(5)遺影写真

 あれから、しばらくのあいだ清掃業務に勤しんでいた僕は、ほうきとチリトリをお供に連れて館内をあちこち回っていた。

 手はじめに一階のロビーから車寄せのポーチまでひと通りの掃き掃除を終えて、さぁてこれから二階のお清め場にでも取り掛かろうかと思ったときに、ポケットで携帯電話が鳴動していることに気づく。

 手に取った画面には〝音喜多佐和子〟の名前が。

 時刻はちょうど十二時四十分に切り替わるところだった。

「もしもし、お疲れ様です」

 電話に出ると、がさがさと雑音に紛れて『――ああ、マコ?』と音喜多さんの声が聞こえてくる。

『留守番ごくろうさま。遅くなっちゃったけど、これからそっちに戻るよ。準備のほうはどう? 進んでる?』

「いや、進んでるもなにも……」

 僕は不満に口を尖らせた。

「音喜多さんがほとんど終わらせちゃってるじゃないですか。あんまりにもやることがなくて、おかげでずっと待ちぼうけでしたよ」

 言うと、彼女は宥めるように軽い口調で『ごめんごめん』と、けらけら笑った。

『――でも、おかげで午後はのんびりできるんだから良いじゃないの。お昼いっしょに買ってきてあげるから、なに食べたいか言ってちょうだい』

 言われてから、ふと気づく。

 急いで来たものだから、昼飯を買いそびれていたんだった。

「じゃあ、せっかくなんで……」

 音喜多さんが帰りに立ち寄れそうな店を頭の中でリストアップする。そこからすぐに買って帰れるものをいくつか思い描いたのち、お腹の減り具合とふところの厚みで、しばし検討を重ねた結果、

「えっと……牛丼でお願いします」と打診してみる。

 が、しかし。

『だめ』

 食い気味に却下された。

『あたし海鮮丼の気分なの。だから、あんたもそれね』

「じゃあ、なんで訊いたんだよ」と、つい口から出そうになるも、それをどうにか飲み込んだ。なんだか釈然としないものがあったけど、ついでとはいえ上司にお使いを頼む立場としては文句を言える筋合いもない。

 ここは素直に従っておこう。

「まぁ、なんでもいいですけど……」

『じゃあ決まり。海鮮丼、八百円。あとで忘れず払ってよね』

「ありがとうございます。あっ、あとですね……」

 不承不承にお礼を告げたのち、彼女の留守中に起きたことを併せて報告する。

『……なるほどね。りょーかい。写真はもう届くはずだから受け取っておいてね』

「わかりました。あとは他に、なにかやっておくことはありますか?」

 そうねぇ……と少しの間が置かれて、

『――じゃあ、ご遺体も出しちゃっていいから、もし暇だったら霊安室から式場に移しておいてよ。すっごく重いから無理しなくてもいいけど』

「ご遺体の移動ですね。わかりました」

『ひとりで平気?』

「たぶん……」

 田中さんのご遺体は地下の霊安庫にある。一人で出し入れするのは少々骨が折れるだろうし、個人的にあまり進んでやりたい仕事でもないのだけれど、かといって他にやることもないので断る理由も特にない。

「……大丈夫だと思います。祭壇前に安置しておくので、あとで確認してください」

 言うと、「ほぁーい」と気の抜けた返事を最後に一方的に通話が切られた。

 相も変わらずマイペースな人だ。

 彼女の言う〝海鮮丼〟とは駅前のあそこだろうか――と、だいたいの当たりをつけてみる。だとしたら戻ってくるまで、まだ二十分以上はかかるだろう。

 そうこうしている内に、一階の駐車場から車のエンジン音が響いてきた。

 突き出し窓から下を覗くと、営業車と思しきグレーの軽自動車がちょうど乗りつけられたところだった。

 その車体には、『クールール』と書かれた看板が。

(写真屋さんだ――)

