第26話
「もちろんそれはあくまできっかけで、確信に至ったわけじゃない。まずこの『現実』がおかしいと感じたのは、怪我や病気をしないことに気づいたからだ」
動揺と緊張の入り混じった空気が広がっていく中、続けて一樹がそんな言葉を口にする。
「みんな気づいているかな?今の俺達は、よほど大きな怪我じゃない限りすぐに治るんだよ。それこそ骨折くらいの怪我でも、まるで『最初から怪我などしていなかった』かのように、次の瞬間には治っているんだ」
「え、な、何、バカなこと言って…」
話を聞くなり、栗山が若干強ばった顔で笑いながら肩をすくめる。
しかしすぐに目を見開いて押し黙ってしまった。
きっと何か心当たりがあったのだろう。
「……」
「……」
同様に俺と美弥子先輩も沈黙していた。
何故なら他でもない、ちょうどそれを証明する出来事がつい最近あったばかりなのだ。
あの時も階段から転げ落ち、気を失うほど強く身体を打ち付けたのに、確かに怪我はまったくなかった。
改めて考えれば明らかにおかしい。
何より、それを大して疑問にも思わなかったということに愕然となる。
「しかも、今まではそれが『当たり前』だと認識していたんだ。現に今も他の人達はそう思っているはずだよ」
すると一樹がちょうどそう続けたので、思わずギクリとする。
けれどそれについて何か思うよりも先に、連想して一つの出来事が頭に思い浮かんできた。
そうだ、これではまるで…。
「そう、アメリカと同じ『認識』そのものが変わっていたんだ。いや、恐らく『書き換えられた』んだと思う」
「か、書き換えられたって…」
引きつったような呟きに、冷や汗が頬を伝うのを感じながら目を向ければ、もはや笑顔を保つ余裕もないようで栗山が青ざめた顔で固まっていた。
さもありなん。
普通なら肩をすくめて終わりのあまりにも突拍子もない話なのに、現状が否定することを許さないのだ。
「実は消えたのはアメリカだけじゃない」
「え!?」
そんな中、一樹がさらにとんでもないことを言い出した。
あ、アメリカだけじゃない…?
「調べてみたんだけど、ウクライナ、カザフスタンが同様に『初めからなかった』ことになっていて、国全体じゃなくても、州などの区画が消えている国は他にもたくさんあった。日本でも栃木、香川、大分の三県が『なかった』ことになっていたよ」
淡々と告げられた言葉に再び声もなく固まるも、一間遅れて栗山と静音が慌ててスマホを取り出すのを見て我に返り、俺も急ぎ調べ始める。
だが、もしアメリカと同じようになっているのなら、結果は恐らく…。
「ほ、ホントだ…、検索にまったく引っかかってこない…!」
「それにやっぱり辞書にも載っていません…!」
「……」
一樹がああ言っているのだから、正直調べるまでもなくこうなることは分かってはいたものの、それでも調べざるを得なかったのは、まだこれが何かの勘違いであって欲しいとどこかで願っているからなのだろう。
だが、何故こんな大きなことがまったく騒がれていないんだ…!?
どう考えてもあり得るはずがないと動揺で大分鈍くなった頭で考えるも、間もなくぞっと背筋が冷たくなった。
その理由は今一樹が言っていたではないか。
すべて「なかった」ことになっているのだ。
まさに昨日今日で俺自身が体験したことである。
「実はこの学校の生徒も、俺が知っているだけでもすでに何人も消えている」
「!?」
この時点で俺の頭と心はとうに限界を迎えていたが、無情にも一樹の話は続く。
でもよくよく考えれば国が消えるほどの事態だ。
人が消えてもおかしくはなく、現に昨日も同じような動画がいくつも上がっていたことを思い出す。
今となってはもう件の動画が悪戯の類いだとは思えず、たちまち腹の底から恐怖がせり上がってきた。
こいつは、ずっとこんなことを一人で抱え込んでいたのか…!?
