第1章 1-1 家族みんなで食べる幸せな【アップルパイ】
「皮を剥いたリンゴ2つとメシュメルの実、あとは小麦粉を入れて…おいしくなるように願いを込めて【ミール液】をひと匙いれて〜。」
始めは力一杯ぐるぐると。
素材がまとまってきたらザックリと捏ねないように混ぜる。
自分の身長ほどの釜での作業はなかなかの重労働だ。
踏み台に乗って窯を覗き込むようにかき混ぜるうちに、勢い余って落ちてしまわないかと、たまにヒヤリとすることもある。
次第に素材がひとつの塊になって、甘いリンゴの香りが家中にたちこめる。
第二工程に移行するため、【火薬草の結晶】を1かけら加えたところでミミリは漸く踏み台から降り、ダイニングテーブルに白のとり皿と銀のフォークを3セット用意した。
人里離れた丘の上の家で、【アップルパイ】の錬成に勤しむ少女。
見習い錬金術士、ミミリ。
ウェーブがかったピンク色の髪に透き通るような白い肌。
若草色のボウタイ付きワンピースの裾のプリーツは、ミミリの動きに合わせてフワリと揺れる。
筋の通った鼻に大きな目。
晴れた空色の瞳が映す物は、木製の玄関のドア。
ミミリはアイテム採集に出かけた家族の帰りを首を長くして待っている。
…コンコンコン。
待ちに待った帰宅の合図。
木製の玄関のドアがキィーッと音をたてて開いた。
「ただいま!リンゴの甘い香りが外まで漂ってきたから急いで戻ってきたのよ。早くミミリの美味しい【アップルパイ】が食べたくて。」
カゴいっぱいのミール草を携えた小さな小さな少女は、黒色の手袋をカゴにしまい、足元まで隠れるほどの長さの、深い葉っぱ色のローブを脱いで壁に掛けた。
ローブの下には、水色のワンピース。
ワンピースの袖から出るのは、灰色の手。
短い手で麦わら帽子をよいしょっと脱ぐと、長い耳がピョン!と姿を現した。
「おかえりなさい、うさみ。今ちょうど焼き始めたところなの。今日もたくさん採集作業お疲れ様。汚れが気になるでしょ?クリーンルームに行ってきて。」
ミミリの申し出に、麦わら帽子を壁に掛けながら、うさみは鼻をひくひくさせる。
「ありがとう。そうさせてもらうわ。ローブを着ていても、毛と毛の間に土埃が入り込むから、ゾワゾワーッとして嫌なのよ〜。」
うさみは、灰色の耳を両手で挟んで整えながら、水色のワンピースから覗かせた白いしっぽをふわふわと震わせて、まんまるの黒いビー玉でミミリを見上げた。
ミミリの可愛い小さな家族。
ミミリが産まれた時から一緒に暮らしている、ミミリの大事なうさぎのぬいぐるみだ。
「ミミリの美味しい【アップルパイ】、楽しみにしてるわねん♡」
と言って、うさみは奥のクリーンルームへ向かって行った。
「待ってる間に、うさみが採ってきてくれたミール草を見させてもらおうかな。」
採集慣れしているうさみは、採ったミール草を帰宅前に川で洗って泥を落としてくれている。
どのミール草もミミリの手の平からはみ出さんばかりの大きさに育った良質のもの。しかも、青々としていて生きのいいミール草や、つややかなミール草など、質が高い草ばかり。
ミール草の採集は、家の周りの傾斜面で行うことが多いのだが、質についてはピンキリである。
そんな中、よりよい素材を見つけることができるのはうさみの採集スキルならではのもの。
質が高い素材で錬成をすると、質が高い品が出来上がるので、素材の良し悪しは重要なのだ。
「さすがうさみ!こんなにたくさん、嬉しいなぁ。」
ミール草は使用頻度が高いので釜の横で保管する。
ミール草から錬成できる【ミール液】は、錬金術において汎用性が高く、多くの錬金術にて使用することができるので重宝している。
「こんなに渋い緑色しているのに、すり鉢でグリグリすると、青色になるんだよね。ミール草って不思議だよね。」
…トントン!ガチャッ。
