電波と不思議ちゃんの2008年・上海
threehyphens
第1話 電波青年の引きこもり先
普段の僕は、生まれ育った地方都市を離れて、べらぼうに気難しい祖父母と一緒に都内で暮らしている。
大学は一応ギリギリ名門校と言われている場所だった。
けれど、なまじそこの文学部にだけ受かってしまったものだから、
「何で男が文学部なんかに!」
……と、親戚中から大目玉をくらっている。
それに加えて、僕の顔がいかにも甲斐性のなさそうな雰囲気を出してしまっているせいで、僕が将来ニートかヒモになるのではないかと親戚たちは不安がっている。
だから、年末年始の集まりで顔を合わせるたびに「せめて路ナンで人間性を鍛えろ! 俺と同じナンパ教室に入信しろ!」だの「塾でバイト? もっと頭がおかしい上司からクリスタルの灰皿を投げつけられるようなバイトをしろッ」だのといった暴言を浴びせかけられることもしょっちゅうだった。
もちろん、僕はそんな怖そうなことをやったりはしない。
普段の僕は、毎日バイトに行って、祖父母との同居の時間を少しでも短くしながら飛行機代を稼ぎ、長期休暇には必ず上海に行くことにしていた。
上海には父親が単身赴任で住んでいる。
彼は昼も夜も仕事に出ているものだから、上海のマンションでは好きなだけ引きこもることが出来るのだ。
そこで何をするかと言うと、絵を描くのである。
ひたすら描く。描き続ける。
日本の家じゃあ厳格な祖父母の目があって絶対に出来ないことだけど、上海のマンションではそれが許されていた。
「島勇作の中国編にも出てきた日本人向け高級マンションなんだろ? 探検しまくればいいのに……」と、僕の話を聞いた友人たちは言っている。
「上海って、確か今万博前で沸き返ってるんだろ? もっと外に出て、上海という街をを楽しめよ」とも。
父親に至っては「……一緒に豪遊するか?」と、気遣わしげに誘ってくれる。
誰も気にしてくれなくてもいいのに、と、僕はいつも思っている。
「部屋に閉じこもって絵を描くこと」がこの世で一番楽しいと思っているんだから、僕のことは放っておいてほしいのに。
―――ごうっと乾いた夏の風が、顔と髪に叩きつけられる。
黄色い大地に降り立って、僕は淡水色の空を見上げた。
夏の上海。
だだっぴろい黄色の大地の上にそびえ立つ、巨大な国際空港。
毎年お世話になっているから、もう道に迷うこともない。
僕の周囲を飛び交っているのは異国語だ。英語に中国語、韓国語。よくわからない言語も多い。
空港の壁面に目を向ければ、その壁からは沢山の道路が生えていて、まるでSF映画の宇宙空港みたいに、道路がいくつも空中で入り組んでいるのが見えた。
タクシー乗り場でタクシーを拾って、僕は行き先が書かれた紙を運転手に渡す。
「***中国語***」
運転手が何か言っているが、まるで聞き取れない。
中国語がわからないので、僕はとにかく頷いて、「行ってくれ」とジェスチャーした。
何度も上海に来ているくせに、いまだに中国語が良く分からない。
地図と行き先が書かれた紙とジェスチャーだけで、今までどうにか乗り切っていた。
「***中国語***」
「***中国語***」
「***……中国語***」
「***……。……中国語(ため息)***」
僕とコミュニケーションをとることをあきらめたのか、運転手が大げさにため息をつく。
そのまま走って、一時間。
黄色い草と低木しかなかった乾いた世界が、ビルでひしめく都会へと変わっていく。
中国語の広告看板、ビルとビルの間に取り残されている、まるでおもちゃみたいな旧民家。
ボロビルには赤文字の横断幕が張られていることが多い。万博歓迎……ではなく、おそらくビルの取り壊しに反対する声だ。
そんな反対活動もむなしく、今にも壊されそうな……いや、既に壊されている家々も見えた。
スモッグのせいで曇っていることが多い空は、珍しく今日は晴れわたっていた。
「***中国語***」
運転手が振り返って何か言っている。
どうも「ここでいいか?」と言っているみたいだった。
僕は頷いて、タクシーを降りた。
目の前には巨大なマンションが建っている。
豪勢な玄関、獅子の像……大理石でできた広いロビーは、天井が阿呆みたいに高い。
受付にはスーツ姿の若い中国人の男女がいて、僕を見るとお辞儀をしてくれた。
彼らはまるで一流のホテルマンのように日々の生活をサポートしてくれるらしいのだが、僕は彼らと交流したことがないのでよくわからない。
東棟へと続く道を歩き、エレベーターに乗って最上階のボタンを押す。
――――
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