第3話
アウルは朝食後からずっと考え込んでいた。授業の最中も板書しながらも、頭はジャックからの依頼のことでいっぱいになっている。数式も、美しい
「断ればいいのに」
アイビスと共に寮に戻り、年間パスを使って昼食をとっていた。アイビスは一限目を素直に授業に出てからも、結局二限、三限と真面目に参加した。一度授業に出れば体も慣れたのだろう。
アイビスは朝食と同じように山盛りのサラダにフォークをついては口に運ぶ単純な作業に勤しんでいた。レタス、レタス、トマト、レタス、レタス、ゆで卵、レタス、レタス、蒸し鶏と一定のペースと、彼なりのルールがあるのか、順番を崩さずに口に入れて咀嚼しながら文句を垂れた。
「そうは言ってもなぁ」
ジャックの真剣な眼差しが脳裏に焼き付いている。五百万という法外な値段を突きつけても怯まない彼の姿勢から必死さはびしびしと伝わった。
勿論、好奇心が動いたのも事実だが。
「とにかく、やると決めたからには情報が欲しいな。アイビスはマーティン家についてどれくらい知ってる?」
「出回っている噂位しか知らないさ。マーティン家の当主、つまりジャックのじいさんのことな。彼が独裁的だとか、女好きで、娼館に入り浸っているとか。あとは一人娘が駆け落ちしたとか。まさかその相手が有名な旅行作家のライゼン氏とは思ってもいなかったけど」
ダニエル・ライゼンは有名な作家ではあるが、家族構成など、個人的なことは公表していない。いちファンを公言してもいいと思っているアウルでも、まさか貴族の娘と駆け落ちしていたとは驚きを隠せなかった。
「娼館でも度々名前は聞くし調べてやるよ」
校則破りを憚らず堂々と言い切るアイビスを咎めるべきなのだろうけれど、アイビスから得られる情報を逃したくはない。更に言えば自ら娼館に出向く勇気はない。咳払いで『頼む』と意思表示を向けるとアイビスはにやりと笑った。
「ちゃんと分け前貰うからな」
「分かってる。いつも通り後払いで頼むよ」
「マイド」と異国の商人言葉でフォークを持った手を振った。
◆◆◆
午後は予定がないので、早速ジャックの依頼に関する情報集めを始めることにした。学校内の図書館に足を運ぶ。世界一大きい図書館は、生徒ではない人も出入りすることが可能だ。入口で学生証を見せて名前を書くと、入館証を手渡される。
新聞が保管されている場所を案内カウンターで訊ねると、司書は入館証に埋め込まれた小さな精霊石に手を当てた。透明だった石は橙色に変化する。アウルはその色を見て一番奥だと知る。
広い館内は最新設備がふんだんに盛り込まれ館内の端に行くのも苦労はない。エーデル皇立学校の日々の研究の成果が国中、特に王都、更に言うとこの図書館に活用されている。
特に移動手段に使われる『動く台座』は二百年前に発掘された『浮遊の精霊石』を応用し作られた物だ。丸い石の台座に乗ると台座に施された魔法陣が、入館証の石に反応して動く仕組みだ。王城や校内にも一部使われているが一般人が出入りするのは難しい。それに比べ図書館は出入り自由なので、これを見る為だけに来る観光客も少なくない。
アウルは台座に乗って所定の場所へと向かう。初めに台座は下降した。いくつかの台座とすれ違っていく。大体地下十階と言ったところで平行に進んだ。あらゆる部屋をいくつか過ぎたところで台座は徐々にスピードを落とし静かに止まった。
降りるとそれまで視界に映らなかった暗い部屋に、吊るされたカンテラに灯りが自動的にともる。カンテラの中に光源となる精霊石これも研究者の成果の一つだ。アウルに仕組みはわからないが、此処では当たり前なので疑問に思わない。
「えっと確か八年前くらいだったよな」
ぶつぶつとひとりごちながら、年月日順に入れられた引き出しを探す。引き出しはすぐに見つかった。しかしここからが問題だ。時期が判らないので勘を頼りに大体秋ごろと決めて片っ端から新聞を捲った。この図書館に保管されている新聞は長期保管が効くように、シラムトと呼ばれる大樹の樹液が施されている。新聞全体にスプレーで吹きかけると色褪せず破れにくくなる。
