第2話
寮には朝の五時から夜の九時まで自由に食事ができる食堂がある。各部屋にも簡易キッチンが備え付けられており、自炊する生徒も少なくない。アウルは大抵食堂を利用するので年中好きなだけ食べられる年間パスを購入していた。
入口でパスカードを見せて入室するとプレートを渡される。好きなおかずをとって食べるバイキングスタイルは、自分に適した量を食べられるのでアウルは好きだった。
食堂はまばらだ。徹夜明けの院生や、教授が数名寛いでいるくらいで、他の生徒はまだ殆ど起床準備中なのだろう。手近な席につき三人は顔を見合わせながら食事を始めた。
「それで?起床時間よりずっと早い時間に押し掛けた理由を聞こうか。訪問する時間にしては常識外れだと思うけど」
アイビスは朝に仕入れられた新鮮なサラダをせっせと口に運びながら嫌味ったらしく訊ねた。寮のルールを破って一晩しけこんだ男が尤もらしいことをほざいているとアウルは眉を顰める。
「申し訳ございません。入学時から何度か声をかけるタイミングを計っていたんですが、なかなか勇気が出なくて…でも昨夜どうしてもアウル先輩にお話したくて、居てもたってもいられず、早朝に押し掛けてしまいました。いえ、本当は起床時間を過ぎてからにしようと思っていたんですけど、先輩が起きているとアルバイト中の先輩から聞いたので、このタイミングは逃せないと来てしまいました。マナーが悪いと言われても仕方がないと思います。本当にすみません」
何度も何度も謝るジャックにさっきの冗談も響いているのではないかと思うとアウルは罰が悪かった。
「別に構わないよ。今日は起きていたんだ。どうせ起きていなかったら起床時間まで待つつもりだったんだろう。充分常識範囲内だよ」
できれば日中、ランチ時にでもしてくれたら有難いけどという本音は心の中にしまっておく。
「でも入学してからって、どうして僕を?どこかで知り合ったっけ?」
面識のない相手が自分に話しかける理由は一つしかないので予感はあった。でももしかしたら違う理由かもしれないので念のために訊ねている。
「いいえ。俺が一方的に知っている、というか噂で聞いているだけなんで」
何度も私と言い直していたジャックは、少し緊張がほぐれたのか慣れている一人称を使って言った。
「先輩にお願いがあるのは、司書の資格を持っていると聞いたからです」
ああやっぱりと投げやりな感想が口を突きそうになった。司書関連のお願い事というか、厄介事を持ちかけられるのは珍しくない。大抵は自分に頼まなくても自分で学校と併設されている王立図書館に足を運べば済むものが多い。体よく使おうとしているのか、司書の力に興味だけが走っているのか、相手の意図はわからないが、必要のない使われ方はアウルにとって癪に障る。
「別に構わないけど、お金はとるよ」
「ええ、勿論です。依頼内容でも金額が変わるんでしょうか。相場を教えていただけませんか」
「五百万ガルド」
五百万ガルドといえば、エーデル皇国の平均年収くらいの金額だ。学校が許可を出しているアルバイトでは何年もかかるだろう。貴族出身のジャックでも瞬きを忘れる程目を大きく見開いて黙り込んだ。
「君が言ったように、依頼内容によっては金額の上乗せはする。まずは手付金にその金額は貰うよ」
「わかりました。一週間いただけますか。出来る限り努力します」
今度はアウルが目を剥いた。大抵はここで、冗談じゃないと憤慨される。だからといって決して法外な金額ではない。司書の資格を取った時に、相場は先輩司書から確認している。司書としては新人のアウルでも取って良い金額だ。
この世にある全ての情報を引き出せる能力を持つ司書の力は国をも揺るがすことが出来ると言われている。勿論、そういう重要書類は司書の中でも特級クラスの者にしか入れない『場所』にある。まだ二年目のアウルには、せいぜいあらゆる者が見る可能性がある書物までしか閲覧は出来ない。とはいえ、それがどういったものでも引き出せる。例えば何十年、何百年前の新聞でも絶版になった本でも、すでに燃やされてこの世に存在しない書物でもだ。
「本気か?もしや親からもらってるポケットマネーでもはした金って言うんじゃないだろうな」
「入学前にアルバイトをしていたので、蓄えが少しあるだけです。それでも全然足りませんが…祖父から借金をしてでも必ずお支払いします」
