第56話 ※茶番には付き合えません。
学校に到着してすぐのこと。
朝のHR《ホームルーム》を前にしてトオルは、すでに満身創痍といった様相で机に突っ伏していた。
「よう、今朝もお疲れのようでー」
そうしていると、いつも通りお気楽な声が背中にかけられる。
「ほんとそれな……こんなの俺みたいな日陰者には堪えるわ……」
「はは、まあ美少女侍らせ税だと思っとけー」
彼の名前は
もちろん、話すことで何かが解決するというものでもないが、少なくとも気持ちの面では非常に助かることは間違いない。
「にしてもあの時は驚いたなー、いきなりあの石徹白さんと仲良くなってるんだもの」
「まあ仲良くなったというよりかは、友戯のおまけみたいなものだけどな」
そんな景井は改めて当時の感想を語るが、正直に言えば自分と石徹白さんの個人間では言うほど近しくなかった。
彼女の目当てはあくまで友戯であるため、トオルからするとついで感が強いのだ。
「それでもだよ。ほとんどの人はお近づきにすらなれなかったわけだしー」
「そうなのか?」
「そうなのかって……前の石徹白さん知らないのー?」
なので、景井の言うことにも素直に頷けなかったが、それとは別に驚いた理由があるらしい。
「優しい性格ではあったらしいけど、友達とかは作らなかったみたいなんだよねー。だから、男子なんかは余計に近寄りがたかったってわけ」
「なるほど……」
聴いてみれば、最初に見た石徹白さんとは随分と違う印象を受ける話だった。
そう考えると、ああやって天使の笑顔で相合い傘を提案してきたのも、本当に友戯あってのものなのだと理解させられる。
「でも今はほら──」
解説の後、景井にそのまま教室前方へと視線を促され、
「ねえ遊愛ちゃん! 今日カラオケ行こっ!」
「はぁ……もうルナ、朝からテンション高すぎ」
「あははっ、エリーってほんと遊愛のこと好きだよね〜」
そこにきゃっきゃと騒ぐ女子三人組を見つけた。
「──あんな感じで無邪気にはしゃぐもんだから、話しかけやすいイメージが出てき始めてるんだよねー」
景井はそれを眺めながら、
「しかも、あの友戯さんと
「それはまあ、動く人たちも出てきそうだな……」
追い打ちをかけるようにそう語り、トオルも思わず納得させられてしまう。
友戯がそうなのだからそうだが、やはり石徹白さんにとっても大好さんは中学からの友人らしい。
石徹白さん本人からはあまり彼女の話を聞かないが、あの賑やかな様子を見る限りでは単純に友戯以外への興味が薄いだけで、嫌いだとかそういうことはないだろう。
「そんで、お前はいつの間にかそんな彼女たちの中心にいる謎の男というわけだ。これを羨ましがられずにいる方が無理ってものよー」
「とりあえず言い分は分かったよ、うん」
そんなわけで、自分の態度がいかに贅沢なものだったかということを説かれたトオルは、一応の理解を見せた。
「というか、友戯さんだけでも充分に妬みを買うレベルだったんだけどねー?」
「確かにそうなんだよな……」
言われてみれば、最近は特に距離感がバグっていたせいで忘れていることも多いが、友戯とて石徹白さんに引けを取らない美少女である。
確かにそう言われると、恵まれているなとは感じてしまう。
「それに、気をつけた方がいいぞ」
「え、なんで?」
「いいか? 前まで、友戯さんは隣のクラスくらいにまでしかその名が届いてなかったが、石徹白さん効果で一気に知名度が広がりつつあるんだ」
と、そんな風に呑気に考えていたトオルに、景井は少し真剣な顔で脅しかけてきた。
「ほう……?」
「つまり、今や狙われてるのは石徹白さんだけじゃないってことだよ。これがどういう意味が分かるか?」
何やら、友戯が有名になったとのことらしいが、いまいち彼の真意を測りかね、
「要は、横から見知らぬイケメンにかっさらわれてもおかしくないってことだぞっ……!」
「え、ああ……」
ついにその理由が明かされるが、結局ピンと来ることはなかった。
おそらく、他の男に友戯を取られるかもしれないという話なのだろうが、そもそも付き合ってるわけでもなければ片思いをしているわけでもない。
