Like an Aqueduct
東京。虫を誘うネオンがギラつく午前1時13分。三次会に呑まれた俺は、足にもたつく倦怠感を振り切ることも出来ずに、まるで縁のない華の路地裏を彷徨っている。酒の力というのは恐ろしいものだ。考えることすらしなかった猥談の答えが、腹の底からなんとまぁ滞りもなく湧き出てくるのだから。質問者もアルコールの心地に溺れていたから明後日までは覚えていなさそうなのが不幸中の幸いといったところか。
吐き気は無いが頭痛が酷い。熱に浮かされたような体内に液体が隙間なく流れ込み、細胞を蝕んでいる。どうしたものか、帰るにも終電は無くなってしまったし。こんな時に頼れる友人なんて、……いないし。本当にどうしよう、金も無ければ、酒を飲める体力ももう無いのに。
「ねぇ、お兄さん。」
耳元に響いた息に跳ね上がる。いつから?いや、それよりも。誰?こんな冴えないスーツ姿に声をかける人間だなんて、キャッチかセールスか……まさか、美人局か。そこまでいって納得した。なるほど、確かに今の俺は引っ掛けるにはちょうどいい。さぞかし肥った鴨に見える事だろう。そう考えた、まではいいものの、しかし。今の俺には、それが悪い事であると理解する能力が、無かった。
「び、っくりする、じゃないですか。誰ですか、貴女……」
「っはは、ごめんね。あんまりしけた顔して歩いてるから気になって。どうしたの?」
「あぁ、いや……ちょっと、飲みすぎて。歩いてたら、いつの間にか……」
「へぇ。酔い醒ましにこんなとこまで?」
「ええ、まぁ、そんなとこですね……はは。……お気に召しましたか、俺の答えは」
「うーん。お気に召した、っていうか」
「……?」
「まだ気になること、あるかなぁ。」
毒々しい照明に当てられて艶めく髪をさらりと揺らし、彼女は俺の腕にするりと絡みつき、顎を肩に置いた。多すぎるハイライトが交じる瞳がまるで蛇のようで、思わず唾を飲み込んだ。
「、な、んですか、気になること、って」
「んー。君さ」
「は、い……」
「なんで逃げないの?」
「え、」
「美人局だって思ってるんでしょう?自分の事できる人と思ってない。声をかけられるに値する人間だと思ってないよね」
「な、え、……いや、……」
「否定できないね。じゃあなんで逃げないの?破滅願望がある?それとも、」
彼女はそこで言葉を切った。嫋やかに俺の耳に手を伸ばし、なぜか擽るように触れた。俺はそれが、どうにも落ち着かなくて、でも逃げる気にもなれなくて。最初より大きく肩を跳ねさせた俺に、彼女はまた近づいた。それから。
「それとも、私に惚れちゃった?」
息が止まるかと思った。そんな事はないと、反論できなかった。だから落ち着いて、面と向かって話をしなければと、思って。彼女の方を、見た。ら。
「っぃ、や、ちが、」
「何が違うのかな。」
「へ、っんぅ!?んん……っ!?」
熱が、ぐにゃりと口の中を支配する。アルコールと同じくらい、芳醇な葡萄の香りがする。ワインだ。苦手だから、自分で飲むのは避けていた。こんな、味がするのか、本当にこんな味なのか?そんな無垢な疑問は、彼女の唾液と自分の唾液が溢れて、もう分からなくなってしまった。自分が何の理解も出来ないまま崩れ落ちたのは、その6秒後だった。
「、っぁ、は、ふ……っ、」
「……はは。可愛いね。君、童貞?」
「っう、……そ、れが、なん、ですか、?」
「強がってるの?開き直りかな。ふふ、ほんと可愛い。でも、君だけそんなになっちゃうの、不公平だよね?」
「へっ、?」
「ほーら、行こう?お金は私が出したげるよ。明日の朝までめいっぱい、私と遊ぼうよ」
ね?と笑って俺の手を握った彼女は、今や酔いとは別でふらついている俺を引っ張って、光るネオンの一つに潜り込んだ。拒否権が無いのだとは分かっていた。拒否するつもりも無いのだとは、分かっていた。つくづく、俺というのは押しが弱い。まぁ、……悪い気は、してはいないけれど。
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