(24)真相

 遺影写真の〝田中薫〟と、

 会葬礼状の〝田中薫〟。


 ひとりの人間を異なる視点から切り取ったはずのそれら二つは、重ねてみると『利き手の違い』という重大な矛盾を孕んでいた。

 結び目をひとつ紐解いたことで、また新たに生まれた別の結び目――その不可解な謎の連鎖に、僕はおおいに頭を悩ませる。

「この写真は喪主様から預かったもの……それは本当に確かなんですよね?」

 すでに何度も確認したことだけど、それでも彼女の答えは変わらない。

「さっきも言った通り。これは間違いなく〝田中家の写真〟だよ」

「だとしたら、どうして……」

 矛盾を解消するための糸口を探るも、何かが繋がりそうで繋がらない。

 ゴール目前にして視界が霧で覆われていくような、そんなもどかしさに項垂れる。

 音喜多さんの足跡を追って、真相解明まで『あと一手』というところまで辿り着いたはずなのに、やみくもに伸ばしたその手は、ただただ虚しく空を切るばかりだ。

 これもまた、彼女の言う『思い込み』とやらが僕の目を曇らせているからなのか。

「だめだ、わかりません……どうして僕には、この謎が解けないんでしょうか……」

 たまらなくなり助言を求めた。

「それは――」と見兼ねた彼女が口を開く。

「たぶん、この遺影が『綺麗な仕上がりだったから』でしょうね」

「へ?」

 つい呆けた声が漏れてしまった。

 質問に対して、まるで見当違いな答えが返ってきたように思えたからだ。

「遺影が〝綺麗〟だったから……?」

「そう。松澤さんも言ってたんじゃない? 『お顔が大きく写っているから、遺影の仕上がりも良くなったんだ』って」

「たしかに、そんなことを言ってましたけど……」

 だからといって、それが謎を解けない理由と、どう関係があるんだ――と思った矢先に「それだよ」と、すぐさま言葉が継がれる。

「それこそが、落とし穴の正体なの。この家族写真が〝いい写真〟で、それを元に作られた遺影もまた綺麗に仕上がっていたばっかりに、あんたはそこに写る人物が『田中薫である』と無意識に思い込んで。そして、地下で熊男と出会ったことで、いよいよその穴にの」

「どういう、ことですか……」

 思い込むもなにも、この写真の被写体は、たった一人だ。それも、こんなに大写しになっているんだから、それだけは見間違いのしようもない。

「それじゃあ、なんですか。音喜多さんは、その遺影写真の人が『違う』とでも言うんですか?」

「そうだよ。この人は田中さんとはなの」

「そんな……言ってることが滅茶苦茶じゃないですか」

 僕は問い質すように詰め寄った。

「音喜多さんも自分で言ってたじゃないですか。これが『田中家から預かった写真』で、そこに『田中さんが写っている』のも『事実だ』って。それなのに、今度は遺影の人物が『田中さんではない』と? いったい、どっちなんですか。はっきりしてくださいよ」

 すると、彼女は目を広く閉じて、

「あたしはね、最初から本当のことしか言ってないの。この〝お花見の写真〟は、たしかに姿だよ」

 そう言って、一息ついたのち、

「ただし」と付け加えて、こう言った。


、だけどね」


「えっ?!」

 それを聞いた瞬間、僕は「ちょ、ちょっと見せてください!」と目を皿のようにして穴が開くほど写真を凝視した。

 被写体ではなく、その背景に写りこんだものを隅々まで。

 写真の中央には、遺影写真の人物がたった独りで写っている。

 その背後には、一面に渡って咲き誇る圧巻の桜並木。

 そして――

『勿体ないよねぇ……まぁから、仕方ないっちゃ仕方ないんだけどぉ』

 その下で賑わう見物人のなかに、ひときわ大きな図体でカメラを構える男がいた。

 相好を崩して、レンズ越しに桜を見上げる大男の姿が。

「あっ――!」

 それを目にした瞬間、がばっと顔をあげて言う。

「ど……どうして、熊男が……!?」

 目からうろこが落ちる思いだった。

 写真の背景という、今の今まで完全に意識の外側にあったものに、熊男の姿がひっそりと紛れ込んでいたのだ。

 顔のほとんどがカメラに隠れてしまっているので、よくよく見ないとわからないけれど、その特徴的な坊主頭と、豪快に蓄えた口髭や太い眉は、間違いなく地下のご遺体と同一人物であることを物語っていた。