「……あれー? 友戯さんのことが好きなんじゃないの?」
「いや、たぶん景井の思ってるようなのは無いぞ」
「え、そうなん?」
なので、あっさりとそう返して見れば、景井はぽかんとした顔を浮かべる。
「いや、毎日一緒に登下校してるし、小学校からの友達だしで、やっぱそういうことなんかなって思ったんだけどー?」
「まあ、そう思うのも無理はないかもだが」
景井の意見は至極まともなものではあったが、あいにく現実とは違った。
確かに、もし彼の言うことが本当になったとしたら寂しい気持ちは抱くかもしれないが、友人として祝福すべきことだと割り切るに違いないだろう。
「じゃあまさか石徹白さん……いや、大穴で大好さんかっ」
「だから、そういうのじゃないって──」
景井としては予想が外れて負けた気になったのか、何とか核心を突こうとしてくるが、残念なことに存在しないものは突きようがない。
「──ん?」
そんな風に他愛もなく喋っている時だった。
ふと誰かの気配を感じて教室を見回す。
「どうした?」
「いや……」
しかし、その原因を見つけることは叶わず、
「まあ、それは良いとしてだ。気をつけるべきことは他にもある」
「おいおい、まだあんの?」
無駄に深刻そうな声をかけられたことで、再び景井へと意識を戻された。
諦めの悪いやつだと若干呆れるが、
「さっき知名度が上がったとは言ったが、その弊害でヤバい連中が台頭してきてるんだ」
「なんじゃそら……」
次なる言葉に少し興味を惹かれてしまう。
まるで場末の酒場で交わす密談かのような雰囲気に、トオルは思わずゴクリとつばを飲んでしまっていた。
「いいか、このことは外で話すんじゃないぞ?」
「ああっ……」
そして、もったいぶるようにこそこそと話してくる景井に、トオルも真剣な声で返し、
「……実は今、『百合の花を咲かせようの会』が」
「すまん、ちょっとトイレ行って来るわ」
「待った待ったーっ!!」
続く発言に一瞬で興味が冷めることとなっていた。
「ヤバいやつはヤバいやつでも、性癖の方じゃねえか!」
「何を!? 百合好きはもはや一般性癖……いや、今はそんなことはいいんだっ」
肩を掴んで止めてくる景井に対し、トオルは思わずツッコミを入れてしまう。
別に個人の趣味にどうこう言うつもりはないが、あれだけ溜めて出てきたのがこれでは興ざめしてしまうのも仕方がないことだろう。
「いいかっ、この『百合の花を咲かせようの会』の中には男が挟まることを許さない過激派も少なくない……つまり日並、お前は最も危険視されている存在なんだよ」
「なん……だと……?」
が、どうやら景井の話にはちゃんとした続きがあったようで、それを聴いたトオルは戦慄させられた。
「でも安心しろ、まだ協議段階だ。俺の言うとおりに動けば、お前は助かる」
「お、俺はどうすればいいっ……教えてくれ!」
彼の言うことが真実ならば、トオルの命はすでに危険に晒されているということなのだから、それも当然のことだ。
「よし、ならまずは毎日の登下校はやめるべきだな」
「わ、分かったっ……!」
トオルは景井の提案に素直に頷き、
「それから──いや、後のことは追って話そう」
「ああ……」
そこで一旦、話は終わりを告げることとなった。
ひとまず、これで命を奪われる心配は無いだろう。
「なあ、ちなみになんだけど……」
「なんだ?」
しかし、実は先程からずっと気になっていたことがあるので、
「その組織、お前入ってない?」
「…………」
ド直球で聴いてみれば、
キーンコーンカーンコーンッ……。
沈黙をかき消すかのように、鐘の音が鳴り響いてしまった。
「悪い、話はここまでのようだ……」
「あ、おい!」
すると、それを好機と見たのか、止める間もなく景井は自分の席へと戻っていく。
──くそっ、景井っ……!
まさか、彼まで敵の手に落ちていたとは。
袋小路に立たされたトオルは拳を固く握りしめ、
──あ、トイレ行きそこねた。
ふと、やり忘れたことを思い出し、素に戻ってしまうのだった。
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