【窪女童】 下

「ま、まて〜!くぼめわらし〜〜!!」


「くすくすくす!お兄ちゃん、今すっごくかっこ悪い!」


 転ぶ事を恐れているのか、お兄ちゃんは犬のように四つん這いになり、手で探りながら少しずつ此方にノロノロと這い寄っていた。


 亀の様な、余りにも間抜けな姿が可笑しくてしょうがない!

 日常で恵まれている分、昔私がどれだけ辛い思いをしてきたか、その一片だけでも味わって見ればいいんだ。

 抑えきれない笑い声を溢しながら、お兄ちゃんの醜態を眺めていた私は、嘲笑う事に夢中になり過ぎて自身に近づく存在に気がつけなかった。


「……ひっ!?!?」


ガシリ、と。


「何か」に手や足、顎や頭を掴まれる。

慌てて動かせる範囲で、周りや背後を見るが、何も見えなかった。

 いや、そんなハズはない。

 だってこの目は、健康な人間から取ったものだ。

 見えないなんて、そんな事、あるはずがないのに……!!


「い、痛いっ!!痛いよぉっ!!なに、なにがおこってるのっ!?」


 ギシギシと軋む音が鳴りそうな程、手の様な物に強い力で掴まれて、あまりの痛みに悲鳴を上げる。

 素肌に触れている面は、ベタベタとした感触がして気持ちが悪い。


『やっぱり。元々柊さんの目玉だから僕の事は視えていないんだね。莉玖くんの推理力も中々……感心感心。』


 背後から聞こえる人の声を何重にも重ねたような不気味な声は、そう呟く様に言うと何の遠慮も無く私の右目に指を添えて。


 眼孔に思いっ切り突き立て、抉った。


「痛いっ!!いたいっ!いたいっ!!やめてぇっ!!ひっぱらないで!!!」


ぶちぶちぶちっ!!


 視神経が引き摺りだされ、肉が千切れる音がした。

 私の着物に、彼に、涙や血肉が混じった物が降り注ぎ、汚してゆく。


「ぁ……ぁあ……あああああああっ!!」


『あらら、随分としっかり癒着していたみたいだ。此れは取り出すの面倒くさそうだなぁ。』


……なんで?

何でこんな酷い事をするの?


「私の目、わたしの目が!!!」


いやだ、返して。


やっと目が見えるようになったのに。


やっと虐められる理由が無くなったのに。


……やっと「普通」の人間になれたのに。


何で。


「…………今の私には目が有るのに!!!もう、虐められる理由も無いのに!!目が見えない奴じゃなくて、なんで、また私を虐めるのっ!!!」


 私の悲痛な叫びを、奴は簡単に切り捨てた。


『はぁ?それ、君の目じゃないだろ?人の物を盗ったんだから、やり返されても仕方ないんじゃない?』


 君がかつて村の人間にした様に、ね。


 そう言って容赦なく引っ張り続け、プチンッと何かを切った。


 痛い。

 抉られてポッカリと空いた右眼孔から、液体が絶え間なく溢れる。

それが血なのか、涙なのか、もう分からなかった。

 痛みで朦朧とする意識と半分だけの視界の中、また背後の手が私の顔に触れてくる。


『さぁ、次は左眼をやろうか。』


 この状況に見合わない、愉悦を含んだ楽しげな声が、私を底の見えない絶望へと叩き落としていった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー


『莉玖くん、終わったよ。』


 金切声に近い悲鳴を最後に、騒がしく悲痛なやり取りが聞こえなくなった後。


 急に視界が開けて、赤黒い液体に全身を濡らした新谷先輩が公園に似た場所に立っているのが見えた。

 他には誰もいない。俺の目が見えると言う事は窪女童を無事に退治出来たのだろうか?


「お疲れ様。怪我とかしてない?大丈夫?」


『服が汚れた以外は大丈夫。良い作戦だったね。』


「えへへ、新谷先輩が協力してくれたから上手くいったんだよ!!……あ、ごめんちょっとだけ時間頂戴!!」


 公園をキョロキョロと見渡すと、近くの滑り台に「彼女」は居た。


「柊さん。」


 膝を抱えて震えていた彼女は、恐る恐る顔を上げる。

 その目は窪み、涙は出ていない。


「あ、ありす、がわ……くん?」


「ずっと一人で抱えて怖かったよね。俺と羊山さんに相談してくれて有難う。……もう、大丈夫だからね。」


 声で分かったのだろう、少しだけ安堵の表情を見せる彼女になるべく優しく声をかけ、新谷先輩に目配せする。


『はいはい。んじゃあ、目を元に戻すね。』


 ピクピクと筋肉が脈動する眼球を取り出し、柊さんに近づく。


 ぐちゃぐちゃと嫌な音がひっきりなしにするが、新谷先輩なら大丈夫だと信じたい。

それでも、始終俺は目を逸らし続けた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー


 ぷすぅー、ぷすぅー、と間抜けな音で目を覚ます。


 眩い朝日に目をしょぼしょぼさせながら音の発生源に目を向けると、霧呼が鼻ちょうちんを膨らましながらヘソを天井に向けて幸せそうに寝ていた。


 いつもなら愛おしく可愛らしいその姿も、夢の中で苦労してきたからか、ちょっとだけ妬ましい。


『莉玖くんを起こすためにワザワザ出したのに、いつまで寝てるんだい?』


 若干苛立った声で新谷先輩が霧呼の鼻ちょうちんを指で破裂させると「キャンッ!」と驚きで飛び上がった。


……実に平和な朝だ。


「そうだ、柊さん!!柊さんは大丈夫なの!?」


『あぁ……多分ね。なんなら今から確認する?』


 確認?疑問に思って新谷先輩の顔を覗き込むと、彼は柔かに応えた。


『窪女童を取り込んで【任意の相手の視界を盗み見る】能力を得たんだ。

【回顧の牢獄】と違って、人間相手限定で15秒位しか使えないけど。』


 へぇ、怪異相手だと役に立たなそうだけど面白い能力だ。

 能力を試すのも兼ねて新谷先輩に掛けてもらう事になり目を瞑る。

 すると、徐々に瞼の奥から光が見え、見覚えのある柊さんの部屋が見えてきた。


「あ、ちゃんと見えてる!!良かったぁ治って……、え、ちょっ!?ぶはぁ!?!?」


 バターンッ!!!!


 今の時間が朝だという事をすっかり失念していた俺は、突如視界に入って刺激的な光景に鼻血を噴き出し、ベッドに倒れ込んでしまった。


「きゃうんっ!?!?キャー!!!」


 いきなり鼻血を噴き出した主人に驚いた霧呼が、ペロペロと心配そうに顔を舐めてくる感触がする。


 その傍らで、新谷先輩の愉快そうな笑い声が聞こえた。

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