乙女ゲーの世界に転生したんだけどポジションがどう考えてもおかしい
ししだじょうた
第1話 乙女ゲー世界に転生しました。
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「頭痛ぇ……」
ベッドで目覚めるのと同時に思わずそんな言葉が口から漏れる。
まだ未成年で酒など飲めないから二日酔いではない。
二日酔いのように頭の中から訴えてくるような痛みとは違った痛みだ。
――ん? なんだ?
自分の考えに違和感を感じるが、その正体はわからない。
ただ頭がひどく痛む。
状況を理解することができずに痛む箇所に手を伸ばすと髪や頭皮の感触を伝える前に指先が触れたのは包帯であった。
「なんだこれ?」
包帯が巻かれているということは怪我をしたということだろう。
しかし、どうしてそんな怪我をしたのかがわからない。
そもそもここがどこなのかすらわからない。
頭に怪我を追っているというのに病院ではなさそうだ。
ベッドは木製で、部屋の中も生活感漂う『誰かの部屋』といった感じだ。
「待てよ。落ち着け……」
心を落ち着かせるように深く息を吐く。
こういう時はまず、わかることから考えよう。
そうだな……自分のことから確認してみよう。
――俺は
――俺の名前はエミリオだ。
――年齢は28歳。
――年は14歳。
「あれ?」
なぜだかまったく違うことが頭に思い浮かんでくるのだから驚くなという方が無理な話だろう。
記憶喪失でもなければ間違えようのない『自分の名前』という問いに思い浮かんだ答えがどう考えてもおかしいのだ。
――いやいや、俺は辺見 理央だ。
――家族構成は両親と妹にポチ(猫)の4人と1匹家族だ。
――いやいや、俺はエミリオだな。
――家族は父と母、兄弟はいないしペットも飼ってない。
「どうなってるんだ?」
2つの人格が言い争っているわけではなく、1つのことを考えようとしているのに2つの記憶が同時に思い浮かんでくるようであった。
まったく違う2人の人間が歩んできた2つの人生、そのどちらもが間違いなく自分の歩んできた人生のようにしか感じられない。
意味がわからず混乱してしまうが、ふと目に止まった窓に薄っすらと映る自分の姿に混乱はなおも加速することとなった。
頭に包帯を巻いている子どもであった。
――いや、違う。
頭に包帯を巻いている以外は、見慣れた自分の姿だ。
混乱していたために理解が追いつかなかったが、先程はそうだと認識できなかっただけで、ここは自分の部屋で間違いない。
いったいどうなっているというのか。
混乱するばかりで思考はまったくまとまらない。
わけが分からず、とにかく自分の姿をよく確かめようとベッドから降りて窓にゆっくりと近づいてみる。
当然のことながら晴天の真っ昼間に窓へ近づけば、自分の姿が映るよりも外の景色がはっきりと見えるものだ。
その窓の向こうの景色は記憶にある通り、石畳にレンガ造りの建物である。
辺見 理央の記憶にあるアスファルトやコンクリートの建物などはどこにも見当たらない。
「どうなってるんだよ……」
記憶の通りだと言うのに記憶とはまったく違う景色に頭のパニック状態は加速する一方だった。
よろよろと後退って崩れ落ちるようにベッドの縁へ腰掛ける。
額に手を当てながら何とか状況を理解しようとパニック状態の頭を無理やり回転させる。
目覚める前――意識を失う前の最後の記憶はなんだったのか。
朝食ができたという母親の声に促され、階段を降りようとした。
「足を踏み外した?」
半分寝ぼけた頭で階段を降りようとして足を踏み外したのだ。
そして階段から転げ落ちて気を失ったらしい。
辺見 理央の記憶でもエミリオの記憶でも周囲の景色に差異はあれど、行動と状況に違いはまったくなかった。
そして、目覚めたらエミリオと辺見 理央の記憶が同時に存在している。
体がエミリオである以上、辺見 理央の記憶がエミリオに入ったようなものであろう。
――つまり……転生ってやつか?
