第4話 疾風迅雷跳梁刺突の月牙様

「うちは、月牙。あの有名な――疾風迅雷跳梁刺突の『月牙』様や!」


 自信たっぷりに名乗られて対応が少し遅れた。

 聞き覚えのある四字熟語と、聞き覚えのない四字熟語を並べられて混乱する。


「……申し訳ございません。疾風迅雷、ち、跳梁、刺突? の月牙さんについて存じ上げておらず――」

「ええってええって。今日覚えて帰ればええし」


 にかっと笑いかけられてしまった。

 敵対的な割に友好的というよくわからない彼女に困惑しつつも辺りを探れば、すでに他の2人の姿は消えていた。おそらく3階ではなく同じ階の校舎の反対側へ逃げたのだろう。階段ならここでなくとも、逆の場所にもある。


「では、月牙さん。そこを通していただけますか」

「お断りやなあ、不審者ちゃん。悪いけど帰ってくれる?」

「お断りですわね」

「お互いさまやなあ」


 言葉を交わしながらも、何とか隙を突こうとにらみ合う。ここで出会ってしまった以上仕方ないが、後ろも前も階段というのは動きにくい。僅かな踊り場のスペースで取っ組み合いなど危ないし、したくない。


 露払には怪我をさせないように、と言われている。

 一般人ではなく締結師だとわかっていても、相手は年下の少女だ。安全にどう抑え込むべきか、なかなか難しい問題だった。

 では、どうするのか。


 ここはいったん引くしかない。


 月牙の右横をすり抜けようと前へ踏み込むふりをして、わたくしは踵を返し階段を駆け下りた。


「あッ……!!」


 上ろうとする動きに勘違いして、彼女は阻もうと反射的に行動した身体を停止させる。それが時間稼ぎになった。

 緋袴を軽く持ち上げ、数段飛ばしに階段を蹴る。最後の5段ぐらいは勢いよく飛び下りた。


 そこそこの衝撃を着地した右足で感じながら、無事に1階へと戻ってくる。

 あとはもう、廊下を走って校舎端へ急ぐだけだ。


『村雲!』


 力を込めて、頼みの妖へ呼びかける。

 事前の打ち合わせと場所は変わってしまったが、そのまま同じ作戦は続けてくれたはずだ。こちらから合図があれば、彼はわたくしの居場所を察してくれる。


 1階の窓と特別教室をいくつも横切る。人がいるはずの昼過ぎの校舎なのに不自然なほど静かで、わたくしの呼吸だけがやけに大きく聞こえた。

 その時、後ろで誰かの声と騒がしい足音がする。追って来た音の主はおそらく先ほどの少女。けれど今は無視する。


 そこまで長くない廊下は、走ればすぐに端へと到着した。


「え、なんで? オレだけ?」


 もう一つの階段下では、混乱しきった男子生徒がきょろきょろと辺りを見渡していた。予想通り彼しかいない。


「こちらですわ!」


 迷わず手を引いてそのままの屋外へと走り出る。


「説明は後で致します……っとにかく付いて来てください!」


 今飛び出したのは駐輪場へ通じる校舎の出入口だ。そこがちょうど逃げやすい場所にあることに感謝しながら、自販機やベンチがいくつも並んだ場所を必死で駆けた。繋いだ手の先で、男子生徒が何か喚いているが拒否はせず一緒に走ってくれている。