「ただいま帰りました。ミミリ、お留守番ありがとうございました。変わったことはありませんでしたか。」
玄関のドアを開けて、食料確保兼モンスター討伐に行っていたもう一人の家族、アルヒが帰ってきた。
陶器のような白い肌に新緑の髪と目。
シルクのようなボブヘアの髪を片耳にかけ、左耳には透き通るようなエメラルド色のイヤリング。
深紺の鞘に収めた白刃の長剣と小さな盾付きの小手を玄関の棚に置いたアルヒは、いつもどおりに今日の成果を報告してくれた。
「今日はピギーウルフを3体討伐してきました。あと、清水の溜まり場に行って、こちらはバケツ5杯分ほど。玄関前に置いてありますので、後ほど収納をお願いします。」
「おかえりなさい。さすがだね、アルヒ。今日もありがとう。おかげで【アップルパイ】の錬成に専念できたよ。もうすぐ焼けるから、一緒に食べよう。」
アルヒから報告を受ける最中も、いつもどおり美しいアルヒについつい見惚れてしまう。
素早いモンスター、ピギーウルフを3体も討伐してきたというのに、髪の乱れも戦闘用衣装の汚れも一切なく、清楚なアルヒそのものだからだ。
「どうしました?ミミリ。あぁ、いけませんね。戦闘用衣装のままでした。失念しておりました。切替えますね。コード選択。衣装交換。室内モードセット。」
アルヒが目を瞑ってコードを唱えると、瞬時に黒い膝丈ワンピースと白いエプロンに着替えが終わる。
頭にはフリル付きの白いカチューシャを着け、左耳のイヤリングは金のフレームがキラリと光り、甘辛コーデのアクセントを効かしている。
アルヒには様々なコードがセットされていて、唱えるだけで衣装を交換することができる。
アルヒの衣装には特殊効果が付与されており、元々優れているアルヒの戦闘能力を増幅させることができるため、近隣のモンスターならなんなく圧倒することができる。
「戦闘用ドレスも可愛いけど、やっぱりこっちも可愛いよ。」
アルヒの胸元にギューッと抱きついて、ミミリはほっこり幸せな気分で満たされた。
ミミリは物心ついた頃から、人に作られた機械人形(オートマタ)のアルヒに育てられている。
両親の顔も名前もわからないままだが、見た目も質感も人間そのもの、感情もあるアルヒはミミリにとって母親のような存在なので、少しも寂しくなかった。
それに、お姉さんのようなうさみもいる。
お姉さんにしては、だいぶ小さいのだけれど。
「あら、ミミリってばそんなに抱きついて。いつまでも甘えん坊なんだから。」
クリーンルームから出てきたうさみは、一段とふわふわになって、真っ黒なビー玉の目がピカピカと輝いていた。
「ふわふわ〜!抱っこさせて!おいでおいで〜!」
ミミリはすかさず屈んで、両手をうさみに向かって広げる。うさみも、「しょうがないわね〜。」と言いつつも満更でもない様子で、灰色の短い両手を精一杯伸ばして、ミミリに抱っこされた。
「あぁ〜可愛い〜!うさみってば、なんっって可愛いの。灰色の毛も内側だけ白い耳もふわっふわのしっぽもぜーんぶ癒される〜!【シャボン石鹸】とおひさまの匂いも好き〜!」
ミミリは思わずうさみに頬ずりして、ふわふわ成分をチャージする。
「可愛いのはわかってるけど、あとは立派な髭があったらね…。ミミリが抱っこする時チクチクしていたーい!とか言って、無情にも私から髭を引っこ抜いたから。」
うさみは頬に手を当て小首を傾げながら、困ったアピールをしてくる。
「むー。何回も言わないで!小さい時のことだから、なんとなくしか覚えてないもん。…たしかに引っこ抜いた記憶はあるけど。」
「うさみ、着席しましょう。釜からいい音がしてきましたから、そろそろ【アップルパイ】が完成する頃合いです。」
「そうね、ミミリ、座らせてくれる?」
アルヒはもう座っていて、ミミリが用意しようと思っていたお茶の用意も済ませていた。
清水が注がれたティーポットの横に、緑の【ミンティーの結晶】を3粒乗せた小皿が用意してある。