辺見 理央は階段から転げ落ちた結果、打ちどころが悪かったらしく命を落としてしまった。
生まれ変わったエミリオは、偶然にも階段から足を踏み外して転げ落ちるという前世で辺見 理央が命を落としたのとまったく同じ経験をしたことで理央の記憶が蘇った。
この考えに思い至った瞬間、ストンと何かがきれいにハマったような感覚があった。
それまでの混乱が嘘だったように心は落ち着きを取り戻し、エミリオの記憶と辺見 理央の記憶が自分のものであるのと同時にまったく別のものなのだと受け入れられたようだ。
2人分の記憶があるものの2つの人格があるわけではない。
エミリオであるのと同時に辺見 理央でもある。
あくまでもどちらも自分が経験したことであり、主人格が別人の記憶を手に入れたわけではない。
忘れていた過去の出来事、その詳細を突然鮮明に思い出したような感覚が近いだろう。
――深く考えるのはよそう。せっかく落ち着いたのにまた混乱しそうだ。
エミリオと辺見 理央はあくまでも同一人物。
それでいいことだ。とエミリオは自身を納得させた。
「さて……」
転生したのはわかったが、どうにもこの世界は地球とは違うらしい。
車や電化製品などは存在しない。
それだけならば、文明社会を拒絶した民族や発展途上国の僻地だという可能性もあるだろう。
しかし、窓の向こうにはなんとなくでイメージする中世ヨーロッパ風の町並みが広がっており、発展途上国などであるとは考えにくい。
――本当にここは中世のヨーロッパで、俺は過去の世界に転生したのか?
一瞬そう考えるエミリオだったが、すぐに首を横に振る。
辺見 理央はそこまで歴史に詳しくないが、エミリオの知るこの国や周辺国の名前が西洋史で学んだどの国の名前とも一致していない。
理央が前世で好んだ物語のように異世界へ転生したのだと考えたほうが妥当であろう。
「ラブライカ王国……」
確かめるように国の名前をつぶやく。
理央の世界では過去も含めてそのような名前の国は存在しないはずだが、どうにも聞き覚えのある国名だった。
どこで耳にしたのかしばし考えた末に思い至ったのは、理央が妹に頼まれてクリアを手伝った乙女ゲーム『光の翼に抱かれて』に登場した国名であった。
都市名など国名以外のことも考えてみるが、一致する部分が多くまず間違いないだろう。
完全に一致しないのは、そもそも理央はゲームを手伝っていただけなので内容を一から十まで覚えているわけではないからだ。
メインタイトルこそ覚えているが、ラブやらプリンスやら長ったらしいサブタイトルがつけられていたような気がする程度の記憶しかない。
当然のことながら内容もうろ覚えの部分も多く、そもそも知らないことの方が多い。
幸いというかなんというか、手伝っている横で妹が頼んでもいないのにストーリーや世界観などの説明をしていたのであらすじは掴んでいる。
主人公は珍しい光属性の魔法が使うことができ、希少な光魔法の使い手を囲い込みたい国の指示で貴族が通う学校に通うことになった平民――といういろいろなところで何度も見聞きしたことがあるような設定だ。
そして学校で出会った王子や宰相の息子、騎士団長の息子やらなどと愛を育むとかそんな感じの展開である。
「するとこれは……」
今の自分が置かれた状況にエミリオは覚えがあった。
数多の物語で語られる乙女ゲー転生というやつであろう。
乙女ゲームを嗜む男性は少数派であろうが、乙女ゲー転生の小説や漫画となれば男性読者は大きく増えることだろう。
理央の場合、妹に頼まれる以外で乙女ゲームをプレイすることはなかったが、乙女ゲー転生と呼ばれるジャンルの作品は自ら好んで手を出していた。
流行の切っ掛けがどんな作品であったのかそんな理央も知らなかったが、大概は自分の好きな乙女ゲームの登場人物に転生するという物語であったはずだ。