 話に聞いていたとおり、遺影を届けに来たのだろう。

 車から人が降りてくるのを見届けて、足早に正面入口へと向かう。

 一階に下りると、玄関のほうから「おつかれさまでぇーす」と妙に間延びした声が聞こえて、そのままロビーに出たところで写真屋さんと鉢合わせた。

「やぁやぁ。お疲れ様ぁ」

 茶髪の浅黒い男性が、ゆるいテンションで片手を振る。彼はもう一方の手で、遺影写真を収めた箱をさっと小脇に抱えていた。

「松澤さん、お疲れ様です」

 そう言って頭を下げた拍子に、自分が掃除道具を手にしたままなことに気づいて、慌ててそれを放り捨てた。

「あれぇ。今日は宮田くん一人ぃ? おトキさんはぁ?」

 他に出迎えが無いと見て、松澤さんは首をのばして奥を窺う。

「それが……いま、ちょうど出掛けちゃってて……」

 言うと、彼は「そっかぁ――」と長い襟足をしきりに首筋に撫でつけはじめた。

 なんとなく焦っているようで、どこか忙しなさを感じる仕草だった。

「いないのかぁ。どうしようかなぁ……」

「えっと、二十分ちょっとで戻ると思いますけど……なにか?」

「いやぁ、写真の仕上がり見てもらいたかったんだけどねぇ。でも二十分かぁ……」

 その様子から察するに、あまり長居は出来なそうだ。彼もまた、このあと配達の予定が詰まっているのだろうか。

 それとなく事情を訊いてみると、

「いやぁ、今日の配達はこれ一件だけなんだけどさぁ……」

 すまなそうに首すじを摩りながら言う。

「回収のほうが立て込んじゃっててねぇ」

「回収? 原本のお写真を、ですか」

「そうそう。配達は無いけど、どのみち葬儀屋をあちこち回らないとだからさぁ」

 なるほど。忙しいのはどこも一緒か、と訳知り顔でうなずいてみせる。

 そこで良かれと思って、

「だったら僕が遺影を確認しましょうか?」

 そう申し出てみたところ、「えっ、きみが?」と意外そうな顔をされてしまった。

 思いのほか芳しくない反応だ。

 新人の僕なんかじゃ心許ないのだろうか。

「ま、まずいですかね……?」

 余計なお世話だったか、と顔が曇る。

 すると何かを察した松澤さんは、すぐさま「あ、ちがうちがう」と訂正した。

「そういうアレじゃないんだよぉ。うん。ごめんねぇ、気ぃ悪くさせちゃってぇ」

「……い、いえ、すみません。僕のほうこそ差し出がましい真似を……」

「いやいや。気にしない気にしない。じゃあ、せっかくだから宮田くんに確認してもらおうかなぁ」

「僕で、大丈夫でしょうか……」

「もちろん。きみもゆくゆくは担当者なんだからさ。ほら遠慮しないでぇ」

「そ、そうですか……じゃあ」

「じゃあ、はいコレ」

 なんだか変に気を使わせてしまったようで、かえって申し訳ない気持ちになった。

 遠慮がちに受け取った箱を開けてみると、中には四つ切サイズの遺影写真が入っていた。真珠色パールホワイトの額縁で、左上の角には装飾用のリボンが襷掛たすきがけにされている。

 そこには白髪頭を品良く整えた小柄な男性が、バストショットで写っていた。

(この人が田中さんか……)

 痩せぎすでやや骨ばった細面ほそおもてだが、人当たりが良さそうな柔和な顔立ちをしていた。顔の横に添えた右手で、申し訳程度にピースをしている。作り慣れていないのか笑顔は少々ぎこちないもので、八の字に下がった眉はどこか困惑しているようにも見えた。しかし目元に皺を寄せて照れくさそうに微笑んでいるその表情はとても愛嬌にあふれており、僕は一目でこの人物に好感を抱いた。

 優しそうな人だな――と目を細めてしばし眺める。

 背景の部分は証明写真のように、グラデーションで濃淡をつけた青色のものに差し替えられていた。原本のスナップ写真から人物だけを切り抜いて作られたようだ。

「すっごく綺麗に仕上がってますね」

 声を弾ませて率直な感想を伝えた。

 実際、遺影写真はお世辞抜きに本当に綺麗な仕上がりだった。

 でも松澤さんは、そんな称賛の声をさして鼻にかけることもなく、

「まぁねぇ、元の写真が良かったからねぇ」と写真箱のフタを指さす。

 ひっくり返してみると、フタの裏には封筒が一枚貼り付けられていた。葬家から預かったスナップ写真が入っているようだ。

 片手を受け皿にして、逆さにした封筒を揺すってみる。

 何度か振ってようやく出てきたその写真には、『田中薫』と名前の書かれた付箋紙が貼られていた。この写真を元にして、あの遺影が作られたというわけだ。

 手のひらで写真をしげしげと眺める。

 家族でお花見に行った時のものだろうか。一面に渡って咲き誇る満開の桜を背に負って、遺影写真の男性がど真ん中にひとりで写っている。右下の日付から、十年ほど前に撮影されたものだとわかった。そこそこの年代物のようだけど、大切に保管されていたからなのか、画質は鮮明でそれほど退色もしていない。

(なるほど。たしかに良い写真だ)

 無言でうなずいてみせると、ぬっと横から覗き込んだ松澤さんが「そう、コレだよぉ」と、背景の桜はそっちのけで写真の真ん中を指さして見せた。

「これだけ顔が大きく写ってたら、遺影に使ってもバッチリだよねぇ」

「えっ。かお……ですか」

 そっちか。

 どうやら、さっきの「元の写真が良かったから」という発言の趣旨は、景観の美しさではなく「故人の顔がどれだけ大きく写っているか」を指していたらしい。

「お顔の大きさって、やっぱり重要なポイントなんですね」

「そりゃあ、そうだよぉ。遺影写真が綺麗に仕上がるかどうか、すべてはそこにかかってるからねぇ」

 松澤さん曰く、遺影写真というのは原本をグッと引き伸ばして加工する都合上、どんなに修正を加えても元々の画質以上に綺麗にすることは難しいそうだ。そのため、元となる写真を選ぶ際には、「どんなに小さくても故人の顔が五百円玉くらいの大きさで写っているものが望ましい」とのこと。

