さよなら青春、またきて青春。

サムライ・ビジョン

第1話 雨宮の中学時代

 夕暮れどきの日曜日。若くも身を粉にする彼は、しばらく外には干していないベッドの上に身をよこす。

その男、雨宮肇あめみやはじめ。高校を卒業して早1年が経とうとしている。


(土日って、こんなに早く終わるんだな…)


 月日の流れるが早いのは、なにも学生時代に限った話ではない。土日の倍以上ある平日をやっと乗り越え、ようやく手に入れた休日もあっという間にすぎてしまう。

 これだけ夕焼けが「やかましい」と、彼は物思いにふけてしまう。…ほら見たことか。彼の繊細さは5年前となんら変わらない。


 5年前の冬。もうじき3年生になる彼は、部活をやめるかやめないかをたったひとりで悩んでいたところである。人付き合いの苦手な彼でも、部活を始めたばかりの頃はよかったのだ。元々、選べる部活の少ない中で、「体力を使わずとも楽しそう」な部活が卓球部くらいしかなかった。初めてづくしの卓球も初歩の初歩では飲み込みが早く、褒めて伸びる雨宮は当時の先輩とも相性がよかった。

 しかし、先輩は次々に卒業していく。来年には最上級生になる雨宮だが、彼は人の上に立つような器ではなかった。練習をするためには、仲の良い人を誘って卓球台を使うのだが、彼には練習に誘えるような間柄の人はいなかった。

 それに加えて、中学生ということもあってか不必要なプライドもあった雨宮。彼が無意識に見下していた同級生もどんどん上達していった。挙げ句のはてには下級生にすら追い抜かれた。


 とうとう3年生になり、嫌気がさした彼は部活をサボるようになった。通学バスで通っていた彼は、バスが来る時間まで校内で時間をつぶすようになった。

 図書室の先生は寛大だった。明らかにサボっている彼を見ても追い返すようなことはしなかった。


 「ライ麦畑でつかまえて」

ある日、彼が手に取ったのは前々から気になっていた文庫本だ。主人公のあまりに自由な行動パターンが、当時の彼の目には新鮮に映ったのだろう。

 その本により、部活をサボることに関しては罪悪感を抱かなくなった。サボる場所も、図書室から別の教室へと移った。

 「なかよし学級」と呼ばれるその教室には、パズルがあり、ジェンガがあり、トランポリンがあり…暇をつぶすには格好の場所だった。廊下を通りすぎる生徒や教師を見かけては窓の下に隠れ、様子を見ては暇つぶしに戻る。そんな毎日だった。


 彼には足が不自由な同級生がいた。不自由といっても車椅子に頼りきりというわけではなく、走ったりなどといった運動にハンデがある程度であったのだが、その同級生も同じ卓球部だった。彼も雨宮同様、部員たちから下に見られていた。

 彼は雨宮と違って、部活に文句は言いつつもサボるようなことはしなかった。彼は何事に対しても、ハンデの有無など関係なくぶつかるような性格だった。少々気性の荒い部分もあったため、彼をこころよく思わない生徒は多かった。


 ある日、いつものように「なかよし学級」でサボっていた雨宮だが、暇つぶしになるアイテムにも限りがある。ひと通り楽しめることは試した雨宮は、まだバスの来る時間ではないが教室を出た。




 「肇くん?」

教室の向こう側…階段のあたりに彼は立っていた。

「そこで、時間つぶしてるの?」

彼は怒ってはいなかった。つい最近まで練習に顔を出していた雨宮がいなくなったのだ。純粋に「ここにいたのか」という安堵だったのかもしれない。


 「うん…バスが来るまで、ここで」

雨宮は気まずかった。ただの部員に見つかったわけではない。ハンデがありつつもひたむきな彼に見つかったのだ。


 「そうなんだ。…ねぇ、部活来ない?」

彼はいつものように、ぎこちない歩き方で近づいてくる。

「みんな待ってるよ。僕たちもう3年生だよ? ちょっとだけでもさ…」


 雨宮は、迷わなかった。

みんなが待ってる、と言われても、味方のいない卓球部に行っても虚しい想いをするだけだ。

3年生だよ、と言われても、それは単なる節目にすぎない。


 「俺、部活やめるかもしれない」

中学3年生の雨宮は、これでも懸命に言葉を選んだつもりだった。

部活に行きたくないとか、部活をやめたいとか。そういった言葉では冷たすぎる。

「かもしれない」というあやふやな表現が、上手いこと作用してくれるはずだった。


 「…そうか。来ないんだね」

彼はとがめなかった。

彼はただ、夕陽と夕闇が混ざりあう廊下を、ぎこちない歩き方で帰っていった。


 あのとき、もっと気の利いた言葉が出ていれば…遠のいていく後ろ姿を引きとめたら…


 雨宮と彼は、卒業するまでまともに言葉を交わさなかった。

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