中でもエミリオの知る限りでは、乙女ゲームの主人公に転生するのではなく、あえて乙女ゲームにおける悪役――悪役令嬢に転生するという展開が多かった覚えがある。
派生として、悪役令嬢本人ではなくその取り巻き、もしくは本来の乙女ゲームでは名前も登場しないような
エミリオの場合は、この派生における後者に当てはまるだろう。
乙女ゲームにおいて攻略対象どころか舞台に登場すらしない一般男性Aなどは、まさしく脇役以下の存在だ。
「まぁ……安心……か?」
ゲームの世界と言っても、エミリオの知るこの世界は比較的平穏な世界だ。
世界観としては、なんちゃって中世ヨーロッパな剣と魔法の世界であり、魔物などの脅威も存在しているにはいる。
しかし、エミリオの知る範囲の物語では珍しく、この世界において魔物などの危険な生き物が生息している範囲は限られていたはずだ。
地球で言えばサバンナやアマゾンの奥地などの野生生物なり危険な生き物が多く生息しているとわかっているような場所に自ら進むようなマネをしなければ、一般人が魔物に襲われるような心配は殆どないと言っていい。
世界観だけでなく、物語の展開としても平穏と言えるだろう。
物語の最後に悪役令嬢が魔王に覚醒したり、隣国から戦争を仕掛けられるような展開もない。
悪役令嬢は父親の領地にある修道院に入れられて、主人公と攻略キャラクターが結ばれたところですぐにエンディングだ。
物語がうまく進まなければ世界が滅びるような危機が訪れることはない。
バッドエンドもお友達エンドぐらいのレベルで、たとえそのエンディングを迎えても主人公は国に雇われる魔法使いとしてそれなりの扱いがされていた。
どう転んでも困らない平和な世界である。
物語で語られるモブ転生した主人公たちの如く、わざわざ物語がうまく進むように介入する必要はないということだ。
「さて……どうするか……」
異世界転生モノの物語で頻繁に登場するような魔物を狩る
剣と魔法の世界に転生したのだから、そう言ったものに憧れがまったくないと言えば嘘になるだろう。
だが、前世から今に至るまで武術の類の経験がない状態で、そう言った仕事を生涯の職にするというのは何とも不安が多い。
幸いというか、両親はパン屋を営んでいる。
エミリオの記憶にあるそのパン屋の品揃えを考えると、理央の記憶にある様々な菓子パンや惣菜パンのアイディアは役に立つだろう。
「まぁ、安定を取ったほうがいいかぁ……」
理央の記憶がない状態のエミリオは14年の人生を送ってきた。
この世界において14歳といえば、来年には中学校を卒業して成人を迎える年齢だ。
ゲームの世界でも中学校の卒業後は高等学校に通う者、職に就く者などに分かれる。
半ば義務教育の延長に近く大半の人間が進学を選ぶ地球の日本と違って、この世界では高校に通うのは貴族やその関係者――もしくは比較的規模の大きな商会の子息やその関係者が中心である点だろう。
国全体にチェーン店を出すような規模の大きいパン屋――などではなく、比較的都会にはあるが、あくまでも街のパン屋の倅であるエミリオは当然のことながら就職組であり、もともとその就職先は実家が最有力だったのだ。
理央の記憶を取り戻さずとも冒険者に対する憧れはあったが、それでもエミリオは家業を継ぐつもりだった。
理央の記憶を取り戻したことで考えが変わるかと思って再度卒業後の進路を改めて考えてみるが、変化はなかったらしい。
「長生きしたほうがいいな」
自分は性格的に物語の主人公のように波乱万丈な人生は送れそうにない。
異世界転生という物語の主人公のような経験をしたというのに小市民らしい自分の性格にエミリオは思わず苦笑を浮かべるのであった。
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