 そういえば僕も、「お顔の写りが小さくてピンボケしているような写真は、くれぐれも避けて選んでもらうように――」と先輩から教わった覚えがある。

 その点で言えば、この写真は日の丸くらい大きく顔が写っているので、遺影の原本としては申し分ない一枚だろう。

「ちなみに、ですけど――」

 背景だけ差し変わっていることが気になった僕は、そこでふと質問してみた。

「後ろにある桜は、ぜんぶ消しちゃったんですね」

「あぁ。これねぇ……」

 松澤さんが渋々といった感じで頷いた。

「服装はそのまま『着せ替え無し』で良いそうなんだけど、背景だけは別のものに差替えてほしいんだってさぁ。勿体ないよねぇ……まぁ花見客とかも写りこんじゃってるから、仕方ないっちゃ仕方ないんだけどぉ」

「そうですか……」

 これだけ立派な桜なのに、それを活かさないのはなんだか勿体ない気もするな――とも思ったけれど、言われてみればそうかもしれない。周囲が見物人でごった返しているこの状況では修正するにも限界があったのだろう。どうやってもメインの被写体だけを切り抜くしか方法は無さそうだ。まぁ、そもそも他ならぬお客様ご自身が「そうしてくれ」と言っているのだから、それに関しては外野がとやかく口を出すことでもないか。

「じゃあ宮田くん。これで問題が無ければ、僕はそろそろ……」

 言って、腕時計をちらりと見る。

「あ……そ、そうですね。写真のほうは、これで大丈夫だと思うんですが……」

 急かされているとわかりつつ、抜かりが無いよう最後にもう一度だけ確認をする。

「えっと……あとは、背景以外に手を加えたところも無いんですよね?」

「そうだねぇ。腕時計も着けたままにしてあるし……『白髪頭を染めてくれ』とも特には言われてないしねぇ」

 何気なく発せられたその一言に、

「え――!」と思わず声が出た。

「白髪染め……遺影写真って、そこまで修正が出来るんですか?」

「できるできる。そのくらいは楽勝だよぉ」

 松澤さんが胸を張って言う。

「髪を黒染めしたりだとか、毛量をちょっとだけ足したりとかね。『なにもそこまで』とは思うだろうけど、後々まで遺るものだから気にする人もなかにはいるよぉ。まぁ、そんな注文は滅多にないけどさぁ」

 なんと。それは初耳だった。普段着を礼服に着せ替えたり、画角から外れた肩の部分を付け足したりだとかは技術的に可能だと知ってはいたけど、まさか髪型にまで手を加えることがあるだなんて……。

「いまはCGで、なんでも出来ちゃうんですね……」

 感心しつつも、「かといって、それも考えものだな」と眉根を寄せた。

 いくら家族の希望とはいえ、そこまで修正してしまうと、『あらあら、まるで別人じゃない。写真ではずいぶんと若作りなさったのね』みたいな好奇の目で、他所よその人から見られたりしないのだろうか――なんて、いらぬ世話をつい焼きたくなる。

「あ、そうそう。髪型といえばさぁ」

 松澤さんが、ふと昔を思い出すように視線をどこか遠くにする。

「いつだったか、『頭が淋しいから、せっかくなら景気良く』なんて、注文されたこともあったっけなぁ」

「ふさふさ……。それは、その……髪を、ですよね?」

「うん。言っちゃ難だけど、たしかに相当薄かったんだよねぇ。それを本人が気にしてたのかは知らないけど、ご家族は良かれと思ったんだろうねぇ」

「はぁ。それで、やってあげたんですか、〝ふさふさ〟に」

「まぁねぇ。周りにいた連中は『ウチは発毛サロンじゃねぇんだよ!』なんて、ぶーぶー文句垂れてたけどさぁ。ちゃんとやってあげたよぉ。そりゃあもう『景気良く』ね。そのせいで別人みたいになっちゃったけど、それでも葬家さんは大喜びだったみたいでさぁ」

「それは、なんというか……やった甲斐がありましたね」

 苦笑しながら、無意識に手が頭にいく。

 さらさらと自前の柔らかな髪を掻きあげながら、このとき僕は(自分が遺影になるときは、下手な小細工を入れずに、ありのままの姿で作ってもらおう)などと、将来の不安にぼんやり思いを募らせていた。

 松澤さんは、後に控えている用事のことがすっかり頭から抜け落ちてしまったようで、なにやら誇らしげに「うん、うん」と嘗ての仕事ぶりに浸りながら、

「いやぁ、宮田くんにも見せてあげたかったよぉ。あれは我ながら、なかなかの力作だったからねぇ――」

 そう言って、しばらく肩を揺すって笑っていた。


(つづく)

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