「僕って冴えてる」
予定より早く見つかったことに、直感の良さを自賛した。パルジェの月から七十八日目の新聞の三面に比較的大きな記事が載っていた。
『国内で人気を博した旅行作家のダニエル・ライゼン氏が行方をくらましたと出版社により発表された。数か月前から定期的に行われていた連絡が途絶えたという。最後に手紙が送られたマルカ地方にて、騎士団により広い範囲で捜索が行われたが今日までみつかっていない』
マルカ地方といえば交易が盛んな大きな港町である。人の往来が激しい場所で行方不明だなんて信じられない。何かしら事件に巻き込まれたのか、もしくは自ら失踪したのか、不吉な考えがアウルの脳裏を過る。
アウルは次の日、また次の日と新聞を開いていく。暫くはライゼン氏の話題はなく、約一か月後の新聞の三面記事に続報が掲載されていた。
『先日行方不明となったダニエル・ライゼン氏のものと思われる衣服の一部が海上にて見つかった』
(遺体はあがらず捜索が続けられたが已然行方不明、と)
これは絶望的だな。頬杖をつきながらアウルは口に溜まった息を短く吐いた。生きている可能性もなくはなかったが、もし生きていたならジャックが言うように家族に連絡を寄越すだろう。もしくは連絡が取れない状況なのか?
行方不明になった時期の一年後なら続報が載っている可能性があると思い見てみる。想像通り書かれていたが、目新しい情報はなかった。更に次の年も、その次の年も確認する。年月を経て記事の大きさはどんどん小さくなっていた。
「ん?」
丁度一年前の記事に目を通している際、別の記事が目に入る。新聞の端っこに噂の域を出ないゴシップ記事が掲載されていた。
『M伯爵の子女、禁断の恋の終わり?』
貴族のゴシップは庶民にも人気の記事だ。流石に堂々と名前をさらすわけにはいかないのかイニシャルで書かれている。しかしわかる人にはわかりそうなギリギリラインを走る内容である。
M伯爵が、子女Eを禁断の愛の巣を探し出し、子供と共に無理矢理連れ戻した———云云と大袈裟に、恐らく嘘を交えながらつらつらと書かれていた。これが事実でジャックの母親の事を書かれているなら、夫であるマーティン氏のことには触れられていない。
記事の最後にはM伯爵には子女E以外の子供はいないため、M家の領地をE
Eの子供に譲るためにひきとったのではないかと締めくくられていた。
———最後だけはなかなか的を射ていると思う。M伯爵の場合、女遊びが激しいのであれば、他にも子供はいるだろうが、公式に発表はされていない。ジャックも未だ認められているのかはわからないが、学校に通わせているのを見ると、跡継ぎ候補で間違いないだろう。
それにしてもよく七年間も貴族の娘が正体を隠して外で暮らしていけたものだ。それも一人でジャックをここまで育てあげたのだから凄い。
アウルが顔も知らないジャックの母親に敬意を表するのは、自分の育ての叔母さんが重なったからだ。夫を早くに亡くした叔母は、女手一つで彼女の実子を分け隔てなく育ててくれた逞しい女性だ。普段は叔母さんと呼んでいるが、言うまでもなく彼にとって母親同然の存在である。
アウルが叔母家族と住んでいた場所は皇都からずっと離れた田舎だ。羊を飼いながら慎ましく暮らしている。貧しいとまではいかなくても、贅沢な暮らしなんて夢のまた夢だったが『毎日出来る限り笑って暮らせればなんとかなる』が口癖だ。今日も朗らかな笑顔を浮かべているのだろうと思うとアウルは自然と笑みが零れた。
記事の最後に目が行った。———著者N・クレイン。家族のことを思いだしたのはこの名前のせいか。
アウルは急いで広げた新聞を片付けて台座に飛び乗った。
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