第14話

 日中の温かさを連れて太陽が沈む。今日は仕事と向き合っていてもそわそわと何度も時計を確認しており心ここにあらずといった感じであった。終業時間と共に立ち上がり、同僚の「いつもよりオシャレじゃん?デート?」と揶揄うような声に「そうよ」と軽やかに返事をして部屋を後にした。

 ナタリーはグラマラスな受付嬢に会釈をして会社を出ると石段の下に今日のデート相手であるアイビスが花束を持って待っている。馬車の手配も済ませてくれていた。大人の女性の余裕をみせるように喜びすぎないようにさらりと受け取るが、本当に弟と同じ年ごろとは思えないスマートさに末恐ろしさすら感じた。


 向かった先は数日前に予約をしてたレストラン・リュシークである。以前はどこかの貴族のお屋敷だった。主人は気に入ったシェフを引き抜き、皇都にある屋敷を店に改造してレストランに改装した。そして店ごと贈ったという豪胆でユニークな人だそうだ。客層は貴族も庶民も様々で、予算にあわせて料理を提供してくれる皇都では稀有な店としても有名である。その代わりなかなか予約をとるのが難しいだけに、今回店に入れるのは貴重な機会なのだ。デートも勿論だが、そういう意味でもナタリーは何日も前から楽しみにしていたのである。


「スウェイン様、お待ちしておりました。お連れ様がお待ちです」


ナタリーは首を傾げる。連れといえばデート相手のアイビスだけである。二人の予約だと伝えても女性はにこやかに笑って席への案内を申し出るだけだった。訝しがりながらも、女性についていくと想像していなかったことが起こった。階段を上ろうとしている。流石にナタリーはいけないと思い女性に話しかけた。


「あの!私普通席を予約しているはずなんですが」


普通席とは、一階の応接間にある一番リーズナブルに楽しめる気軽な席である。二階はランクがあがり、料理が豪華になったり、接待も変わったりするというナタリーにはお目にかかることもない席だ。


「確かにご予約いただいたときはそちらでおとりしておりました。しかし、お連れ様は二階への案内するようにと仰せつかっております。どうぞ、ご遠慮なく」


女性はかわらず笑顔を浮かべながら手招きして二階へとあがっていく。アイビスと顔をあわせ、とにかくついていくことにした。


「こちらでございます」


ナタリーはまたもや驚愕し喉をひゅっと鳴らした。案内された場所は当時の持ち主である貴族の一人娘の部屋の前だった。そこはVIP席のひとつであり、貴族が接待に使ったり、時には密会———道ならぬ恋に使われることもあると噂されている。プライベートはまもられるが、その代わりに料金もかなり割高になる。ナタリーの賃金の何倍もするとされている。

どんな人が待っているのか、頭の中はデートの楽しみなんてすっかり抜けてしまい、まともな思考が出来ないくらいにパニックになっていた。


女性はノックをして「お連れ様がご到着されました」と声をかけると中から聞き覚えのある声がしてパニックになってグルグルしていた思考が止まった。扉をあけると上品な調度品が揃い、かつて住んでいた貴族の娘が好むだろう年頃の可愛らしさを残した部屋が目に飛び込む。そしてそこで寛ぐ弟、アウルが座って出迎えた。


「ちょっと、なにしてるの?」


アウルはいたずらが成功したとでも言うようににやにやと口元を緩ませていた。多少その顔に苛立ちを覚え、かつかつと踵を鳴らしながら近づいた。


「もう一度問うわよ?なにをしているの?」

「そんなに怖い顔しないでよ」

「怖い顔にもなるわ。今日はアイビスとデートって言ったでしょう?邪魔する気?」

「丁度良かっただけだよ」

「丁度いいって」


そこまで言うと「わかってるでしょう」とアウル肩をすくめてみせた。VIP席で丁度いい場所、つまり人に聞かれるには不都合な話をするには丁度いいということだ。ナタリーはひとつ息をついて、デートの邪魔をしたことについてはこれ以上問い詰めることはしなかった。案内した女性が椅子をひいて座るように促した。一礼して退出したのを見計らいナタリーが話し始めた。


「それで?わざわざこんないい席を用意してデートの邪魔をしてくれた理由はなによ」

「先日のお礼をしたかったのさ」


お礼と言いながらデートの邪魔をしたことを否定しないことにナタリーは目を据わらせる。


「ジャックの依頼が完全に終わったからその報告と報酬をしようと思ってね。伯爵から色をつけてもらったから予定より多めにしたよ」


アウルはテーブルに茶封筒をそれぞれの前に出した。


「そういえば、あれからジャックを見かけたけど随分すっきりした顔をしていたな」

「だろうね。家族とのわだかまりもなくなったようだし」


ノックの音が会話を遮る。アウルは中に入るのを促すとさっきの女性がカートを押して入って来た。女性はナタリーの傍に寄ってグラスを置きワインを注いだ。


「コードリー島の白ワインでございます」


注がれたワインは仄かに草色をしていた。色のイメージ通りの爽やかな香りが鼻腔を擽る。


「コードリー島?」


伯爵が通い詰めていた島であることを知ったのは記憶に新しい。タイムリーな話だとナタリーは思った。ちらりと女性の顔を覗くと髪の毛を纏めあげたことで輪郭がくっきりと浮かぶ。そういえばどこかで見たことがあるような。


「あ!」


思わず大きな声をあげ、おしりが椅子から数センチ浮かび上がった。驚きと羞恥が混ざり合ったのを誤魔化すように口に手を当てて座り直す。そしてアウルに目をやると、またもや不敵な笑みを浮かべていた。


「もしかしなくとも、伯爵のご令嬢…エミリア様、ですか?」

「はい。その節は息子と父が大変お世話になりました」


深々と頭を下げられてナタリーは困惑し通しだった。急いで立ち上がり「こちらこそ弟がお世話に…」と口をもごもごとさせながらエミリア以上に頭を下げる。あまりの恐縮具合にエミリアが頭をあげるように頼んで、漸くまともに目を合わせた。


「ここではどうぞと気軽に呼んでください」


エミリアは身分を隠してあちこちで働いていると言った。フットワークの軽さが人に言える長所だと笑っていた。レストランの給仕、宿屋の掃除など伯爵の令嬢とは思えない仕事内容に一同目を丸くする。


「あとは皆さまや息子が通う学校の食堂ですね」

「僕も驚いたけど、一度食堂でお世話になったのをきっかけにもう一度声をかけていただいたんだ」

「ナタリー様からこちらの店でご予約をとっていただいてるとアウル様から伺ったんです」

「この部屋が丁度空いていたから、予約のとりなおしを僕から頼んだんだ」


「つまりデートの邪魔をしたってことには変わりないじゃない」と口にはしなかったけれど目で訴えた。伯爵令嬢が関わっていることと、エミリア自身からデートと知らなかったと恐縮されたのも相まって、そのはけ口はため息に変えるしかなかった。


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