なにせ、アメリカの一件だけでもあんなにも恐ろしい思いをしたのだ。
いつからなのかは知らないが、その苦悩は並大抵のものではなかったに違いない。
「でも騒ぎになんてなったことはなかっただろ?どれもすべてアメリカや怪我のことと同じ『初めからなかった』ことになっているんだ。どうかな?『書き換えられた』という俺の言葉も、あながち外れてはいない気がしてこないか?」
そう言って自虐的に笑うも、誰も言葉を返すことはできない。
「加えてあの夢だ。どうやらみんなも何か心当たりがあるみたいだけど、生々しいあの感覚はとても夢だとは思えないんだ。しかも何度か夢を見る内に、呼吸とアラームの音以外にも聞こえてきたものがあって…」
畳みかけるようにして出てくる新たな情報に思考は半ば固まりかけていたが、それでもゴクリと思わずつばを飲み込んでしまう。
何故なら俺には心当たりがあったのだ。
「システムの、電源供給系統に…」
すると、ぽつりと呟く声が聞こえた。
一瞬考えていたことが口から出てしまったのかとドキリとしたが、しかしそうではないと分かってすぐに今度はぎょっとする。
振り返れば声の主は栗山で、顔面を蒼白にしながらどこを見るでもなく呆然と立ち尽くしている。
「…深刻なエラーが発生しています」
そして栗山の言葉の続きを、美弥子先輩が引き継いだ。
いつものように口元に指を置いて表情こそ冷静ではあるものの、やはり顔は青ざめていて、静音に至っては言葉もなく凍り付いている。
ここまで来ればもう改めて聞くまでもない。
みんなも同じ「夢」を見て、同じ言葉を聞いていたのだ。
そ、そんな馬鹿な…!?
だが否定しようにも、符合するものが多すぎてもはやそれも叶わない。
何よりあの感覚は一樹の言う通りあまりにも現実味があり、さらに現在の状況が考察の説得力をこの上なく強めていた。
「…そして、昼の出来事だ」
おもむろに聞こえてきた一樹の言葉にビクリと振り返る。
同時に、そういえば今は話を聞いている最中だったことを思い出した。
ショックのあまりそれすら頭から抜け落ちていたらしい。
そんな俺達へと一樹が同情の眼差しを向けつつも、けれど自身も顔色を悪くさせながら再び口を開く。
「俺も篠山の…、ああ、篠山というのはさっきの正気を失っていた男子生徒のことな。彼の言葉を聞くまでは、おかしいとは思いつつも確信が得られなかった。だからきっと気のせいなんだ、俺の記憶の方が間違っているんだと何とか心の奥底に押しとどめて生活してきたんだけど、みんなも聞いての通り、篠山は自分が死ぬのだと言っていた」
すでに身動ぎさえできず、取り憑かれたようにただ一樹の話に聞き入る。
「もちろんかなり動転しているようだったし、その言葉をそのまま鵜呑みにするつもりはないよ。でも『みんな噓だらけ』『アメリカも同じようにして消えた』という言葉と、何より彼も消えたみんなと同じ『埼玉』出身の生徒であることを考えると、流石にもう目を逸らすことはできない」
「!さ、埼玉って、お前…」
だが、そこまで聞いたところで思わず声を上げてしまった。
そんな俺の反応に美弥子先輩達が目を瞬く中、ふっと一樹が強ばった表情で無理矢理口の端を上げる。
「お前も知っての通り、俺も同じ県の出身だ」
案の定続けられた言葉に今度こそ凍り付いた。
俺達の通っている高校はそこそこ有名な進学校だということもあり、全国から生徒が集まってきている。
俺や美弥子先輩、栗山、静音は学校のあるここ東京の出身だが、一樹のように余所からやって来ている生徒も決して珍しくはない。
「…そう。消えた生徒はすべて『埼玉』出身なんだ。その同じ埼玉出身の生徒が『自分は死ぬ』と言っていて、極めつけはあの『夢』のアナウンスだ。ここまで来たら、どうしたって一つのことを連想してしまうよな」
呼吸すら忘れて目を見開く先で、一樹が妙に感情を感じさせない声で話を続ける。
「つまり俺の本体は今も埼玉のどこかで眠っていて、この『現実』という夢を見続けているんじゃないかと俺は思っているんだ。あの『夢』の環境を見る限りでは、コールドスリープのような感じで眠っているんじゃないかな。で、この『現実』という仮想空間のような場所と意識を繋いでいたものの、電源に異常が発生して供給が止まり、そこで眠る本体が次々と…死んでいっている。『夢』のあの妙な焦りも、『記憶の書き換え』が上手くされなかったのも、おそらくはその影響なんだと思う。…これが俺の推測だ」
