第89話閑話 葵の上side

不思議だわ。

懐妊したと聞いた時は不安ばかりだったというのに、殿の嬉しそうなお顔や、私を世話する行動を見ていると不安よりも喜びの方が勝ってくる。



「奥方様、もう少しでございます!」


母上からも出産は苦しいばかりだと聞いていたのに……変だわ。ちっとも苦しくない。隣で殿がいらっしゃるからかしら?

両親は仲睦まじい夫婦で、父上は皇女である母上をそれは大切にしていらっしゃる。けれど、出産には立ち会わなかったそうで、殿のように甲斐甲斐しく世話をする事もなかったと聞いた時は意外に思うほどでした。

義姉上は「光は変わっているから。血は繋がらないけど父上右大臣と同じタイプかもしれないわね。きっと子煩悩になるから気を付けなさい。鬱陶しくなった何時でも我が家に逃げ込んでくるといいわ」と仰っていました。


殿……源氏の君と結婚して屋敷全体が明るくなった気がします。張り詰めていた糸が切れて、皆に心の余裕が芽生えたとでもいうのでしょうか?

左大臣家の総領姫として生まれ、東宮妃にと望まれてきました。将来の中宮、国母にと。誰よりも気高くあるようにと育てられてきました。女房達も当然、私が東宮妃になるものだとばかり思っていた事でしょう。夫になるのが臣下に降った皇子とは夢にも思わなかったに違いありません。

しかも、夫となる源氏の君は四歳も年下というではありませんか。

屋敷の者達の落胆と同情は結婚当日まで続いた程です。

初めて我が家に訪れた源氏の君の美しさを見るまでは誰もが「不幸な結婚」と考えておりました。


この世の者とは思えない美貌の若君。


美しく微笑まれる姿に、何も言えませんでした。求婚の文を貰う事はあれど、恋の語らいなどしたことがない私に、どこまでも素直に真っ直ぐな言葉を紡いでくるのです。男君がいる女房達も「あそこまで真摯に愛を伝える殿方は珍しいです」と言う程です。


私は何時もどうやって上手に答えたらいいのか分からないず口ごもってしまいます。

こんなことは誰も教えてはくださらなかったから。

気の利いた返事も出来ず、思ってもいない素っ気ない言葉を発してしまっても、殿は私に対する態度を変える事はありませんでした。政略結婚の相手でしかない私をとても愛してくださる。


 

「お生まれになりました!姫君でごさいます!!」




生まれたのは姫君。

私は愛する光の君に男児の世継ぎを産んで差し上げられなかった。

父上も落胆なさって御出ででした。

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