 美しい景観を前にして彼が見せるその笑顔はほとんど快哉を叫んでいるようにも見えて、物言わぬご遺体となった彼とは、まるで真逆の印象を受けた。

 でも、どうして熊男がこんなところに?

 訊くと、音喜多さんは「熊男じゃないよ」と否定する。

「えっ?!」

 いま、彼女はなんて言った。

 熊男が、田中さんだって――?

 聞き間違いではない。

 正体不明と思われた人物こそが、ずっと探し求めていたその人であったと、いま、たしかにそう言われた。

 ということは……。

「これで、あんたにもわかったでしょう?」

 そう言って、そっと立てた人差し指に注意を引き付ける。

 なんだかドラムロールのひとつでも鳴りそうな場面だ。

 じっと見つめたその指先は、彼女を中心に円を描いて、すぅっと横に流れていき――そして、ある場所でピタリと止まる。

「田中さんのご遺体は、あそこ」

 そのとき彼女は壁に並んだモニターの、その片方の画面を指し示していた。

 それを見て、僕はぐっと息を呑む。

 そこに映し出されていたのは、霊安室に安置された、あの白い布張りの棺だ。

 田中薫さん、その人の――。

「ね? ちゃんと居たでしょ、田中さん」

 そう言って、けらけらと無邪気に笑う音喜多さん。

 そのまばゆいばかりの曇りなき笑顔が、霧をしたたかに打ち払った。

「そんな……まさか……」

 画面を見つめて、ぽろりと言葉が零れ落ちた。

 そう。

 つまりはそういうことだ。

 必死になって捜索などするまでもなく、田中さんのご遺体は、はじめからずっと僕の目の前にあったのだ。

(これが、事件の真相か――)

 すべてが一瞬にして腑に落ちたことで、しきりに頷きを繰り返すばかりだった。

 完全に盲点だった。

 どうりで見つからないはずだ。僕が本当に探すべきは、田中さんのご遺体ではなく、写真のなかに紛れ込んだ彼の肖像のほうだったのだから。

「そうか……だから、あのとき……」

 それがきっかけで、ようやく思い出した。

 さきほど霊安室で熊男と二度目の対面をしたときに、その顔を見て既視感のようなものを覚えたことを。

 あれは錯覚なんかではなかった。

 僕は、熊男……いや、田中さんの姿を一度はこの目で見ていたのだ。スナップ写真の背景に、ひっそりと写った『在りし日の姿』として――。

「浩美さんは、写真選びに随分と苦労したみたいね」

 写真を手にした音喜多さんが、そっと目を細めて言う。

「ご主人をまともに写したものがギリギリまで見つからなくて、やむをえず選んだのが、この一枚だったんでしょうね。事情が事情だから仕方ないけど、何も知らない人がこれを見たら『真ん中の人が故人だ』と勘違いしちゃうのも無理ないと思うよ」

 ですよね――と、がっくり肩を落とした。

「遺影に使う写真は、『できるだけ故人が大きく写っているものを選ぶように』って……僕も、そう教わりましたから……」

「誰だってそうするよ。これを持ってこられたら、あたしでも別の写真にするよう勧めたと思う。その点で言えば、あんたの認識は間違ってない。だけど、そのだったの。日頃の教えに忠実だったばかりに、あんたはその落とし穴に、まんまと引っ掛かってしまったのね」