「……」
そう締めくくった一樹の言葉に口を開く者は誰もいない。
それはそうだ。
こんなこと、一体どう受け止めればいいというのか。
何故なら今の推測通りであるならば、それはすなわち一樹の命が…。
「ま、待ってよ…」
そのまま最悪の想像に至りそうになったものの、すると不意に栗山が消え入りそうな声を上げた。
見れば声の通り、まるで寄る辺をなくした子供さながらに視線を彷徨わせていて、たちまちハッとする。
俺には今、栗山が何を考えているのかよく分かった。
というのも一樹は埼玉の例を挙げて説明していたが、俺も含め、ここにいる全員が同じ「夢」を見て、「現実」の異常に気づいているのである。
「そ、それってつまり…」
「…恐ろしいことですが、状況から察するにきっと私達も…東京も、同じような状況なのでしょう」
栗山の震える言葉を、再び美弥子先輩が引き継ぐ。
そういうことなのだ。
理屈はさっぱり分からないが、一樹の話と俺達の現状を鑑みれば「電源系統の異常」と「記憶の書き換え」に因果関係がある可能性は高い。
だがそれなら、何故誰も騒がないんだ…?
先ほども言った通りこの高校は東京にあり、それだけに生徒も東京出身者が最も多いのである。
自分の記憶に矛盾があれば同じように不安を覚えるだろうし、ならば騒ぎにならないはずがない。
…いや、実は他のみんなも予兆は感じているんじゃないか?
ただ疑問に思って間もなく、その考えに至った。
なにせあまりにも荒唐無稽な話なのだ。
薄々おかしいとは思いつつも、一樹のように気のせいだと無理矢理自分を納得させているだけなのかもしれない。
それに「電源系統の異常」が発生したからといって、必ず「記憶の書き換え」に失敗するとは限らないという可能性もある。
もちろん憶測の域は出ないが、少なくともそれならば騒ぎにならないのも納得ができる。
「そ、それじゃあ…」
そうしていつの間にか考え込んでいたものの、また聞こえてきた声に意識が浮上した。
顔を上げれば色を失った栗山が大きく目を見開いており、嫌だというように首を振りながら一歩後ずさる。
「それじゃ、アタシ達も死ぬってこと!?」
そして悲鳴を上げた。
死ぬ。
改めて言葉にすると、まるで心臓に氷のくさびを打ち込まれたかのような冷たい衝撃が全身に広がっていった。
それはあくまで画面や文字の向こう側にあるもので、自分達にはまだまったく関係がないのだと思っていたもの。
なのに急にその足音を間近に感じて、途端にガクガクと膝が震え始める。
「…埼玉の人間は今も次々といなくなっている。だから俺もいついなくなるか、今この瞬間にも消えてしまうんじゃないかと、正直怖くて堪らない」
そんな中、一樹が独白するように話を続ける。
「だけど、みんなならまだ間に合うかもしれない」
「「え?」」
だが次の瞬間には全員で呆けた声を上げてしまった。
理由はもちろん、今の言葉が思いもよらないものだったからである。
目を瞬く俺達を見て、一樹が少し表情を緩める。
「もちろん、どうしたらいいかなんてさっぱり分からない。向こうの状況もろくに分からないんだからね。でも恭也達東京出身の人間は、俺が調べた限りでは少なくともこの学校でいなくなった者は一人もいない。だから俺とは違ってまだ時間は残されているはずだ。話そうと思ったのもそれが理由だよ」
「……」
話が終わると、場には再び沈黙が降りた。
一樹の話を聞いてみんながどう思ったのかは分からない。
ただ心なしか先ほどよりも明るくなったように感じる空気の中、俺の心を満たしていたのは怒りだった。
「お前は何を言っているんだ」
膝の震えもすっかりと消えるくらいの怒りを感じながら、もはや恐怖していたことすら忘れてギロリと睨めつける。
「え?」
たちまち今度は一樹が目を瞬くも、しかし俺の怒りが収まることはない。
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