3・待ち暮らせば来たる

 草木をかき分け、積落ち葉を踏みしめること約十五分。その道中でたくさんの生き物を見た。脚が6対あるカエル、透明な羽を使い空中でホバリングする豚の頭など。絵本に出てくる生き物たちとは大きく違う姿で、だいたいはその絵本の生き物をちぎってくっつけたようなおぞましいものだった。

「着いたよ」

 頭上の枝に止まっていた三本足のカラスがばさばさと騒々しく舞い降りてきて、ムシンの上着についているポケットの中をついばんだ。手紙のようだ。

「そいつは誰だ、俺聞いてないよな」

 カラスが手紙を咥えたまま器用に喋りだした。

「来る途中で死霊術の賜物を拾うなんて私も聞いてないよ。アマレっていうらしいんだがね」

「今度は人間社会に紛れ込ませて自爆テロでも起こすのか、ファーザーの意思で?」

「この子はただ親を嫌いになって出てきただけさ。そこに彼女以外の意思なんてありゃしないよ。気が済むまでうちらで面倒見てみようじゃないの」

 アマレ抜きで勝手に話が進んでいる。

「えっちょっと待ってくださいよ、当の私を話から置いてってどうするんですか」

「ああごめんよ。このカラスはタカミ。のろまな私の代わりに手紙を届けてもらってる」

「届けるったって、俺すら文通の通過点に過ぎないんだけどな。宛先には誰もいないんだよ。返事はいつも別の場所から飛んでくるから、いつ読んでるのかもわからない」

「……わざわざそうする意味は何なんですか」

「ファーザーは誰にも姿を見せたことがない。姿どころかこの世界に存在した痕跡すらない」

 いきなり謎かけか? 存在しない相手との文通を行っているということか。

 首を傾げたまま動かないアマレに構わずタカミは続ける。

「魔力を自在に扱って存在を消せる魔法魔術の達人か、あるいは個人でなく共同体であるかだと思ってる。でなきゃ突拍子もないところから返事やら指示やらが飛んでくるはずがない。まあ聞くより見たほうが百倍早い。ついてきな」

 三本の足を胴体からぶら下げたままタカミが森のさらに深くへと飛んで行ってしまう。

「私のことはいい。行っておいで」


 枝葉の密集した森の中では満足に羽ばたけないようで、まるで蝙蝠のように不格好に前を飛んでいる。細い枝や草をなぎ倒しながら後に続く。

「まだまだかかるぞ、あののろまにゃ一生かかってもたどり着かないくらい遠くだ」

 黙々と走り続ける。代わり映えしない単調な広葉樹の森を、たった一羽のカラスを目指して走るせいで、自分が街から見て今どのあたりにいるのか、見当がつかなくなっていた。

 自分がどこへ向かっているのか。森の中だけではない。家にいて、聞きもしなかった院長の考えを自らに迎合していれば、今のように宙ぶらりんでよくわからない、実在するかすら怪しい未来の変化に希望を見出すことはなかったろうに。

「ついた。ここだよ」

 手紙の投函先はアマレの一抱え以上あるナラの幹に開いたうろだった。

「ナメクジが一生かかってもたどり着かないくらい遠くまで走らせておいて、見せるのが木の虚ですか」

「まあな。本当にこれしか見せるもんがない。ここでいっちょ頼みを聞いてもらおうと思ったんだ」

 はめられた。長時間走り続けた結果得るものがこれでは少なすぎるから、ここで頼み事をすれば断りづらくなる。

「この虚を見張り続けてほしい。いつ誰が手紙を読んで返事をよこしてんのか、気になるだろ」

「いえ別に」

「もうすぐ日の出だな。俺は次の日の入りまでに用を済ませてくる。その間勝手にここから移動したら、森のど真ん中をさまようことになる。またナメクジか何かに拾われるのを待つのか?俺は別にいいけどな」

 タカミを追って走り出した時点で選択肢はなくなっていたようだ。

「トラとかに襲われたらどうするんですか、人の首は取れてもトラは無理ですよ」

「どうせ人形なんだから死なないだろ。手先の器用なやつ連れてくるからさ。あと、ほとんど新生物は人形相手に腹空かすほど馬鹿じゃないぞ」

 有無を言わさず飛び立ってしまった。

「まあ、人形なら大丈夫か…… 今まで考えたこともなかった」

 生まれて(作られて?)この方ずっと、自分が人形であることを周りが当たり前に受け取って、その上で人間にするのと何ら変わりなく接されてきたものだから、人間と自分との違いを強く意識したことがなかった。食事も睡眠もする。

 そういえば食事は、動作としては人間と変わらないが、喉を通過した食物は胃に当たる部分で触媒によって分解され、その際の化学エネルギーが最終的に同じ化学エネルギーとして体内に貯蔵され、適宜魔力に変換され利用される。残った原子は気体分子として体外へ出ていく。これを院長はゲップと呼んでいたが、人間のそれとは比較にならないほど多いし、喉に詰まりなからでもなく息を吐くように排出される。睡眠は、「人間に寄せたが、生物のそれですらわかっていないことが多すぎるから、不便や疑問があれば教えてくれ」と院長が言っていた。

 そう、アマレは今腹が減っている。

 見渡すと果実のなっている木がちらほらある。野生の木なので味には期待していないが、すぐ近くに生えているサルナシの実を五、六手に取り一つずつ口に放り込んでは噛み潰していく。

 酸味が強い。マタタビでも柑橘でも、野生の実は本当に酸っぱいのだ。人間の敷地にある山から実を採ってきて子供たちに振る舞うと、みな口をすぼめながら口直しに出汁の濃いスープを口に流し込み、同じ果物ならぶどう酒がいいと言うのだった。酒は年長の子供の誕生日(入院日)や建国記念日などの席でしか飲めないので、こうしてことあるごとに要求するという側面も、この話にはある。

 空腹が多少紛れた程度だろうか。いきなりこんなものを胃に入れたら人間は間違いなく胃が荒れるだろうが、アマレの体にとって消化管は単なる触媒の塊でしかないので平気だった。


 白い陽が六十度あたりにのぼったころ。することもなく大の字で草木に倒れていたアマレは微かにその地面が震えていることに気がついた。地震を知らないこの地域で育ったのでそれが新鮮で、しばらくその震動を肌身で直接観察していたが、突如眼前に現れた地異によって中断された。

 眼の前の丘が割れていく。木の根が掴む土の塊が地中の何かによって乱暴に覆される。

 背中で地を押し上げ立ち上がり、森から肩を出したのは、錆にまみれた無骨な金属でできた巨人だった。

「わ」

 呆気にとられ、保身も忘れてただ見上げていた。三十メートルはあろう身体は生気ある動きを見せず、アマレと同じく微動だにしない。

 この巨人が丘そのものを作り出していたのだ。こんなにも巨大なオーバーテクノロジーが、人間を退けて久しいこの場所に眠っていた。

 歩き出した。木々をなぎ倒し、草花を踏み固めて、鈍重に一歩ずつ足を運んでいく。

「!!!」

 突如として現れた熱波がアマレの全身を襲う。焼かれまいと目口を閉じ、丸くなった頃にその突風によって足が地から離れていた。

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