「そういうこと、か……」

 わかってみれば、なんと単純なトリックだろう。こんな初歩的な見落としをしてしまったばっかりに、僕は『ご遺体の取り違え』などという、ありもしない事件に振り回されてしまったというのか。

「僕が、ちゃんと確認さえしていれば、こんなことには……」

「あんただけじゃないよ。ほら、おんなじ〝穴〟に落っこちた人間が、マコの他にもう一人いたでしょ」

 ああ、そうか。

 それが、犯人の――

「写真屋の、松澤さんということですか」

「そういうこと」

 遺影の人物を「故人だ」と勘違いしていたのは、それを作った張本人である松澤さんもまた同じだった。この事件の謎をあくまでも〝田中さんの消失〟と捉えるのであれば、画像処理によって故人を消し去ってしまった彼は、それを引き起こした〝実行犯〟ということになる。

 それにより松澤さんは、ついさきほど音喜多さんの呼び出しを受けて、この事務所へとやってきた。そのとき手渡された〝あるもの〟というのが、新たに作り直された、この遺影写真というわけだ。

 松澤さんは手違いで他人の遺影を作ってしまったことに少なからず気が咎めていたようであったが、さきほどのやり取りからも見て取れたように、音喜多さんはそれで彼のことを責めたりだとか、ましてや吊し上げにしたりだなんて、そんなことをするつもりは元より無かったそうだ。

「だって、そもそも幸田くんの発注ミスが発端だからね」

 そう言って、彼女は電話で聞き取った内容から、事件の起こった経緯をこのように語ってくれた。

 日報に書かれていたとおり、幸田さんは昨日の夕方、この会館で浩美さんから例のスナップ写真を預かったわけだが、それを目にした際には彼も「これでは遺影は綺麗に仕上がりませんよ」と一応の忠告はしたらしい。

 しかし浩美さんのたっての希望により、また締め切りが迫っていたこともあり、最終的にはきちんと了承を得たうえで、これで遺影を作ることに決まったそうだ。

 その後、会館の戸締りを終えた幸田さんは帰社する道すがら、遺影の作成を依頼するために写真屋さんにふらりと立ち寄った。

 すべての歯車が狂ったのは、そのときだ。

 幸田さんは店頭で直接注文した際に、預かった写真をそのまま窓口のスタッフに手渡した。そこで、せめて写真に付箋紙かなにかを貼って『この人が故人ですよ』と分かり易く目印にすればよかったものを、ささいな手間を惜しんでか、こともあろうに口頭だけでそれを伝えてしまったのだそうだ。

 それは新人の僕からしても「間違えてください」と言わんばかりの杜撰な手続きであったと思う。

 そして案の定、遺影の仕上がりに関するその取り決めは、何人かの手を介する内にどこかで行き違いが発生してしまい、結果として全く無関係な『他人の遺影』が作られることとなってしまった。

 長い連勤がようやく明けて、明日は待望の休日だ――なんて、そんな風に浮かれていたせいもあってか、そのちょっとした油断が、巡り巡って致命的なミスに繋がってしまったというわけだ。

 これには音喜多さんもさぞかしお怒りのご様子で「今度会ったらギタギタにしてやる」などと抑揚をつけずに低い声で唸っていた。

(ギタギタって……)

 そんな暴君みたいな言葉使いをする人が現実にいるとは夢にも思わず、僕は戦々恐々としながら自戒の念をこめて十字を切った。

 いまの話を聞かされて、「責められる謂れは、やはり自分にもあるのでは――」と、あらためてそう思ったのだ。

 騒ぎの火種となったのは幸田さんで、そこに引火させたのは松澤さんかもしれないけれど、それを煽って大火にしたのは他ならぬ僕自身なのだから。

 その一方で音喜多さんは、そんな先入観に惑わされることなく、この事件の謎が「写真のミスによるもの」であると、はじめから正しくその本質を捉えていた。「ご遺体が入れ替わったのでは」なんて考えは微塵も無かったことだろう。

