この世界に死んで詫びよ

雷之電

1・誰が誰を恨む

 私は憶えている。かつて唱えられた、全生命にとってのハッピーエンドを。

 全生命は忘れている。いやこんな筋書きは知る由もなかっただろう。彼らには、気付き、反駁する猶予すら与えられなかった。

 伝説として語り継がれることはない。私も語るつもりはない。未来永劫、彼らには荷が重すぎるだろうから。



「アマレ、かぼちゃを裏の畑から採ってきてくれ。夕飯のスープに入れようと思う」

 孤児院長が言う。

「はいただいま」

 ゴーレム、いやタロス。アマレは無機物に死霊術をあてて生み出された、動く人形だ。関節の動きや思考などは死霊術によってアマレの体に縛り付けられた人間の魂が担っているので、機械人形よりもずっと部品点数が少ない。

 孤児院の裏口から外へ出て畑を見やる。空まで閉ざさんとする高く大きい建物に日光を遮られ、育つ作物はみな小さい。

「ほんとに趣味が悪い」

 この街スチーマ・グランデは人間の住む街の中でもひときわ高く細長い。この街自体の面積が非常に小さいことと、近年、石やレンガに代わる、可塑性のある砂利に細長い鉄を芯として差し込んだ、時間が経つと硬化する新素材が登場したことで、この醜い建物が乱立するようになった。

 橙のかぼちゃを一抱え採り院へ帰る。院長自ら炊事場に立ち、せわしなく夕飯の準備を進めている。食材の山にかぼちゃを投げ込んだ。

「ちょっと待ってくれ。アマレ、変なことを聞くが、君は死霊術で動く羊の夢を見たことがあるかね」

 院長はたまにこうして謎掛けめいたことを聞いてくる。

「……それはたとえとしての羊でしょうか。私は夢に羊を見たことはありませんし、もしたとえなら、何をたとえているのかがわかりません」

「たとえでも何でもない。人間は羊の夢を見る。人間ではないが人間と同じように振る舞う存在は、一体どんな羊を夢に見るんだろうかと気になってね。まさか羊自体を夢に見ないとは」

 変なことを考えるもんだ。しかし今回の話は、複雑怪奇で突拍子もない院長の戯言の中では比較的、アマレにも理解しやすい内容だった。

「それは必ずしも羊の夢である必要はなさそうですね。たとえば首をはねられた後も歩き続ける鶏の夢、とか」

「そのとおり。人間が人間の同類として生きた鶏の夢を見るなら、死霊術で動く君のような存在は、自身の同類として、生命を奪われた生物の夢を見るはずだと思った」

「残念ながら、私が見るのはここで暮らす子供達の生活ばかりです。……そういえば、その夢に出てくる子どもたちは、私が生み出されてから一度もこの孤児院で見かけたことがないのです。つまり、よく知ったこの孤児院で、見知らぬ子どもたちが食事の椀をひっくり返したり、つまらなそうに文章を書く練習をさせられたりしている夢」

 院長が首を傾げる。その傾いた首をさらに前へ倒し、唸り、考え込んだあと、口を開いた。

「夢は、必ずしも現実に即しているとは限らない。夢の中で都合よく作り上げられた子供かもしれんし、街の中で偶然見かけた子供のイメージが夢の中の孤児院に入り込んだのかもしれん」


 その夜の夢。自分が院の孤児で、夕飯の後、今までに経験したことのない強さ(夢の中でそう思っている)の腹痛に襲われて、石の床にのたうち回っていた。

 ウルス、と呼ぶ声がする。院長だ。見上げると院長が私に向かって両腕を伸ばしている。応じて抱き上げられると、院長は院の地下室へ私を運ぶ。

「せん、せ、そこは、入っちゃだめって」

「いいんだ。この腹痛は地下で治る」

「薬があるの」

「そう。みんなが触ると危ないからね」

 湿った木の扉にかかる金具に院長が手をかける。


 そこで目が醒めた。ちょうど月明かりは忌々しい建物に遮られ、この自室の中央の丸テーブルに置かれたカンテラだけが目の頼りになっている。

 また奇っ怪な夢を見た。院長の呼びかけを自分のものと認識して、素直に応じていた。院長は今よりシワが少なかった気がする。声にも肌にもハリがあった。

 こうして夢を思い出し反芻することを、人間も行うのだろうか。それとも死霊人形特有のクセ?

