第5話 陽月の術者たち
午後の授業が始まったはずの校舎、静まり返った学校。
走っている最中に聞いたチャイムの音を最後に、周囲の雑音は消え失せている。追ってくる者の足音すらしない状況に、焦りが募る。
いくつものアルミ製の屋根と自転車が複数並んだ駐輪場の隅で、わたくしと手を引いてきた少年そして村雲は黙ったまま座り込んでいた。
本来なら、こんなところで止まっている場合ではない。
露払から護衛するよう言われた男子生徒らしき者を連れて、さっさと移動したほうがいい。
高校生たちがすぐに帰宅できるよう、駐輪場にも裏門は設置されていた。そこから逃げて、この依頼の主である男の元に戻るだけ、なのだが。
見られている。
おそらく、上位の妖に。
学校の敷地に入って締結師の少女たちと接敵し、彼女たちを出し抜き離れるまでこの視線は無かった。けれど少年を連れて外へと出ようとした途端、監視されているという圧を感じたのだ。
一番近寄りたくないと思ったのは、一番近いはずの駐輪場にある裏門。
ここを通るのはまずい。
ならば、わかりやすい脅威を排除してから逃走したほうがいい。
誘導されているとわかっていても、そうするしかない。せっかく目的の人物らしき少年を手に入れ姿を眩ませたのに、わたくしはまたあの少女たちの前に姿を現そうとしている。
「すみませんが、しばらくここで静かにしていてください」
不安そうな同年代の少年へ、できるだけ落ち着いた態度でお願いする。
「その、なんですかこれ? オレ殺されます? 死にます? あとなんでこの狐喋るんすか」
「わたくしは殺すつもりもなければ、死なすつもりもありません。ですからどうか、騒がないで」
空気を読んで小声で聞いてきた彼に、同じように小声で返した。
「喋る狐についてですが、今は些細な問題ですわ」
「……確かに!」
頭で処理することが多すぎるのか、理解しきっていない表情で少年は激しく頷く。
座ったままの彼を置いて、わたくしはその場で立ち上がった。
想定していたより村雲の幻術は持たなかった。ならば、あの2人はもうすぐそこまで迫っているはずだ。
「不審者ちゃーん。どっか隠れとるんやろ? 無駄やで」
無邪気な子どもっぽい声に、いささか怖さを感じた。
階段でにらみ合った月牙と名乗る少女だ。
「村雲、わたくしが隙を作ります。今の声の主の動きを封じていただけますか。その……怪我をさせないように」
「了解でありまする」
校舎を出る寸前に見た月牙は何らかの身体強化を会得していた。となると、そこまで体術を得意としないわたくしが勝てる可能性は低い。
先程も、陽炎と呼ばれていたスーツ姿の女性の方が少年を連れ月牙を残して逃げた。つまり年若い彼女が、荒事担当なのだ。
ならばわたくしがおさえるべきなのは、陽炎の方。
2人をなんとか行動不能にし、どこかから見ている上位の妖を引きずり出す。おそらく村雲の幻術を破ったのもこの妖だ。
村雲はわたくしの式神というわけではないが、こういった状況下で呼吸を合わせるのは、わりと慣れていた。サボりがちな彼の主の性格もあり、一緒に仕事をこなすことが多かったせいだ。
視線を合わせ、村雲とタイミングを計る。
一呼吸置いて、わたくしたちは同時に飛び出した。
「あは、やっぱおった!」
校舎から駐輪場へ続く道のど真ん中で、セーラー服の少女が仁王立ちしている。腕を組み、余裕たっぷりといった態度の月牙だ。その少し後ろには陽炎もいる。
彼女たちの位置を確認して、わたくしはすぐさま後ろへ下がった。飛び出したばかりの駐輪スペースへと再び隠れる。
「ん、なんや逃げるんか?」
目の前へ登場したのに、急いで後ろに引っ込んだわたくしを訝しむ少女。意図を探るか、構わず追うかで彼女たちは迷うはず。そんな月牙の動揺へさらに追撃を喰らわす。
わたくしが白衣の袂から取り出し投げたのは、2枚の紙できた