 まずは距離を取って姿を隠す。

 息を荒げながら、駐輪場の屋根が密集している所を目指した。


「みことさま!」


 後ろから走って来た村雲が、わたくしの足元に追いつく。


「幻術が破られました! かなり上位の妖がついておりまする!」

「簡単にはいきませんわね。わたくしへの誤魔化しはやめて、余力を残しておいてください!」

「了解でありまする!」


 どこで追いつかれるかわからない。

 裏口から学校を出るか、ひとまず身を潜めるか。それは、隠れられる場所があるかどうかにもよる。

 周囲を警戒しながら、わたくしたちは生徒がいない敷地を走り続けた。





 ◆ ◆ ◆ ◆





「……しくった!」


 ツインテールにセーラー服姿、みことに『月牙』と名乗った人物は、非常に焦った表情をしていた。


 数秒動きを止めた後、すぐに後を追おうとし――月牙はそれをやめた。


 相手はどう見ても何らかの術者だった。だが、相手の情報がなさすぎる。ならば、少しでも上回られる可能性のある身体面よりも、こちらの得意な部分で勝負するべきだ。

 狭い踊り場に立ったまま、月牙は額に人差し指と中指を当て、ぶつぶつと呟く。

 普段通りなら何らかの返答があるはずだった。


 しかし数秒待っても辺りに変化はない。


「……あかん、けえへん」


 月牙は異常に気が付き、急いで不審者の少女を追い始める。

 去ってしまった術者の直前の動きを真似るように、数段飛ばしで階段を駆け下りた。

 その最中、セーラー服の中のシャツ辺り――ちょうど鎖骨と鎖骨の間の部分を触って、何かを確認する。


句珠くしゅは……うん、いける。おる」


 1階にたどり着き、足音のする方へと走り出す。


「絶対に逃がさへん!」


 茶に近い月牙の瞳は、明るい黄へと変化しぼんやりと輝く。

 直後、月牙の速度が増した。

 床を蹴る一歩で、窓ガラス数枚分の距離を一気に詰める。続いてもう一歩。人ならざる跳躍で、巫女服不審者の後姿を追いかけた。この動きならば、先に駆けだした少女にもあっさりと追いつけるはず、だった。


「は!?」


 脚の筋肉に無理な運動を強要させ、何度も前進しようと足を動かす。

 それに合わせていくつもの特別教室の扉たちが、視界を素早く流れていく。


 月牙は間違いなく動いていた。身体だって走っているし、それに合わせて景色だって変化している。けれど、巫女服の術者はどんどんと遠ざかり、しまいには誰かの手を引いて校舎を出ようとしている。


「ま、待てや! ちょっ!!」


 走っても走っても廊下は続き、無駄に体力は尽きていく。

 おかしい。何らかの妨害をされている。


「く、……っ!」


 指示を出す前に、月牙の想いをくみ取った何者かがそれに応えた。

 柔らかく温かな力が眼の辺りに集中し、ようやくこの状況を理解する。


「……幻術か」


 気が付けば、不審者巫女が逃げて行った方角ではなく、その反対側へと走っていた。

 しかも同じ場所で。ただ足を動かしていただけ。

 下りてきて背にしたはずの階段が何故か眼前にあることを認識し、ようやく偽の走り去る少女の影が消える。


 騙されたという悔しさに時間を浪費している暇など無く、月牙は今度こそ本当に不審者を追い始めた。

 月牙がちょうど廊下の端の階段にたどり着き、そのまま校舎から出ようとした時。

 別れたはずの仲間と出くわした。


「ごめんなさい……! 逃がしました」


 謝罪するスーツ姿の女性――陽炎と共に月牙は外に走りだす。


「方向は?」

「大丈夫です、上を!」


 見上げれば、大きな鳥のような妖が円を描く様に滑空していた。

 陽炎の式神だ。

 鳶に似た式神は月牙たちの姿を確認すると、案内するように駐輪場の方へと飛んでいく。目的の人物を見失っていないことに少し安心し、月牙は足の強化を解いた。今は隣にいる陽炎と足並を揃え話したいことがある。


「陽炎ちゃんも、幻術に?」

「うん。急いで廊下の反対側から階段を下りて、外に出るつもりだったんですけど……階段がやけに長くて、振り向いたら手を引いてたはずの音無くんがいなくなってて」

 走っているせいか出し抜かれたせいか、状況を語る陽炎は苦し気だった。


 月牙だけではなく、陽炎も偽の学校を走らされていた。

 しかも陽炎の場合は、手をつないでいた少年の感覚をしばらく残したまま、少年だけ現実世界へと切り離しそのまま階段を下りさせている。器用なことだ。

 空間を勘違いさせるという効果は同じだが、別の場所にいる2人に同時に幻術をかけていたという相手の実力に舌を巻く。正直並みの術師が走りながらやれることではない。ならば、あの少女以外にも敵がいる可能性が高い。


 問題点はまだあった。


「呼びかけても、ベニヒとキミドリしか返事くれなくて。キミドリがいなかったらたぶん幻術解除できなかったと思う」

「そっちもか。うちは句珠しかあかんかった」


 契約している妖が来ない。


 月牙は常に傍にいる句珠だけ、陽炎はベニヒとキミドリだけという状態だ。

 どう考えても、おかしい。


「キミドリは、今どないしてる? なんか言うてた?」

「引き続き人避けと防音の結界を張ってもらってます。……なんか、恐ろしいって」

「恐ろしい?」

「すっごく嫌な感じがするから、気を付けてって」

「そこまでなんか」


 陽炎の式神キミドリからの忠告に、思わず月牙は眉をひそめる。

 高校の教室から男子生徒を連れ出す、という簡単な任務。それが何故こんなことになったのかわからない。


 だが――。


「でも絶対逃がさへんし」

「そうですね……まだ終わってませんから」


 月牙は口角を上げ、陽炎は口角を下げる。

 破邪師ではなく、締結師の2人は諦めることなく駐輪場へと走って行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る