「だめ」

 いつも人間を基準に考えてしまう。人間は人間で、自分は死霊人形。自分は人間の侍女ではない。院長という個人の侍女だ。人間様に思考を合わせる必要はない。院長も、アマレを使わす身でありつつ、自分らしく、自分のために生き(死霊なのに!)なさいと言ってくれる。

 なんだか胸の奥深くがもやもやする。胸のどこかに大きな穴が空いて、そこに泥だらけの真綿を詰められたような、耐え難い不快感、不安、焦りがアマレを襲う。

 居ても立っても居られない。部屋の扉近くに邪悪な淀みがあるような気がして、行き場のない焦りから八つ当たりのように扉に突撃した。

 しかし所詮は気のせいだ。扉の向こうには淀みどころか何もいつもと変わったところはなく、その空間のすべてが、外の鈴虫の音に耳を澄ましている。

「……」

 壁の燭台のおかげで廊下は暗くない。今日くらいは悪い子になって、深夜の院内を探索してみることにした。

 柔らかい革の靴が石畳に吸い付く。ひたひたと歩みを重ねていき、遂には夢に見たあの地下室への入り口にたどり着いた。

 奥で物音がする。地下室の扉の先だ。今度は計り知れない大きさの淀みが、扉の隙間からだくだくと溢れ出ている。そのイメージに吸い寄せられるようにして、目の前の階段を下り、夢で院長がしたように、金具に手をかけた。

 手前に引いた扉が、腐った下部を石畳に引きずりながら開かれる。そしてその淀みは単なる妄想ではないことを知った。

「入るなと言ったろう。なぜ今になって破る」

 強烈な錆の匂いが全身を包んだ。鋼鉄のテーブルに横たえられ、ぴくりとも動かず、腹をこじ開けられているのは、夕飯で食あたりを起こし院長の面倒になっていた子供だった。

「言いたいことはわかる。つまり事実がうまく繋がらず、言いたいことを整理できていない、と言いたいんだな。この子は腹痛を起こしていたね」

 言葉が出ない。腹痛でこの子は死に……院長は何をしている?

「ガリルは食あたりを起こして死んだ。では何にあたったと思う?」

「……かっ、かぼちゃを私が洗い忘れていました」

「いい子だ。実に素直だ。しかし世界は実にひねくれていてね」

 院長が口角を上げて微笑んだ。

 疑いたくない。父とも言うべき存在を、今この状況では、疑う他なかった。

「この子の体、どうするつもりなんですか。こんなにひどいことをして」

 直感で行動していた。手首の内部に格納されていた細身のナイフを突きつけ床に院長を押し倒す。

 院長は調子を崩さず言葉を続けた。

「私を殺して死霊術できょうだいを作ろうとでもいうのか、素人にゃ向かんよ」

 喉元を向いた刃が震える。この男の凶行を目の当たりにしてなお、今までの恩を思い出し、己を惑わせている。

「術への恨みで私を殺せば、術で生まれた自分自身を否定することになるぞ」

 惑わされた。もう惑わされたままでいいと思った。それが楽なんだ。院長を開放し扉の方へ踵を返す。

「人形風情が、人間に楯突くとはいい度胸だ。人類への反逆とみなす。街から出ていきなさい」

「っ、言われずともそうしたでしょうね」

 血なまぐさい木綿の服もそのままに、廊下を進み、子どもたちの眠る大部屋に差し掛かる。

 ……このうちの誰が彼の手に落ちるのか。落ちて、何に生まれ変わるのか。

 自分の魂は今どこに縛られ、どんな苦しみを味わっているのか。

 死霊術の知識はほとんどない。わからないことだらけだ。

「……ごめん。どうか元気で」

 講堂を横切り正面玄関から外へ出た。相変わらずどこもかしこも建物の影に飲まれていて、街の外へ続く道を照らすのはほんの少しの月明かりと、煤だらけのガス灯だけ。それらが陰鬱な気分に拍車をかけて、アマレを押しつぶさんとする。

 街を囲む壁をくぐる。壁の上には大砲が外向きに並んでいて、長く続く「魔物」との防戦の主力として活躍している。

 堀に落ちた魔物が溶けた鉛や熱湯に埋もれる様を見ると、人間と魔物のどちらが「魔」なのかわからなくなる。魔物とは一体何なのだろう?

 死霊術どころかこの世界の何も、今のアマレには理解できていなかった。

 その理解を進めるため、跳ね橋を渡り、街の外へ繰り出すのだ。

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