紙ではありえない動きで飛ぶそれは、破邪師が扱う人工の式神だ。人形は地面に投げつけられる直前、形を『櫛笥みこと』に変化させバラバラに走っていく。
「は!?」
月牙の、意表を突かれた反応。
どうせすぐに本物ではないと見破られてしまうだろうが、隙ができればそれでいい。
1人は月牙へ、1人は月牙よりも右に向かって。それぞれの方向に『櫛笥みこと』そっくりの式神は走っていく。
アルミ製の屋根と薄い壁に囲われた駐輪スペースには何台も生徒たちの自転車が並んでおり、隠れてしまえば反対側にいる人物はこちらを見ることができない。一度視界から月牙を消したわたくしは、左へ駆けていた。回り込んで彼女たちを確保するためだ。
突然現れたわたくしを真似た式神に2人は戸惑うはず。村雲が月牙を止め、わたくしが陽炎を止める。特に複雑でもない、単純な作戦だ。
初め顔を覗かせた場所とは反対側から飛び出せば、月牙は地面へと伏しその上に村雲がちょこんと乗っていた。わたくしの式神に驚いた月牙に、予定通り飛び掛かって動きを押さえてくれたようだ。
「ちょ、と、重っ!」
アスファルトの道に必死に手をつき、何とか起き上がろうとセーラー服の少女は苦心している。村雲の体重ではなく妖力によっての圧迫は、逃れるのが難しいだろう。急に現れた妖狐に同じように驚いたのか、陽炎はその場で立ち竦んでいた。幸運なことに、右へと走って行ったわたくしの式神に目線は行っており、彼女はこちらを見ていない。
駆け寄る、身体の体重を使って相手の体勢を崩す、押さえ込む、式神で拘束する。
この先の行動を心の中で繰り返し、陽炎の動きを封じるために手を伸ばす。
――もう少し、というところだった。
持ち上げた緋袴の足に、黒い影が差す。
わたくしの頭上に、誰かいる。
後方へ体勢を捻ったのは、咄嗟の判断だった。両腕を額の辺りで交差させ、上からの攻撃に備える。その数秒の間に見えたのは、後ろしかも上空から蹴ろうとする誰かの足だった。
「くっ!」
破邪師の装束のおかげで衝撃が緩和される。倒れないように足に力を入れながら、わたくしはその場で突然の蹴りに耐えた。襲って来た狼藉者は、わたくしの背後に着地したらしい。慌てて振り返ろうとして、横目で月牙を押さえていた村雲が襲われているのを目撃してしまう。
鳥の妖、――鳶だろうか。猛禽類に似た妖の爪を、村雲は妖気で跳ね返す。その隙を月牙は見逃してくれなかった。仔狐の下から抜け出し、わたくしたちが隠れていた駐輪スペースへと信じられない速さで走ってゆく。
「
「りょうかい! あと月華ちゃん、はやめてな!」
わたくしに蹴りを入れ真後ろに飛び降りたのは、まさかの陽炎だった。彼女は素早く月牙に指示を出しながら、村雲目掛けて走っていく。まさかそちらとやりあう気なのかと驚きながら、数メートル離れた村雲へとわたくしも走った。怪我をさせるな、という指示がある以上、彼はそこまで本気が出せない。
だが、構える村雲と駆けだしたわたくしの予想を陽炎は裏切った。彼女は左手を天へと向かってまっすぐ伸ばす。それを掴んだのは、村雲に攻撃をはじかれ空へと逃れた鳶の妖だった。あっさりと陽炎を上空へと連れ去ってしまう。
「……はあ。やられましたわ」
彼女と妖が飛び去った方向には、駐輪場の屋根を跳躍する月牙の姿があった。その腕には誰かが抱きかかえられている。おそらく、わたくしの護衛対象である少年だ。
「すみませぬ、みことさま。逃がしてしまいました」
「いいえ、わたくしこそもう1人を押さえきれず、申し訳ありません。あなたの元へ行かせてしまいました」
村雲と共に小さくなる人影を見送る。
人相手、そして術者相手の戦闘を侮っていた。色々と制約はあったものの、もう少し上手くやれたのではないか、という後悔は拭えない。