 だからこその、あの驚きようだ。

 あそこで僕がいきなり「田中さんが別人だ」と騒ぎ出したのは、彼女にしてみれば全くの想定外だったそうで、死角から飛んできたその一撃には、さすがの音喜多さんもおおいに度肝を抜かれたらしい。

 事件の裏で様々な思惑を巡らせていた音喜多さんでも、あのときの驚愕した顔だけは、演技なんかではなかったのだ。

 だとすると、ひょっとして彼女がここまで僕のことを振り回した理由のひとつには、あのとき一瞬でも虚をつかれたことに対する、彼女なりの〝意趣返し〟も多分に含まれていたのでは――というのは、さすがに考えすぎだろうか。

 ともあれ、この葬儀会館をとりまく事件はこれにて「一件落着」だ。

 音喜多さんの言うように、遺影写真を作り直しさえすれば全ては丸く収まるわけだし、その写真も今しがた、こうして無事に届けられた。

 これもひとえに色々と手早く根回しをしてくれた音喜多さんのおかげである。そのせいで散々冷や汗をかかされたとはいえ、彼女が与えてくれた〝探偵〟という役割から多くの経験を得られたことを思えば、今日かいた汗もけして無駄ではなかったと――いまとなっては、そう感じられる。

「そういえば……音喜多さん」

 幕引きを前に、ふと思い立って質問した。

 最後にもう一つだけ、まだ明かされていない謎が残っていたことに気づいたのだ。

「この人について、なんですけど……」

 言って、写真の中央を指さす。

「僕がずっと『田中さんだ』と思い込んでいたこの人は……結局のところ、誰だったんでしょう?」

 訊くと、彼女は歯牙にも掛けないといった感じで「そんなの、あたしの知ったこっちゃないっての」と手を振るも、しばし考えに耽ってから席を立つ。

「でもまぁ、そうね……」

 なにかに思い当たった様子の彼女は、積まれた書類の山へとおもむろに手を伸ばすと、その中からA4の用紙を一枚だけ抜き出して「これ……ちょっと前に送られてきたやつなんだけどね」と見せてきた。

 ファックスで受信した、供花の注文用紙だった。

「これは……田中家の御親戚から送られたものですね」

 受信した時刻から察するに、どうやら僕が事務所へ飛び込んできたときに音喜多さんが電話で受けた物のようだ。

「ほら、ここ――」

 注目すべきは用紙の下のほう、お札名を記入する欄にあるらしい。

「ここに直筆で書かれた御名前をよく見てちょうだい」

 指された箇所をよくよく見ると、名前の文字にインクが擦れて右に流れたような跡があった。ペンで書いた際に、手の側面でうっかり擦ってしまったのだろう。

 これをやりがちなのは――

「左利きの人……ですか」

「……だと思う」

 二人して交互にうなずいた。

「この他にも生花の注文は来てるけど、筆跡にこういった特徴があるのはこの人だけなの。だから、これがもし『注文者本人が書いたもの』であって、尚且つ『この人以外に左利きのご親戚がいない』のであれば、必然的に遺影写真の人物は、この人である可能性が高いんじゃないかな」

 僕は、そこに書かれた名前を読み上げた。

「えっと……名前は、郷中さとなか――」


     *****


 夕刻。

 ふたたび正面玄関にて。

「――いやぁ、どうもどうも! お待たせしまして!」

 夕陽を背にした男性が、そのおもてを上げたとき。僕は口から出かかった挨拶の言葉を、思わずぐっと飲み込んでしまった。

「妹たちは――いや、失礼。喪主の浩美は、もう式場かな?」

「は、はい……ええと……」

 誰何すいかするような僕の視線に、察した様子で男性が名乗る。

「ああ。私、喪主の兄でしてね。郷中浩文さとなか ひろふみといいます。二日間、どうぞよろしく」

 痩せぎすで柔和な細面、品よく整えた白髪頭に、眉を八の字に下げた困り顔――そこには遺影写真で見たものと、寸分違わぬ笑顔があった。


(つづく)

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