なくもない……けどっ……」



 気がつけば、久しぶりの再開からほんの数分で、エルナの心はあっさりと陥落してしまっていたのだった。

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