時間切れでただの人形に戻ってしまった式神を回収する。その際、わたくしの物ではない、別の人形の紙を拾った。おそらく陽炎のものだ。
わたくしは駐輪場から飛び出した際、月牙とその後ろにいた陽炎の存在を確認してすぐに後ろに下がった。きちんと見ていたようで、声を上げ前にいた月牙にわたくしの意識は集中していた。
――だから、月牙の背後に立っていた陽炎が、人工の式神であることに気が付かなかった。
どの段階からかはわからないが、陽炎は駐輪場の屋根辺りで待機していたに違いない。式神に自分の代わりをさせ、わたくしが偽物に攻撃を仕掛ける時を狙って後ろから襲撃する。あの鳶の妖がいれば、上空からの蹴りは容易いだろう。
そして主を降ろした後の鳶の妖が村雲の体勢を崩し、月牙が脱出。そのまま2人で目的の人物を強奪し、去ってしまった。
「片方は式神でしたか」
村雲の尻尾は垂れ下がり、耳はへにゃんと下を向いている。
明らかにこちらを見張っている上位の妖の存在に、月牙の対処に、力の加減に、わたくしの存在に、と彼は意識するべき対象が多く、短時間で気が付けなかったのだろう。再び謝ろうとした村雲を遮るように、わたくしは小さく首を振って制した。付き合わせて難解なお願いをしているのはわたくしだ。彼には何の非もない。
だが、陽炎が偽物だと見破れず任務を失敗してしまった自身に対しては、ため息もつきたくなる。
「みことさま、どういたしましょう。追いまするか?」
「いえ、露払さんに言われた通り、一度戻りましょう。失敗ですし」
依頼主からは、だめだったら無理せず戻って来いと言われている。
「ところで村雲。先ほどの2人組が去った方向ですが、覚えがありませんか?」
「……ありまする」
「ですわよね」
いつのまにか、監視されているような圧は無くなっていた。
不自然なほどの静寂は消え、校舎や運動場からも授業中らしき声が聞こえてくる。
露払の思惑と、締結師の2人組のやりとりを思い返す。
――一体どういうつもりなのか。
わたくしは今後の生活の困難を想像し、一悶着あった高校を後にした。
◆ ◆ ◆ ◆
櫛笥みことが初任務を失敗し、退去する締結師たちを見送る少し前。
音無、と呼ばれる少年が連れ出された教室で、残された生徒たちは一様に戸惑いどうしたらよいか顔を見合わせていた。
普段通り昼休みが終わり、授業が始まるかと思ったら、見知らぬ美少女たちにクラスメイトの1人が連れ去られたのだ。
そして、チャイムも鳴りそうだというのに、時間に厳しいはずの午後の教科担任もまだ来ない。
「あー、やっぱスマホ学校に忘れてたのか」
違和感という名の空気で膠着しきったクラスに響いたのは、案外のんびりした声だった。
掃除用具入れが設置された教室後ろ近くのドアから、誰かがするりと入ってくる。息を呑むクラスメイト達を気にした様子もなく、その人物は机に置かれた携帯端末を手に取った。
「え、……お、音無?」
「うん?」
そう、教室へごく自然に入って来たのは――音無少年である。
彼へと声をかけた男子生徒は、そのまま疑問をぶつけた。
「お前、今、お姉さんたちとどっか行かなかった?」
「はあ? オレ今学校来たとこだけど?」
不思議そうに、彼は椅子を引いて席へと着く。
「朝すっげえ頭痛くてさ、起きるのしんどかったけど、ましになったから来た」
「いや、でも……」
「体調悪いから遅れるってお前らにも連絡入れとこうと思ったけど、スマホなかったし」
音無はすらすらと遅れてきた理由を説明してく。ここにいる生徒たちが抱える気持ち悪さに、彼は気が付くことは無かった。
「じゃあ、さっきの音無は誰だよ」
クラスメイトの1人が呟く、至極当然の問い。
それは音無以外の生徒たち全員の、心の声だった。
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