予想が外れた。本来ならここで断ってもらうのがいつもの流れで、学生相手では仕事をしないんだなと吐き捨てられて終わる。どんなにお金を持っていそうな生徒でも金額に怯んだ。しかし目の前にいる純朴を形にした大柄の男は肩を固くさせて、真剣な眼差しでアウルを貫いた。
「依頼の内容にもよる」
自分の方が優勢だという余裕を醸し出していた勢いは急激に抑えつけられた。苦し紛れの言い訳だった。内容を理由に断るきっかけを生みたかった。しかし興味もあった。高額の依頼料を払ってまで司書の力を借りたいジャックに好奇心が疼く。
「父の手記を探していただきたいんです」
想像だにしていなかった答えに「は?」と気の抜けたアウルとアイビスの声が重なる。特にアイビスには理解が出来なかった。世界中の本を探し出すのが皇立国家資格である司書の役割だと思っている。手記というからにはそれは個人の持ち物で書物ではない。それを司書に探させるのは無理難題、むしろ無謀だとアイビスは呆れた。しかしアウルにはそうではない。これまでになかった皇立国家資格に相応しいともいえる依頼を目の当たりにして驚いたのである。
「詳しく話してもらえる?」
「俺の父は数年前に行方不明になって、昨日失踪宣告を受けました」
「それって」ついさっきまで読んでいた新聞の記事の内容を鮮明に思い出せる。
「俺の父親はダニエル・ライゼンって言います。旅行記とか書いているんですがご存知でしょうか」
「ご存知も何も有名な作家だ。この国で知らない奴はいないよ」
実家に彼の本は全て揃っているという言葉は飲み込んだ。ミーハーだと思われたくなかった。それに反して頬が紅潮しているのは隠せていないことにアウルは気付いていない。
「でもライゼン氏がマーティン家の人間だとは知らなかったよ」
「あ、いえ、マーティンの姓は母方のものなんです。母は若い頃に父と駆け落ちしたんだそうで。俺もずっとライゼンの姓で過ごしていたんですが、父が行方を眩ましてからは母方の姓に変えたんです」
ジャックは事象をざっくりと話した。恐らく重要な部分以外はだいぶ削られているのだろう、駆け落ちの件や有名作家が父親だというところにアウルは深く興味を持ち感情を刺激する。
「父は八年前、国外への取材のため家を出ました。半年から一年位は家を空けるのも普通で、帰ってこないことに対して気にすることはなかったのですが、いつもなら一か月か二か月に一回は手紙が届くのに、三か月経っても一向に手紙を送ってこなかったことでおかしいと思いました。母は出版社に掛け合ってみましたが、国外の旅行ということで暫く待つように諭されたそうです。でも結局四か月、半年、そして一年経っても父は連絡をよこしませんでした。出版社から取材先へ連絡を取ってみたようですが足取りが掴めなくなってしまい、行方不明届を出すしかありませんでした。そして昨日遂に見つからず失踪宣告を出されたのです。実際は死んだかどうかもわからないけど、父が何も連絡をよこさないのは絶対にありえないし、そう思うしかないんですが…」
ジャックは気持ちの踏ん切りがつかないと顔を顰めた。アウルは仕方がないことかもしれないと頭では理解したが。苦悩した顔を見て遺体が出ないまま死亡宣告を告げられた家族の痛みをまざまざと突きつけられた気がして、同情も正論も口にするのは憚られた。
「ただ、父はずっと手帳を持っていたんです。見たもの聞いたことを全てメモするために、これくらいの小さな手帳を」
指で手帳の大きさをなぞらえて空中に描く。ごつくて大きいジャックの手より一回り小さいイメージだった。
「恐らく死ぬ直前まで何かしら書いていたはずなんです。死ぬ間際に何が書かれていたのか、どうして帰ってこれなかったのか。それを知れば僕の気持ちにも踏ん切りがつきます」
ジャックはアウルの目を火矢のような熱い眼差しを向けた。決して離さないと言わんばかりに視線をそらすことはしない。アウルの方が圧倒されそうだった。
「わかった。前金はまけてやることができないけど、用意できる分だけでいい。一週間後、僕の部屋を訪ねてくれ」
ジャックはほっとして笑った。張りつめていたジャックの顔が緩んだ一瞬で、アウルは本来の彼の表情が少しだけ垣間見た気がした。
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