釜の中から、パチパチと【火薬草の結晶】が弾ける音がする。
ミミリは、うさみを椅子に座らせた後、釜の前の踏み台をよいしょっと登って、あらかじめ釜の横の棚に用意していたお皿を持った。
そして、釜の上で恭しくお皿を掲げて「錬成完了、回収。」と唱える。
すると、釜の中から焼きたての【アップルパイ】が浮かび上がり、お皿の上へゆっくりと降り立った。
香ばしくも甘い香りが鼻をくすぐる。黄金色のキラキラとしたパイ生地と、しっとりつややかなリンゴが実に美味しそうだ。
【アップルパイ 良質 体力回復(中) 追加効果:疲労回復効果(小)】
「ミミリ特製【アップルパイ】の出来上がり〜!外はサクッと、中はリンゴがジュワッとジューシーだよ!召し上がれっ。」
ミミリも着席し、3人でテーブルを囲んだ。
コップに注がれた清水に、【ミンティーの結晶】をひとつ浮かべて。結晶はすぐに溶けて、清水は透き通った空の色になった。一口飲めば爽やかな香りが口いっぱいに広がり、清涼感が鼻を通り抜ける。甘い【アップルパイ】にぴったりの飲み物だ。
「ミミリの作る料理は本当に美味しいですね。」
「ほんとほんと。私、ミミリの【アップルパイ】が特に好きなの。」
機械人形(オートマタ)とぬいぐるみとはいえ、動力源のため、飲食は人間のようにする。アルヒは人間のように。うさみは、手品のように。
うさみの口の部分に【アップルパイ】を近づけるとシュッと消えて体内に吸収される。口になんでも近づけたら吸収されてしまいそうだが、本人曰く食べようとする意思が重要だそうなので、ミミリがうさみの口元でほおずりをしてもなんの影響もない。
そして、ミミリが錬成で作ったアイテムには様々な効能が付与されるので、恩恵も享受することができる。
今回の【アップルパイ】も、よい素材を基に作っているので、【疲労回復効果(小)】が付与されていた。
錬成技術も繰り返し行えばレベルが上がる。
拙い技術で作るパイよりも、当然ながら高い技術で作ったパイのほうが美味しく仕上がるという仕様だ。
「うさみが食べるところって、何回見ても不思議なんだよねぇ。手品みたいにシュッてなくなるんだもん。」
うさみが食べる姿は、毎日見ても不思議なのだ。
ぬいぐるみのうさみが口を開けて【アップルパイ】を食べていたら、それはそれでホラーなのだけれど。もし口を開けたら見えるのは綿?…考えるはよしておこう。
…それにしても。
「いつも思うんだけど、これだけ家の中にたくさんのぬいぐるみがあるのに、どうしてうさみだけ特別に動けたりするんだろうね。私はうさみが大好きだから、とっても嬉しいんだけど。」
「あら♡嬉しいこと言ってくれちゃって。私もミミリ大好きよん。もちろんアルヒもね。…んー。でもそうねぇ。私も不思議。でもいいんじゃない?女の子は神秘的なほうが魅力的なのよ☆」
うさみは長い耳をパタつかせながら、上目遣いでアピールしてくるので、思わずミミリもアルヒも笑ってしまった。
「今日は錬成に専念させてもらっちゃったけど、明日は私も、採集に行ってもいいかな。しずく草採集に挑戦してしてみたいの。」
「任せなさいっ!ミミリはゆったりさんだから、モンスターが来ても逃げ遅れそうで心配よね?そーこーで!スーパー魔法使いうさみさんがついていってあげる。」
「私も同行いたします。必ず、貴方を守ります。」
小さいうさみが身体全てを使ってお姉さん感をアピールする姿にも、恭しく胸に手を当てて目を閉じ俯き加減で応えるアルヒの姿にも、ミミリは鼻頭がくすぐったくなるような幸せを感じる。
自給自足で慎ましやかでも、家族みんなが揃っていれば質の高い生活が送れる。
ミミリは今日も幸せな一日を過ごした。
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